伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

知るほどハマル!化学の不思議

2007-02-22 18:22:43 | 自然科学・工学系
 日常生活で見かける現象を中心に化学の観点から解説した本。
 私はどちらかというと、汚れ落とし関係のテクニックの紹介に惹かれました。茶渋は発泡トレイでこするとよく落ちる(34頁)とか、フライパンの焦げ付きは塩を振って加熱すると取れやすい(36~37頁)とか、換気扇の汚れは天ぷら油で落とす(38~39頁)とか、自転車の錆は木工用ボンドではがれる(40頁)とか、プラスチックやガラスに油性ペンで書いた文字は水性ペンでなぞってティッシュで拭くと取れる(78頁)・ポテトチップスでこすると取れる(79頁)とか・・・。あとアジサイの花の色が土壌の酸性度によって違う(酸性度が強いと青くなる:114頁)なんてのも知りませんでした。
 広く浅くなので食い足りない部分も多いですし、終盤にはこの本のテーマの化学と関係ないのに原子力推進の論調が出てきたりするのが興ざめですが。


吉村忠与志 技術評論社 2007年2月10日発行
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不安に潰される子どもたち

2007-02-21 07:25:56 | 人文・社会科学系
 現代の子どもがおかれているストレスと不安から来る危機にどう対処するかというテーマの本。
 不況やリストラで親たちの幸福の図式が崩れ、親が自信を失い不安を持っている状況で子どもたちは親たちの不安を感じ取っているという指摘に始まり、核家族化とそれに伴うおじいちゃんおばあちゃんや兄弟、近所のおじさんおばさんとのコミュニケーションの喪失、メディアの変化、インターネット、ゲーム、ケータイの普及等の環境の変化から、知識は増えたが実体験は減りバーチャルな世界観が・・・というマスコミでよく聞く「原因」が語られています。子どもの発達年齢は昔の7掛け、30歳になってようやく一人前(21~24頁)というのは、「今時の若者は・・・」って論調にも聞こえます。
 どう対処するかというのがテーマですが、もちろん、簡単な答はありません。「頑張れ」というのは自信のない子には逆効果(88~89頁)、よその子と比較しない(90頁)、期待水準を上げすぎないというあたりが、現実的な対処法ということでしょうか。終盤で、日本ではちょっとはずれた者を「治そう」としがちだが、適応できればいいと考えるべき(231頁)と指摘しているのが、ホッとします。


古荘純一 祥伝社新書 2007年1月5日発行
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「退化」の進化学

2007-02-20 08:14:13 | 自然科学・工学系
 人間が他の動物から進化する際に他の動物のどの器官を捨ててきたか、つまり退化させてきたかを論じることで進化の道筋を解説する本。
 耳は、耳骨はあごの骨、耳管は鰓から発達したとかはわりと有名ですが、鎖骨は魚のカマの名残とか、知りませんでした。咀嚼器官の発達が様々に影響していて、歯の分化、臼歯の発達で咀嚼することができるようになってエネルギー効率がよくなり恒温動物化したとか。頭蓋骨にあいている眼窩の上の突起の形も咀嚼時に上あごにかかる力が分散しやすいように変わってきたそうです(158頁)。頭蓋骨は生まれるときに産道を通りやすいように6枚の骨でできていて子どもの頃は隙間が空いているのは知っていましたが、次第に癒合していきすべての骨が癒合するのは80歳頃だそうです(80頁)。
 いろいろと知らないことが多く勉強になりました。広く浅く書いているので1つ1つのことは、食い足りない気もしましたし、どうしてだかわかっていないことも多いようですけど。


犬塚則久 講談社ブルーバックス 2006年12月20日発行
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八月の路上に捨てる

2007-02-19 08:00:43 | 小説
 前回の芥川賞が図書館の棚に転がっていたので読んでみました(たいていの図書館ではまだ予約数ヶ月待ちだと思うんですが)。
 表題作は脚本家志望を持ちつつうまくいかず自販機の補充のバイトをする夫と編集者志望で雑誌編集の仕事に就きながらやめた妻が次第にすれ違っていき、不倫・離婚に至る夫婦の模様をバイト先の同僚との人間模様を絡ませつつ描いたもの。うーん、いかにもありそうって夫婦生活の機微を描いてしみじみとした読み物に仕上がっています。傑作かとか新鮮さはといわれると、つまり「芥川賞?」って聞かれると、どうかなあって思いますけど。
 カップリングされた短編「貝からみる風景」は今のところうまくいっている夫婦の生活の機微って感じ。
 破綻した方にしてもうまくいっている方にしても、夫婦関係の話を並べられたら、ちょっと妻は困るでしょうね。芥川賞受賞の時の取材で妻(角田光代)が「受賞作は読んでませんけど」って答えていたのは、むべなるかな。


伊藤たかみ 文藝春秋 2006年8月30日発行
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ヒストリー・オブ・ラヴ

