伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

もう一日

2007-03-18 07:13:37 | 小説
 仕事がうまくいかず酒浸りになり妻に愛想を尽かされて娘からも捨てられて自暴自棄になって自殺を試みたチャーリーが、死にきれず、昔母と住んだ故郷の家にたどり着いて、そこで母の亡霊にあって昔語りをして慰められもう一度やり直そうと立ち直るという小説。
 女手一つで育ててくれた母と時々やってきて野球への道に誘う離婚した父の間でふらふらしていたチャーリーは、結局母を裏切って大学をやめて野球の道に進みますがメジャーリーグで6週間プレイしただけで故障して後はパッとせずセールスマンになったり起業を試みたりしますがうまくいきません。チャーリーは母が死ぬときも母の69歳の誕生日を抜け出して野球のOB試合に出ていました。死んだ後になって、孝行をしたいときには親はなし。そういう思いもあって転落していく(でも、それはいかにもって言い訳に思えますがね)チャーリーが、死ぬときになって母への思いを強めたがために母の亡霊を呼び寄せるというわけです。それでも母は文句一つ言うでない、昔通りにつきあってくれて、それでチャーリーは生きる勇気を取り戻すって話ですから、ちょっと都合よ過ぎ。まあ、そういう勝手な思いででも生きる力になればそれはそれでいいんでしょうけど。
 チャーリー一人の回想でもできそうな内容の話ですが、母の亡霊を出して会話で展開し、そこここに回想を入れ、さらに「母が私に味方してくれたとき」「私が母の味方をしなかったとき」のエピソードをはさむ形式にすることで単調さを避けいいテンポで話が進みます。そのあたりの工夫が生きた作品と評価すべきでしょう。


原題:FOR ONE MORE DAY
ミッチ・アルボム 訳:小田島則子、小田島恒志
NHK出版 2007年2月25日発行 (原書は2006年)
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ファイアブリンガー3 夏星の子

2007-03-16 20:46:40 | 物語・ファンタジー・SF
 グリフォンと和平を結び春に谷を出て聖なる丘の奪還に立ち上がることにしたユニコーンたちが、草原で荒れ狂うコーアを追って旅立ったジャンの不在のうちにテックを中心にまとまりワイヴァーンと闘い、ジャンと知り合った者たちの援軍を受けてワイヴァーンを倒し、聖なる丘を取り戻すまでのファンタジー。
 ユニコーンの中にも掟派(谷のユニコーンたち)と自由派(草原のユニコーンたち)があり、ワイヴァーンにも主戦派(毒針のある蛇たち)と和平派(毒針のない蛇たち)が対立するという構図で、一枚岩ではなく、やはりそれぞれの種族の中にもいろいろな考えの者がいるという設定となっています。
 和平を主導していたジャンがコーアを追い、さらにはコーアからテックの出生の秘密を聞かされてユニコーンの谷に戻る気を失いドラゴンの下で無為の日々を過ごして闘いが佳境に至るまでユニコーンの隊列に加われず、他方ワイヴァーンの中の和平派がワイヴァーンの王ライネックスの暴虐に耐えきれず逃亡するという前提で、ジャンを欠いたユニコーンと主戦派のワイヴァーンの間で闘いが始められました。第2巻までで平和主義者になったジャンとファンタジーとして、またストーリーの設定上どうしても欲しいワイヴァーンとの闘いを両立させる苦肉の策という感じです。
 3巻の前半は父と子、掟と自由、闘いと平和というような2項対立を軸に進む感じですが、読み終えてみると自由と平和と(自由な)愛というあたりにテーマがあった感じです。
 自らがかつて自由を主張し掟からはみ出していながら王子になるや厳しい掟を張り巡らせ掟を破る者を徹底的に弾圧し罵るコーアは、何を象徴しているのでしょうか・・・。
 タイトルとか第1巻からはジャンが主人公の物語のはずなんですが、2巻3巻でジャンは肝心なときにいないし、むしろテックやレルやジャンとテックの子どもたちやジャ=リラ、さらにはセスなど他のユニコーンが後になるほど魅力的に描かれ、主人公の特定しない群像物みたいな読後感です。ジャンが最後に神アルマに対してすねているのがよくわかる感じ。テックが実はジャンの姉ではなかったという落ちは、流れとしてはお約束みたいなものですが、そうでなくてもよかったような。


原題:The Son of Summer Stars
メレディス・アン・ピアス 訳:谷泰子
東京創元社 2007年1月25日発行 (原書は1996年)
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ファイアブリンガー2 闇の月

