伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

面接の達人2015 バイブル版

2013-11-16 21:20:23 | 実用書・ビジネス書
 就職面接のテクニックというか考え方、試行錯誤・工夫の方向性について論じた本。
 著者は、この本はマニュアル本ではない、質問への対応を書いた本ではないと強調しています。確かに、面接でいうべきことは自己紹介と志望動機だけで、面接官が形の上で何を聞いていても本当に聞きたいことはその2つだけだと断言し、何十倍何百倍の「落とす」面接ではみんなと同じことを言うのでは残れない、面接官はマニュアル本の勧める決まり切った回答を繰り返し聞かされて飽き飽きしている、自分の人生・大学生活を見つめ直して響く自己紹介を考えろというこの本のメインストリームはそういう志向かなと思います。しかし、例えば疑問45の「第1志望でないところで、第1志望はどこかと聞かれたら、どうすればいいのか。」に対して、「どこの会社に行っても『御社第1志望』。理由は『会った人で決めた』プラスその人のどこに魅かれたか」(163~165ページ)とか、マニュアルとしか思えない記述もわりとあります。
 書かれていることは、少なくとも社会人の読者にとっては、自分が面接する側だったらという視点で見ればそりゃそう考えるよねという点が多く、そういう意味で納得しながら読めます。ただそういう内容でも、著者の筆力ということだと思いますが、例の挙げ方や論の展開がよく、飽きさせずに読ませてくれます。下部欄外に「先輩の金言」と題して匿名の断片的なアドバイスが羅列されていて、これが就活中の学生には意味があるのかもしれませんが、本文ではそういうのはダメと断じている抽象論やありきたりなものが少なくなく、通し読みするときには辟易します。でも、そういう素人のおもしろくない文が下に続いていることで、本文の巧さが光っているのかもしれません。


中谷彰宏 ダイヤモンド社 2013年9月27日発行
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レックス 戦場をかける犬

2013-11-12 00:38:12 | ノンフィクション
 アメリカ軍海兵隊の軍犬兵であった著者が、軍用犬レックスとともにイラク戦争中の2004年3月から9月にかけてファルージャ近辺でパトロールと爆弾・武器探索の任務に当たった様子を紹介した本。
 灼熱の砂漠地帯で爆弾や砲撃にさらされながら、地下に埋められた爆弾部品や武器、爆薬を探索する軍用犬と、犬との間で強い信頼関係を持ち続ける軍犬兵の苦労と忍耐と勇気の物語は、迫力があり一定の感動を呼び起こします。
 イラクでの任務の記述の合間に著者の入隊前や入隊後イラクに派遣されるまでのエピソードが切れ切れに挟まれる構成は、飽きさせないという狙いでしょうけど、展開が中途半端な感じがして、どうせならどこかにまとめて欲しいと、私は思いました。
 アメリカ人には抵抗がないのでしょうけれども、米軍はイラクの市民の命も守っているとか、イラクの子どもたちがレックスを見て好感を持っていたとか、イラクの子どもたちに米軍がサービスしているとか、イラクの女性も米軍に解放されて喜んでいるとか、イラクのテロリストは卑怯だとか、イラク人通訳がイラクのテロリストに殺されたとか書き連ねているのは、私にとっては興ざめです。米軍に好感を持つイラク人もいるかもしれませんし、米軍が爆弾からイラク市民の命を救った場面もあるかもしれません。しかし、米軍がスパイやテロリストだと主張したり誤認して殺害した民間人はどれだけの数に上るのか、テロリストが民間人の陰に逃げ込むのが卑怯という前にテロリストが民間人の陰に逃げ込める(「人民の海」がある)のは米軍のいう「テロリスト」がイラク市民の支持を受けているからではないかとは考えないのか、と思ってしまいます。
 「1対1で向かい合って、かかってこいというのに比べて、戦争で簡易爆弾を使うのは卑怯で姑息だ。」(27ページ)という一節に、著者の感性がよく表れています。現場で爆弾に相対する一兵士の素直な感想でしょう。その場面だけを切り取れば、それは正しいともいえるでしょう。しかし、それなら米軍が地上部隊派兵前に必ず行う空爆は、ミサイル攻撃はどれくらい卑怯で姑息なのか、1対1で向かい合えって、完全武装の米兵に対してほとんどぼろ切れをまとうだけのイラク人が手に石かなんか持って相対して闘うのが公正(フェア)なのか、丸腰の民間人を銃で脅しつけて行う「捜索」は卑怯で姑息ではないのか、そういう問いかけは一行たりともありません。
 著者とレックスは関わっていないのだろうとは思いますが、米軍が「テロリスト」と主張してグアンタナモ基地に長期拘束した人々に対する拷問には軍用犬も用いられたと報じられています。
 そういった暗い面・米軍に不都合な事実にはまったく触れないまま、イラク戦争に従軍した軍用犬と軍犬兵の英雄物語とヒューマンなストーリーを書き連ねた本です。イラク戦争での米軍の行動を積極的に支持する人には楽しい読み物だと思いますが、私には、米軍の恥部を覆い隠すイチジクの葉かと思えました。


原題:SERGEANT REX
マイク・ダウリング 訳:加藤喬
並木書房 2013年10月5日発行 (原書は2011年)
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宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議

