性犯罪の被害の深刻さと刑事裁判、被害者支援、性犯罪抑止策等の現状について報じた本。読売新聞紙上で2010年2月から12月にかけて「性暴力を問う」として連載された37本の記事をまとめて2011年に出版された単行本「性暴力」を、文庫化にあたりその後の状勢を見て被害者支援・加害者対策を踏まえて若干修正し、インドでの暴行死事件について加筆したものだそうです(はじめに+おわりに)。
性暴力被害者の苦しみ・悲しみと告発・支援・連帯を綴る第1章の「被害者たちの叫び」が、やはり一番の読みどころです。被害者が長期にわたり恐怖感、無力感に襲われ悩まされ続ける様子は、読んでいて胸が痛くなります。
他方で、この種の議論・報道では、もっぱら加害者に対する重罰・厳罰が主張され、それ以外の被害者に対する支援や犯罪予防のための教育・福祉政策などにはあまり触れられないのが通常です。北風と太陽の説話で言えば北風以外は見向きもされません。この本でも学者の意見として「性暴力被害で仕事や安心できる家を失った人への公的支援は、なきに等しい。医療・精神面をケアする専門的な受け皿も足りない。社会が議論を避けてきたからだ」の指摘を載せ(57ページ)民間での支援活動について紹介していますが、全体としては加害者の処罰・厳罰を求める部分が中心となっています。被害者が加害者を憎み厳罰を求めるのは当然で、被害者にそういう発言をさせることは簡単です。被害者が厳罰を求める場面が多く報道されしかもそれに応じて刑を重くする判決が報じられる環境では、それはますます簡単で被害者側もそう言うのがスタンダードになります。しかし加害者以外の第三者や行政の負担が求められることになる被害者の現実の苦しみや困っていることへの支援には光が当てられない実情とあわせてみると、被害者のことを案ずるよりも犯罪への重罰化・治安の強化・管理社会化を望む人々が、その実現のために被害者を利用しているのではないかと疑問に思うことがあります。マスメディアには、行政にも都合のいい厳罰化の扇動よりも、実現が容易ではないが本当に被害者のためになる被害者支援に向けてこそキャンペーンを張って欲しいものです。
第2章では、加害者側の取材も試みていますが、被害者取材以上に壁があり、成功しているとはいえません。性犯罪者処遇プログラムについても受刑者に指導教官同席の下で取材した(105ページ)というのでは、優等生的な受刑者が選択されかつ優等生的な答に終始するのが当然でしょう。こういった中で、性犯罪の前歴者たちへのグループ療法(114~116ページ)や性犯罪受刑者の社会復帰を支援するボランティアグループなどのカナダでの試み(205~211ページ)が紹介されているのは注目したいところです。加害者を非難することではなく被害を防止することを目的とするのであれば、こういった太陽政策ももっと本気で議論すべきだと思うのですが。
単行本では「性暴力」だったタイトルが、文庫化にあたり「性犯罪報道」と変更されています。しかし、この本では性犯罪についての「報道」のあり方が評価・議論される部分は見当たりません。自分たちが読売新聞紙上でやったキャンペーンが性犯罪報道の代表だとか、あるべき性犯罪報道だという意味なんでしょうか。マスコミが被害者を苦しめた場面も当然あったはずですが、そこに触れない出版物に「性犯罪報道」というタイトルをつける感覚は、私にはわかりません。
読売新聞大阪本社社会部 中公文庫 2013年6月25日発行 (単行本は2011年)
性暴力被害者の苦しみ・悲しみと告発・支援・連帯を綴る第1章の「被害者たちの叫び」が、やはり一番の読みどころです。被害者が長期にわたり恐怖感、無力感に襲われ悩まされ続ける様子は、読んでいて胸が痛くなります。
他方で、この種の議論・報道では、もっぱら加害者に対する重罰・厳罰が主張され、それ以外の被害者に対する支援や犯罪予防のための教育・福祉政策などにはあまり触れられないのが通常です。北風と太陽の説話で言えば北風以外は見向きもされません。この本でも学者の意見として「性暴力被害で仕事や安心できる家を失った人への公的支援は、なきに等しい。医療・精神面をケアする専門的な受け皿も足りない。社会が議論を避けてきたからだ」の指摘を載せ(57ページ)民間での支援活動について紹介していますが、全体としては加害者の処罰・厳罰を求める部分が中心となっています。被害者が加害者を憎み厳罰を求めるのは当然で、被害者にそういう発言をさせることは簡単です。被害者が厳罰を求める場面が多く報道されしかもそれに応じて刑を重くする判決が報じられる環境では、それはますます簡単で被害者側もそう言うのがスタンダードになります。しかし加害者以外の第三者や行政の負担が求められることになる被害者の現実の苦しみや困っていることへの支援には光が当てられない実情とあわせてみると、被害者のことを案ずるよりも犯罪への重罰化・治安の強化・管理社会化を望む人々が、その実現のために被害者を利用しているのではないかと疑問に思うことがあります。マスメディアには、行政にも都合のいい厳罰化の扇動よりも、実現が容易ではないが本当に被害者のためになる被害者支援に向けてこそキャンペーンを張って欲しいものです。
第2章では、加害者側の取材も試みていますが、被害者取材以上に壁があり、成功しているとはいえません。性犯罪者処遇プログラムについても受刑者に指導教官同席の下で取材した(105ページ)というのでは、優等生的な受刑者が選択されかつ優等生的な答に終始するのが当然でしょう。こういった中で、性犯罪の前歴者たちへのグループ療法(114~116ページ)や性犯罪受刑者の社会復帰を支援するボランティアグループなどのカナダでの試み(205~211ページ)が紹介されているのは注目したいところです。加害者を非難することではなく被害を防止することを目的とするのであれば、こういった太陽政策ももっと本気で議論すべきだと思うのですが。
単行本では「性暴力」だったタイトルが、文庫化にあたり「性犯罪報道」と変更されています。しかし、この本では性犯罪についての「報道」のあり方が評価・議論される部分は見当たりません。自分たちが読売新聞紙上でやったキャンペーンが性犯罪報道の代表だとか、あるべき性犯罪報道だという意味なんでしょうか。マスコミが被害者を苦しめた場面も当然あったはずですが、そこに触れない出版物に「性犯罪報道」というタイトルをつける感覚は、私にはわかりません。
読売新聞大阪本社社会部 中公文庫 2013年6月25日発行 (単行本は2011年)