2007-03-15 08:11:25 | 物語・ファンタジー・SF
 ユニコーンの王子ジャンが、1つ年上の女戦士テックと結ばれた後すぐにグリフォンに襲われて嵐の海に流されて人間に捕らわれ、人間に捕らわれていた馬リエンナとともに人間の手を逃れてユニコーンの谷に戻りテックと子どもたちと再会するまでを描いたファンタジー。
 はっきりいってジャンが記憶を失って人間に囚われ、人間の文明の偉大さに圧倒される前半は、話も停滞気味でかなり読み続けるのがしんどい。ユニコーンの世界でも厳しい冬にジャンの父コーアが神の名の下に独裁を敷き批判者を弾圧し餓死に追い込んでいく様子は読んでいて寒々としますし。後半、テックがコーアの追っ手を振り切って母の洞窟に逃げ込み、ジャンが人間の手から逃れようとするあたりからようやく話のテンポがよくなりますけど。
 人間の世界でもユニコーンまがいの神をかたる者の狂信的な独裁とそれへのおそれと反発があり、それを利用してジャンが脱走することになりますが、そのあたり、人間にもユニコーンにも共通の性なのか、どちらの世界でも悪い者や問題はあるということで考えさせられます。
 そしてジャンはユニコーンの谷に戻る途中、ジャンを襲ったグリフォンのイリッシャーが傷ついて飛べなくなっているのと遭遇し、グリフォンの世界にも自分たちの伝説も仲間割れもあり、ユニコーンがワイヴァーンに聖なる丘を追われたようにグリフォンは餌場の谷をユニコーンに追われたこと、そのためにグリフォンは毎春ユニコーンを子どもの餌のために襲わざるを得なくなったことを知ります。ジャンとイリッシャーはお互いの種族の過去と伝説をかたり理解し、和解への道を模索することになります。他方、テックは母ジャ=リラが元は馬だった(月の泉の水でユニコーンになった)ことを知り、またジャ=リラが育てたパンの子どもたちに助けられていました。そのことを知ったジャンはパンとの和解の道も探ろうとします。こうして、闘いを指向していたファンタジーが話し合いによる和解を目指すことになり、焦点はワイヴァーン(人間も?)との決着が闘いによるのか否かということになりそうです。もっとも、狂信的な道を一人歩み続ける父コーア、テックが実はコーアの娘(まだ明かされていませんが、どう読んでもそうですね)でジャンの姉という問題が、なお火種として残されていますが。


原題:Dark Moon
メレディス・アン・ピアス 訳:谷泰子
東京創元社 2006年2月28日発行 (原書は1993年)
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依存症がよくわかる本

2007-03-12 07:30:09 | 人文・社会科学系
 アルコール依存症、薬物依存症、摂食障害、ギャンブル依存症、買い物依存症等の依存症の治療とその際に家族はどうすべきかについて解説した本。
 依存症の人は自分が依存症だという認識がなく(認めたがらない)本人は医者に相談に来ないので、まず治療の土俵に載せるために本人を現実に直面させる必要があり、そのためには家族が世話をしたり後始末をしたりしないで突き放す(冷静に距離を置いて見守る)必要があると著者は繰り返し述べています。著者は、依存症の治療は医師の力が1~2割、家族の協力が3~4割、そして患者自身が治そうとする力が5~6割と述べています(186頁)。患者自身が本気で治ろうと自覚するためには、まず自分が引き起こしている事態に直面して困りどん底体験をしなければならないということです。そして依存症患者の反省したとかもう大丈夫という言葉は真に受けてはいけない、アルコール依存症など30年以上も断酒を続けている人でも、飲みたい気持ちは一生続くので心理的には今でも慢性のアル中と語っている(57~58頁)とも。
 依存症については、家族が医師に相談してカウンセリングを受けて患者を突き放す、患者本人については集団ミーティング(患者同士で言いっぱなし聞きっぱなしの形で経験を語る)を受けるということが有効と著者は各種の依存症について述べています。アルコール依存症や薬物依存症だけでなく摂食障害やギャンブル依存症など他の依存症も。リストカットの場合も、注意は必要だし暖かく接する必要はあるけどやはり突き放す必要がある(123頁)そうです。ちょっと大丈夫かなあと思いますけど。


榎本稔 主婦の友社 2007年3月31日発行(この発行日付ひどくない?)
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夕張 破綻と再生

