伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

非社交的社交性 大人になるということ

2013-08-10 17:57:54 | 人文・社会科学系
 著者が自分が通ってきた道及び現在主宰している哲学塾での経験を語りながら哲学と人間関係のあり方についての意見を述べる本。
 まえがきでは、大人になるとは独り立ちをすることで経済的な独立とともに金銭面以外でも他人に依存しない生き方を実現すべきとして、異質な人を切り捨てずに大切にしつつ自分に居心地のいい人間関係を自力で開拓すること、過酷な境遇にあってもそれをなるべく他人のせいにしないで自分で選んだのだと自分に言い聞かせる姿勢を持つべきことを説いています(6~7ページ)。
 著者は、カントを「いかにして気に入った人のみを受け入れ、気に入らない人を遠ざけるかという『わがままな』課題に取り組んだ」と評し、「思えば、これは私の生涯の課題でもある」としています(22ページ)。
 そして最近の若者について、面と向かっては声を出すのも苦しそうな青年が、ネット上メール上では「いかに自分が義務違反であろうと怠惰であろうと、それをおいそれとは認めず、飽くまでも抵抗するのだ。その場合、かつての日本人のように情に訴えてくるのではなく、(連絡が徹底していなかったなど)私の僅かな落ち度を突いて、ヨーロッパ人顔負けの不思議な論理でがちがちに固めて、執念深く抵抗してくる」(40~41ページ)と評価しています。「これらの若者たちは『言葉の意味』それも『字面』に過度の合理性・整合性を求めてしまうからである。『文字通り』でないと絶対に許してくれず、ちょっと何かの事情で、言葉通りでないことがあると、全身で抗議してくる」(137ページ)とも。「哲学塾」のホームページで諸経費として月額1000円徴収することが記載されておらず、そのことについて「貴塾では2000円と書いてあれば3000円用意するような賢く世間知のあるような人しか入塾できないんですね。私のようにホームページに書いてある通りの言葉を信じる者はバカを見るんですね。つまり、貴塾にはウソを信じる者のみが入塾できるんですね」と抗議してきた者がいるという例が紹介されています(135~136ページ)。それに対して著者は「もちろんホームページに諸経費を書き込まなかったのは、こちらの落ち度であり謝りますが、その一事を拡大して哲学塾のあり方を嫌みたっぷりに解釈し、その全部を拒否するというあなたの姿勢に、猛烈な違和感と反感を覚えます。そのような単純思考の人は、きわめて非哲学的だと思いますので、こちらの方で出入りを禁じます。金輪際来ないでください」と返事を書いたとか(137ページ)。ネットの世界では妙に感情的で攻撃的な人がいて、確かに困りもので、こういう回答は、ある意味痛快でやってみたい気持ちにもなりますが、う~ん、でもなんか子どもの喧嘩みたいな気もします。開始時刻の告知と実際に訪問すべき時刻(130ページ)や教室の冷房の設定温度(143~144ページ)での塾生からの理詰めのクレームが紹介され、これも利害の衝突というか好みの領域に思えるのですが、著者の最終回答はこれは私の塾だから私がやりやすいようにやるって。まぁありがちな答えで、屁理屈を言われるとそういう回答をしたくもなりますが、あまり哲学的な解決ではないような…
 哲学は、真・善・美そのものを追究し、人生の虚しさをそのまま凝視しようという遊びであり、まったく無意味なこと無益なことに夢中になる才能であり、その意味で真の哲学者と真の子どもはもともと重なり合っている(70ページ、74ページ)という著者の立場からすると、屁理屈を言う攻撃者への対応は哲学者として適切なのか、そもそも「大人になる」ことを必要的肯定的なものとして論ずること自体適切なのかとか、全体を通した論旨にはいろいろ疑問を感じてしまいました。


中島義道 講談社現代新書 2013年5月20日発行
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする