司祭兼心理学者が、痛みを与えた相手を許すことについて書いた本です。
相手を許さずに恨み続けると、ストレスにさらされ免疫系が自分の体を攻撃するようになってさまざまな病気になる、過去に縛られ、痛みをいつまでも思い出し、復讐の連鎖を生むなどと脅かした挙げ句、著者の提示する許しに至るのに必要な12のステップのうち10くらいからは神の助けによらなければできない(266頁、277頁)というのですから、結局は宗教者による布教書になっています。
しかし、この本が論じている、許すことは(被害を)忘れることではない、許すことは元の状態に戻ること(仲直りをすること)ではない、許すことは自分の権利を放棄することでも相手の責任を追及しないことでもない、許すことは相手への優越感を示すことでもない、許しは命令されたり義務的にするものではないという指摘は、いろいろ考えさせられます。
そして第一のステップで復讐しないと誓うとともにこれ以上攻撃させないことが大切と説くことも実践的です。自分が傷ついていることを自覚し、心の痛みを誰かと分かち合うことが重要との指摘も大切です。犯罪被害者の権利の議論をしていて日本では犯罪被害者に付き添うボランティアのことが抜け落ちがちです。自分が失ったものを自覚し、自分の怒りを自覚し、そして自分自身を許すことが、相手を許す前提という指摘も的を射ていると思います。そして相手を理解し(それは免責することではないし、無理してステップを進むことはないと著者は強調しています)、と進んでいきますが、この後は相当キリスト教的な色彩が強くなっていきます。著者が、無理して許すこと必要はない、許すことで自分が得る(成長する)ことが大切としていることの方をかみしめた方がよさそうです。
宗教的な色彩が強い本ですが、1つの人生論として読むと、考えさせられるところが多いと思います。

原題:Comment Pardonner?
ジャン・モンブルケット 訳:浅岡夢二
PHP研究所 2006年8月9日発行 (原書は2001年)
相手を許さずに恨み続けると、ストレスにさらされ免疫系が自分の体を攻撃するようになってさまざまな病気になる、過去に縛られ、痛みをいつまでも思い出し、復讐の連鎖を生むなどと脅かした挙げ句、著者の提示する許しに至るのに必要な12のステップのうち10くらいからは神の助けによらなければできない(266頁、277頁)というのですから、結局は宗教者による布教書になっています。
しかし、この本が論じている、許すことは(被害を)忘れることではない、許すことは元の状態に戻ること(仲直りをすること)ではない、許すことは自分の権利を放棄することでも相手の責任を追及しないことでもない、許すことは相手への優越感を示すことでもない、許しは命令されたり義務的にするものではないという指摘は、いろいろ考えさせられます。
そして第一のステップで復讐しないと誓うとともにこれ以上攻撃させないことが大切と説くことも実践的です。自分が傷ついていることを自覚し、心の痛みを誰かと分かち合うことが重要との指摘も大切です。犯罪被害者の権利の議論をしていて日本では犯罪被害者に付き添うボランティアのことが抜け落ちがちです。自分が失ったものを自覚し、自分の怒りを自覚し、そして自分自身を許すことが、相手を許す前提という指摘も的を射ていると思います。そして相手を理解し(それは免責することではないし、無理してステップを進むことはないと著者は強調しています)、と進んでいきますが、この後は相当キリスト教的な色彩が強くなっていきます。著者が、無理して許すこと必要はない、許すことで自分が得る(成長する)ことが大切としていることの方をかみしめた方がよさそうです。
宗教的な色彩が強い本ですが、1つの人生論として読むと、考えさせられるところが多いと思います。

原題:Comment Pardonner?
ジャン・モンブルケット 訳:浅岡夢二
PHP研究所 2006年8月9日発行 (原書は2001年)