2007-02-19 07:20:59 | 小説
 数十年前に書いた小説「ヒストリー・オブ・ラヴ」が知らぬうちに出版され、売れなかったその小説の1冊を送られた母にその登場人物にちなんで名付けられた少女が、迫害を逃れてアメリカに渡ったユダヤ人の作者に巡り会うというストーリーの小説。
 ニューヨークに住むユダヤ人の老人の元錠前屋レオ・グルスキ、レオ・グルスキがかつて愛した少女アルマ・メレミンスキ(アルマ・モーリツ)とその子どもたち(長男は実はレオ・グルスキの子)、ヒストリー・オブ・ラヴを出版した作者とされるツヴィ・リトヴィノフとその妻ローサ、ヒストリー・オブ・ラヴを夫から送られて娘をアルマと名付けた母と娘アルマ・シンガーと弟バードの4組の動きがバラバラに展開し、ちょっと読みづらい。レオ・グルスキとアルマと息子まではすぐなじめるのですが、残りの展開が、だからどうだっていうの?って感じで、少しいらいらします。出張の往復で時間がたっぷりあったので読み切りましたが、そうでなかったら途中でぶん投げた可能性大。
 過去にヨーロッパ書いた小説が南米で青年と妻を感動させてその名を付けられた娘と作者がニューヨークで出会うという、因果はめぐるという話ですが、自分の書いたものが見知らぬ人の人生に与える影響というか影響を与えたいという作家の願望を込めた夢をテーマにしたもので、読まされる身には、そういうこともあるかもしれないけどだからどうしたのという思いを持ちました。


原題:The History of Love
ニコール・クラウス 訳:村松潔
新潮社 2006年12月20日発行 (原書は2005年)
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レストランの秘密

2007-02-18 13:51:13 | 趣味の本・暇つぶし本
 レストランの原価や古くなった食材の整理、業務用食品(できあいの製品)利用などの裏事情ネタを集めた本。
 原価の安さも興味深いですが、私は、日本には世界一多くのソムリエがいるけど筆記試験で資格を取るのでまともな飲み比べができる人は少ない(71頁)とか、高級店のランチは2番手以下の練習台(63頁)とか、料理人は10人雇っても1ヵ月で9人がやめていく厳しい世界で万年人手不足(73頁)とかそういう人の方の話題に興味を持ちました。
 もっとも、中身を見ると、うわさ話的なところが多いので、話半分におもしろがって読む本だと思いますが。


別冊宝島 食品のからくり3
レストランマル秘情報研究会 宝島社 2007年2月15日発行
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ルワンダ大虐殺

2007-02-18 13:48:47 | ノンフィクション
 ルワンダで1994年4月から7月の間に行われたツチ族に対する大虐殺で家族を皆殺しにされ、自身も瀕死の重傷を負い左目と左手を失いながら生き残った青年の手記。
 虐殺の被害者は100万人にも上るのに、国際社会では必ずしも重大に受けとめられていないこと、そしてその虐殺が多数派のフツ族の近隣の知人たちの手によって行われ虐殺者の多くは処罰もされず処罰されても短期間の収容で社会復帰して何事もなかったように暮らしていることに、著者の怒りの訴えが続けられます。著者を治療し養っているクリスチャンのボランティアから、虐殺者への赦しを求められることに著者が示す拒絶感といらだちは強烈です。
 むき出しの憎悪を投げつける著者の言葉は、読んでいて憂鬱な気分になりますが、著者の体験からすれば当然の反応でもあり、解決不能の問題に立ちつくすしかないと思えます。
 著者が指摘するような、それまで仲良く暮らしていた近隣の普通の人びとがメディアの煽りを受け虐殺者となり、200万人もの人が虐殺に手を染めたという事態に至ったら、正義や信頼、結束と和解のために、一体何をすればいいのでしょうか。考えさせられるというか、考えても結論の出そうにもない問題に、それでもまずはそれを知る、知ることしかできなくても知っておこう・・・そういう覚悟で読む本なのでしょうね。


原題:Genocide
レヴェリアン・ルラングァ 訳:山田美明
晋遊舎 2006年12月30日発行 (原書も2006年)
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ラーマーヤナ5、6 樹海の妖魔 上下

