伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

老醜の記

2007-02-25 10:33:04 | 小説
 59歳男性作家が、2度の離婚の末、21歳銀座のホステスを愛人にしつつ、再婚はしないで囲っていたが、ホステスに愛人ができて三角関係になり、体で満足させられなくなったと悟り、肉体関係を持たずに愛人関係を続けようとするに至る13年間を描いた小説。
 前半は、老人男の願望を絵に描いたような話で、38歳年下のホステスとの赤裸々な肉体関係の話。そうしながら結婚したいというホステスを、老い先短い身だから若い女性を拘束しちゃいけないなどと、白々しい理屈でかわし続けます。そうしているうちに寂しくなったホステスに愛人ができると嫉妬に煩悶します。タイトル通りの老醜ですね。それでも若いホステスへの未練が募って三角関係の下で肉体関係を続けるのですが、ホステスが愛人からSM嗜好を植え付けられ、それを望むようになったのを知り、自分はホステスを満足させられないと悟って肉体関係は絶つことにします。しかし、それは性欲が抑えられたからではなく、敗北を再確認することを自尊心が許さないため。
 主人公が時折語るきれいごとと実態が終盤まであわず、人間、いつまでたっても老いてもきれいに悟ることはできず見苦しく妄執を持ち続けるもの、というのがテーマでしょうか。主人公の生き方には、ここまで言うのなら、最初の段階で再婚してしまうか、さっさと身を引けばいいのにと思い、読んでいていらだたしいですが、それができないのが人生なんだよって、作者は言いたいんでしょうね。


勝目梓 文藝春秋 2007年1月30日発行

追伸:朝日新聞が4月29日付で書評掲載
「最後は実にしみじみと綴られていて静かな感動を覚えるほど」「見逃すな!」と絶賛しています。そんなに媚びる価値ありなんでしょうか。
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ぼくらの七日間戦争

2007-02-25 08:42:44 | 小説
 全共闘世代(団塊世代)ジュニアの中学生が夏休みに閉鎖された工場跡に立てこもり「解放区」として、学校や親たちの説得に抗して7日間の籠城戦・ゲリラ戦を闘うというストーリーの小説。1985年に角川文庫で発表されて大ヒットし、「ぼくらシリーズ」が29冊も生み出される元になった作品の新装版。
 立てこもった子どもたちの闘争宣言が、ミニFM放送で発表され、そこで日大全共闘の詩や安田講堂の落書(「連帯を求めて孤立を恐れず」ではなく、「我々は玉砕の道を選んだのではない。我々のあとに必ず我々以上の勇気ある若者が、解放区において、全日本全世界で怒濤の進撃を開始するであろうことを固く信じているからこそ、この道を選んだのだ」)が引用されたり、「練監ブルース」が唄われたりするあたり、いかにも70年代っぽい。そのあたりから見ても、作者は子どもに向けてよりも全共闘世代向けに書いているように感じます。
 政治的な思想の背景なく、子どもが何でも言うことを聞くと思っている大人=権力と闘うということだけで、さらにいえば何かおもしろそうだからレベルで闘いを始めるというあたり、本家の全共闘をどう捉えるかにより全共闘へのエール・賛歌とも全共闘のパロディ・アイロニーとも読めますが。
 権力を身近なレベルで(大人=権力とか)捉えることは、本来の権力(国家権力とか)を相対的に見えにくくして免罪するという側面と、プチ権力との闘いを日常的に繰り返すことで闘争への踏み出しを容易にし実践に結びつけやすいという側面があります。多田謡子反権力人権賞選考委員としては、後者の視点を大切にしたいと思いますけど。この作品については、籠城戦を主旋律にしつつ、誘拐事件の解決とか汚職事件の告発とかを入れてエンターテインメントの側面を強めていますし、クラスの男子全員が一糸乱れず結束し、敗北する場面も一切なしで、主人公に感情移入して読む限り痛快で、都合よ過ぎるくらい。実践を勧めている・考えさせようというよりは、読んでカタルシスに、という感じがします。
 古い道具立てにもかかわらず中高生に人気(うちの子どもも絶賛してます)なのは、読み物としての痛快さに加えて、子どもを抑え込もうとする大人たちとの闘い、日頃抑え込まれておもしろくない・何かおもしろいことしたいという思いにマッチするからでしょう。続編のぼくらシリーズはその思いをすくい取れているのでしょうか。


宗田理 ポプラ社 2007年1月発行 (角川文庫版は1985年)
コメント (1)
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