2007-03-11 09:49:12 | 人文・社会科学系
 夕張市の財政破綻問題を論じた本。
 著者の主張は、炭鉱がほぼ唯一の産業だった夕張で国のエネルギー政策の転換に伴い炭鉱が閉山した後跡地の住宅や上水道、公共施設の整備などの閉山後処理対策に583億円(国・道の補助金はうち185億円)も投じざるを得なかったこと、その後国・道の政策に沿って観光開発に投資したがこれが失敗したこと、さらに小泉改革で地方交付税が絞られたことが夕張市の財政破綻の主要な原因であり、夕張市側の問題は主に観光開発の無謀さと会計操作・情報非公開にあるというものです。そして国や道の責任を見ないで夕張市の「自己責任」を強調することで自治体再建法制を整備して中央官僚の統制を実質的に強める道具にされているのでは、という著者の指摘には、考えさせられます。
 夕張市は既に市としては65歳以上の高齢者の比率が最高であり15歳未満の若年者の比率も最低という全国一の少子高齢化の市になっています。その夕張に消防や医療などのサービスまで削るのでは住民は生きていけないでしょうし、税率を上げてサービスを削る国の求める財政再建計画に従えば若者はさらに出ていって移住できない高齢者だけの町になっていくでしょう。近年のこの国の政治はかなり露骨な弱肉強食路線ですが、ここまでやっていいのか政治と官僚のあり方の問題としても考え直す必要があると思います。


保母武彦、河合博司、佐々木忠、平岡和久
自治体研究社 2007年2月10日発行
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2007-03-10 16:16:20 | 小説
 原付で暴走する不良少年の恋人を事故で失った女子中学生/高校生の傷心と立ち直りを描いた小説。
 不良少年って設定ですが暴力シーンも全くなく、ごく単純な恋愛小説として読めます。テーマもありがちで、周りの友人や家族にも恵まれた設定です。むしろ私だけが悲劇のヒロインという感じで落ち込み、友人の気遣いや親の気遣いも無視して心を閉ざす主人公に、まわりのことも見てみなよっていうのがポイントなんでしょう。親との関係も、文句いっているけど、自分は親の理解を得ようとしたのかも疑問ですし。主人公より母親の方がかわいそうって思ってしまうのは、私が親だからなんでしょうか。


Chaco 小学館 2006年11月20日発行
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ファイアブリンガー1 炎をもたらすもの

2007-03-09 09:10:44 | 物語・ファンタジー・SF
 故郷「聖なる丘」をワイヴァーン(毒蛇に似た架空の生物)に追われたユニコーン一族が故郷に帰還することを誓って訓練と闘いの日々を過ごすファンタジー。
 ユニコーン一族はかつて住んでいた聖なる丘に、一時の仮の住まいを求められて許したワイヴァーンが大量増殖しその数と毒と牙の威力に敗れ、故郷を捨てて草原をわたり谷にたどり着いて住みつき、いつか伝説のファイアブリンガーが一族に生まれてワイヴァーンを倒す日を夢見てその日に備えて戦士を育て多くの掟を作って規律の取れた生活をしています。
 主人公のジャンは、ユニコーン一族の王子コーアの息子ですが、いたずら者で外れ者への憧れもあり度々掟を破り、父親ににらまれます。
 1巻では掟を破り規律を乱したジャンが、そのために父親や自分の危機を招きつつ最後にはワイヴァーンの司祭とその卵を滅ぼしてワイヴァーンの洞窟から逃れるという話になっており、掟と掟破りが話の1つの軸になっています。一族の安全を守るためにコーアが張り巡らせた掟の意味と、その掟の外で自由に生きる「脱けもの」の存在やさらにはユニコーンの敵たちも環の1つと語る(265頁)大いなる神アルマの言葉。そのテーマで掟をめぐって考えこむところですが、一方でジャンの掟破りが魔法に操られたものであるように描かれ、それもワイヴァーンが操った(204~210頁)のかグリフォンが操った(268頁)のかもあいまいで、ジャンの意思での掟破りでないとなるとそのあたりがぼける感じです。まあ、それが今度は夢見ることが邪魔で危険なことなのか能力なのかという問いかけにもつながるのですが。
 1巻は最後にジャンがファイアブリンガーであることがわかり、祖父の死に伴ってジャンが王子になるところで終わりますが、既に敵対する生物もアルマの環の1つとされていることで闘いによる解決以外の道が予測されます。ファイアブリンガーが誰かなんてもろネタバレなんですが、この設定でファイアブリンガーがジャン以外の者であると考える読者はいないと思います。また話し手が誰であるかについて冒頭で謎のように扱っていますが、話し手が誰であるかは、話にほとんど影響がなく、終わりの方で明かされても特段の感慨もありませんでした。ちょっとそのあたりの小細工はあまりうまくない作者だなと感じます。


原題:Birth of the Firebringer
メレディス・アン・ピアス 訳:谷泰子
東京創元社 2005年7月29日発行 (原書は1985年)
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天と地の守り人 第3部