2007-02-16 23:29:23 | 物語・ファンタジー・SF
 インドの民族叙事詩「ラーマーヤナ」をベースにした物語。
 この巻では、梵天兵器で阿修羅軍を壊滅させたラーマがコーサラ国に戻ったが、コーサラ国王宮内の陰謀で追放され14年間阿修羅の跳梁する恐怖の森で隠棲することを命じられ、妻シーター、弟ラクシュマナとともに恐怖の森の中の丘で暮らし、そこにラーマを慕う夜叉シュールパナカーがラーマに拒絶されて怒りにまかせて呼び込んだ阿修羅軍の残党1万4000頭が襲い、ラーマに助力を申し出るクシャトリヤや山賊たちと共にラーマたちが戦いを始めるまでを描いています。
 1~4が阿修羅軍とラーマの戦いを軸にした比較的わかりやすい英雄物語であったのに対して、この巻では、正義の国コーサラ国が阿修羅の意を受けた乳母マンタラーに操られた第2王妃カイケーイーの要求で、かつてカイケーイーに命を助けられて何でも望みを2つ聞くと約束していた王ダシャラタがラーマの追放に同意し、そのダシャラタも死んで内部崩壊して行く様、他方阿修羅の国ランカーは梵天兵器の直撃で植物状態になった王ラーヴァナの統制が効かず内戦状態になって自己崩壊と、双方が滅びの危機に瀕して行く様子が上巻で延々と続きます。下巻では、当初恐怖の森では一夜も生きのびられないと言われていたのに、ラーマたちが住み始めて4ヵ月は何も起こらず、ラーマは非暴力を主張して阿修羅とも戦わずに説得を試みるという間延びした状態が続きます。4までの活劇の続きで読むと、ちょっと調子が狂います。
 しかし、ラーマの非暴力は、結局その横からラクシュマナが阿修羅を攻撃して危機を救いますし、ラーマも6の終わりでは阿修羅が説得に耳を貸さないと見るや次々と殺戮を始めますから、ここまではがまんしたのだからと、ラーマの戦いを正当化する位置づけでしかなかったような感じがします。
 そして、兄弟や宰相、さらにはカイケーイーさえもラーマの翻意を促し、誰一人ラーマの隠棲を望まない中で、ただ死んだ父王が決めたことを守らねば父王の名誉が守られないという理由だけで頑なに恐怖の森へと突き進むラーマの姿を感動すべきものとして描くのは、いかに非合理的であっても上の指示には従うべきという家父長的なあるいは原理主義的な価値観を称揚するようで、私はかなり違和感を感じました。民の幸せも現実的な判断も超えたところで観念的な倫理観を優先するラーマは、むしろ王としての資質に欠けるのではとさえ思えてしまいます。
 この巻は、阿修羅軍に対するラーマたちの反撃開始で終わっていますので、続巻が訳されるまでの数ヶ月ちょっと落ち着きませんね。


原題:THE RAMAYANA SERIES : DEMONS OF CHITRAKUT
アショーカ・K・バンカー 訳:大嶋豊
ポプラ社 2007年1月15日発行 (原書は2003年)
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えんぴつ1本ではじめるイラスト手習い帖

2007-02-12 17:09:57 | 趣味の本・暇つぶし本
 イラストの描き方の入門書。
 こういうのっていかにもきれいな絵だと入門書になりにくいのですが、サンプルの絵がかなりラフなので、なんか描けそうな気になるのがいいですね。ラフな絵なのに人の表情とか犬とか猫とかちゃんとわかるのが不思議。そこにプロのテクがあるわけです。
 人の姿勢も骨格からイメージして描くのは、レオナルド・ダ・ヴィンチの時代からのお約束ですが、いかにも精緻なデッサンではなく落書きっぽい絵でもそれが示されてそれに注意して描くと、それらしく見えることがわかります。
 犬の絵と猫の絵の違いとかもコンパクトに示されていてふ~んと思います。


兎本幸子 エムディエヌコーポレーション 2006年5月21日発行
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ペギー・スー ドラゴンの涙と永遠の魔法

2007-02-12 09:09:13 | 物語・ファンタジー・SF
 ペギー・スーシリーズの第7巻。14歳の「普通の」少女ペギー・スーが、宇宙のかなたの惑星ザントラに入植した地球人の末裔の幽霊に導かれてザントラに行き、ドラゴンの涙を飲み続けなければ怪物(狼)に変身してしまうという問題を解決することを求められるというお話。ストーリーは例によって荒唐無稽で、ペギー・スーと青い犬、恋人のセバスチャンらが様々な冒険をします。
 その中で、この巻では、怪物になるくらいなら毒を飲んで石像になりたい/なるべきだという人びとと、ドラゴンに依存するよりも怪物になって生き続けるべきだという人びとの対立が描かれていて、けっこう考えさせられます。しかも作者の視点はシニカルで、石像派の支配者は実は怪物になっても治す方法があることを知りながら自己の権力を維持するためにそれを拒否し人びとにはそれを隠したままむざむざ多くの人びとを怪物化したり石像化するのを放置しているし、怪物派の人びとも怪物になって力を持ち力を行使することの快感に酔いしれた人びとと描いています。どちらにも正義がないわけです。その上、ペギー・スーらが怪物になったセバスチャンや石像になった人びとを元の姿に戻しても、セバスチャンは「怪物だったとき、僕は毎日わくわくしていた」「あんな力が内側で煮えたぎる経験なんて想像もできないさ」(289~290頁)と言って勝手に助けたことを罵り、石像だった人びとも「石像でいることが、どれほど心地よかったか!」(310頁)と言って怒ります。その意味ではペギー・スーにも正義があるのかという問いかけが残ります。ファンタジーの枠組みを超えて、人間の愚かさ・思い上がりを、そして生き方を考えさせるような問題提起があるように感じます。この巻はちょっと対象年齢が上がっているのかなと思えます。


原題:PEGGY SUE ET LES FANTOMES : La Revolte des Dragons
セルジュ・ブリュソロ 訳:金子ゆき子
角川書店 2007年1月31日発行 (原書は2005年)
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