2007-03-08 08:14:29 | 物語・ファンタジー・SF
 新ヨゴ皇国で始まったタルシュ軍の侵攻で瀕死の重傷を負うタンダ、町人を戦火から避難させながらタンダを探し求めるバルサ、ロタ-カンバル同盟を成立させてロタ-カンバル混成軍3万を率いてタルシュ軍と戦いながら人の命を奪うことに悩み苦しむチャグム、新ヨゴ皇国宮廷内の策略とタルシュ帝国幹部の確執を順次展開させながら、政治の世界ではしたたかに成長したチャグムを中心に平和が訪れ、バルサは庶民として平和な生活へと戻っていくまでを描いたファンタジー。
 守り人シリーズの完結編として描かれ、特に虚空の旅人・蒼路の旅人から展開した南の大陸のタルシュ帝国と北の大陸諸国のドラマを完結させシリーズの総集編という位置づけになっています。それだけに構想が雄大で、登場人物・視点が多岐にわたり、それぞれの側からの進行を追う形になり、それだけでストーリー展開はおもしろいのですが、その分それで手一杯で人物の書き込みに若干物足りなさも感じました。
 異世界のナユグとの関係も、第1部の始めから気を持たせたわりには結局青弓川の氾濫・光扇京の水没を導く道具立てになっただけで、現世界と異世界の関係についての洞察というか踏み込んだ解明がないのは、読み終えて不満が残りました。第1部でバルサの衰えを強調したのも、第2部・第3部ではストーリーを進めるのに精一杯でその後の展開には影響ない感じでしたし。個人的にはもう少しタンダを幸せにしてやりたかったなと思います。チャグムが晴れ晴れとするのに対し、タンダやヒュウゴはちょっとかわいそう。庶民の男も幸せにしてやればいいのにと、庶民びいきの私は思ってしまうのですが。
 本の体裁がいかにも子ども向きなので大人が読むには抵抗があるかもしれませんが、守り人・旅人シリーズ全体としては、日本人が読む限りでは、指輪物語クラスには評価していい作品だと、私は思いました。


上橋菜穂子 偕成社 2007年3月発行
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個人情報「過」保護が日本を破壊する

2007-03-07 08:18:36 | 人文・社会科学系
 個人情報保護法が保護対象の情報を拡げ過ぎ例外が狭い悪法だということを論じた本。
 私も個人情報保護法はまじめに守ることがかなり困難な法律だと思っていますし、学校や同窓会の名簿もやめるとかいう過剰反応や個人情報保護法を口実にした行政の情報隠蔽には困ったものだと思っています。
 ただこの著者は保護対象はプライヴァシー権の範囲に限定してプライヴァシー情報はきちんと守るべきといいながら、住所や電話番号、メールアドレスはプライヴァシーではないとか、犯罪防止のために防犯カメラをどんどん設置すべきとか言っていてそういう主張には閉口します。
 著者はプライヴァシーは守れということと企業の正当な経済活動(勧誘・営業活動)を並べていますが、本音は営業活動のために住所や電話番号は自由に使わせろということにあると読めます。著者は個人情報保護法は保護対象となる情報を拡げ過ぎと執念深く言い続けていますが、企業の営業活動のおかげで多くの人びとが知らない企業から大量のDMが来る、執拗な無差別電話勧誘に会うという経験をして嫌な思いをし、その苦情が集積して住所や電話番号も保護対象となることになったのだと思います。今時、自宅の住所や電話番号は、プライヴァシー権の定義で考えても、普通人の感受性を基準にして公開を欲しない情報になっていると思いますよ。著者の擁護する企業の営業活動が執拗に行われた結果として。


青柳武彦 ソフトバンク新書 2006年10月30日発行
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他人を見下す若者たち

2007-03-06 08:23:15 | 人文・社会科学系
 他者の能力を低く見積もることによって、自分の過去の経験や現実に基づかないで自分を他人より偉いと感じる「仮想的有能感」を持つ者が増えてきているというテーマを論じた本。
 本来の経験や事実、信頼できる周囲の人間からの賞賛等に裏付けられた自信ではなく、見知らぬ他者(多数)を軽視することでお手軽に偽りのプライド・自己肯定感を生じさせているということです。こうした傾向は大人にも見られますが、若者に増えており今後どんどん増えていく、こうした社会は、誰もが競争に勝ち抜くためにまわりの相手を軽視したり軽蔑し人間同士の暖かみの伝わらない冷え切った社会になる(204頁)と著者は論じています。現在の人びとは、この厳しい世の中で自分だけが犠牲者でストレスを多分に受けていると思いこみ、自分が他者にストレスを与えていることには思い及ばず自分だけがストレスを被っていると考えている(205頁)とも。
 直観的には、思い当たることの多い本です。ただ論証としては、客観的データは少なく、データ解釈にも他の読み方ができそうな部分が少なくないように思えました。
 また同時に若者には他人を軽蔑もしないが自分にも自信がない「萎縮型」も意外に多い(209頁)とか。そうすると「他人を見下す」よりも本質的に「自信がない」ことの方が現代の若者の特徴になりそうですが。


速水敏彦 講談社現代新書 2006年2月20日発行
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