2013-11-09 23:59:06 | 自然科学・工学系
 宇宙全体の視点から生命の成り立ちや起源を解明する「宇宙生物学」の立場から、人間の体について解説した本。
 人間は神経や筋肉を動かす信号としてナトリウムイオンを使用していますが、これは生物が生まれた当時海水中に大量にナトリウムイオンが含まれていたためにこれを利用して進化したもので、海水にナトリウムイオンが大量に含まれるようになったのは当時は現在の12分の1の距離にあった月が現在の4倍の速さで地球を公転し地球の自転も今の4倍の速さであったため圧倒的な潮汐力で1時間半に1回潮の干満が繰り返されて海は大嵐状態が続いたために岩石中のナトリウムが溶け出したもので、その後月が次第に離れてナトリウムが大量に溶け出した海が静かになって、現在の生物が誕生したという経過で、現在のようなナトリウムを利用する多細胞生物が誕生したのは月がかつては近く現在は遠くなっているおかげだとか(14~35ページ)。逆に、地球上の全ての生物は、エネルギーの利用(アデノシン3リン酸=ATP⇔アデノシン2リン酸=ADP)、遺伝情報の伝達(DNA、RNA)にリンを使っていますが、リンは海水中にほとんど含まれていなくて生物はかなり無理をしてリンを利用してきた、言い換えればリンを利用することが生物が生きていく上でどうしても必要だったそうです(100~127ページ)。地球は鉄の塊ともいえる星なのでほとんどの最近にとっても鉄は生きていくために不可欠な元素となっているため、人体は必要最小限の鉄しか持たないことによって感染症予防に役立てているので貧血になりやすい(170~197ページ)そうです。
 いろいろな点で、人間や生物一般について、これまで考えたことがなかった視点から検討し理解することができ、知的好奇心を刺激される本でした。


吉田たかよし 講談社現代新書 2013年9月20日発行
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グラウンドの空/グラウンドの詩

2013-11-08 22:52:28 | 小説
 中国地方の山間の盆地にある総生徒数100人くらいの八頭森東中学野球部の2年生キャッチャー山城瑞希と幼なじみのファースト田上良治が、チームにエースとなるピッチャーがいないことを嘆いていたところに、やってきた引きこもり・登校拒否の東京からの転校生作楽透哉が見た目に似合わぬすごい球を投げることを知り、傷つき内向する透哉の心をほぐしチームに引き入れ、全国大会へと駒を進めていく野球周辺青春心情描写小説。
 直情径行型で不器用な瑞希と斜に構えながら世渡りのうまい良治、傷つきやすく引っ込み思案な透哉、豪快な瑞希の母和江、傲慢で家柄自慢が過ぎるが孫のためには一生懸命な透哉の祖母美紗代といったキャラを配して、語り役の瑞希の内心と、良治や和江を中心とするおしゃべりで登場人物の心の動きを読ませ、降ってきた困難への思いとその困難を乗り越えていく気持ちを読ませる作品です。出世作の「バッテリー」以来この作者の定番ともいえる手法ですが、今回は傷つきやすく内向的なキャラをあえて周囲が待望する剛腕のピッチャーに当ててみたところが新境地というところでしょう。
 でも、その透哉、内向的で片言のしゃべり、新世紀エヴァンゲリオンの綾波レイかよこいつって思います。そしてその弱々しい外見でなぜ剛速球が投げられるのか、その速球を身につけるまでのトレーニングや苦労の類は一切描かれていません。ただなぜだか見かけとギャップの大きい天才剛速球投手が最初からいる、という設定です。創作の世界では、そりゃ、そういうのがいたらおもしろいよねということでしょうけど、読者はそういうの見せられると、どうやってそれができたのか、それを読みたいと思うものでしょう。そして、この作者の例によって、試合のシーンはほとんど描かれません。透哉が心情的にもしっかり投げられるようになったら、いきなり地区予選決勝の最後の一球です。その後、続編になる「グラウンドの詩」では透哉のコントロールが突然乱れ、それが瑞希の悩みの種となり前半のテーマとなるのに、それもいつの間にか直ってしまいます。作者からのメッセージは、透哉が克服するまで信じて待てと、それだけ。どうやって克服できたかはまったく触れられません。まぁ私たちの日常の心身の不調、スランプ、ストレスの類は、多くの場合、何となく解消復調しているものですから、なぜどうしてとわからないものだよといってもよいのですが、でもそれだからこそ小説・読み物ではそういうところを読みたいと思うものだとも思います。そして「グラウンドの詩」は最初から全国大会出場が決まった八頭森東中学の興奮とかを描き続けてその全国大会が始まるのはようやく終わりから8ページ目。やはり、この作者には野球(スポーツ)の技術的な部分への興味、試合の描写のスリリングさ・ドラマ性というのを、一切求めないという読者の決意が必要なのだと、改めて思います。だから「野球周辺青春心情描写小説」と名付けました。
 他人の気持ち・反応を読み取ることの難しさ、自分の視野の狭さといったものを意識し感じ取ることの大切さや、悩み落ち込んだ心が、何気ないやりとり、不器用な心情のぶつけ合いで、どこかほっこりし癒されていく、そういう様子を味わう作品と、割り切って読みましょう。


あさのあつこ 角川書店
グラウンドの空:2010年7月20日発行、「しんぶん赤旗日曜版」2008年7月6日号~2009年6月21日号連載
グラウンドの詩:2013年7月30日発行、「しんぶん赤旗日曜版」2011年7月3日号~2012年6月24日号連載
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ジャックを殺せ、

2013-11-07 22:06:11 | 小説
 「ジャックを殺せ」という「組織」の命を受けた狙撃手で後にファンド経営者の「ミス・レイディ」と呼ばれる「私」が次々と現れる「組織」の刺客や従業員、群衆と戦い、彼我と生死を超えて行き来しながら「私」とは何?「ジャック」とは何?と問いかけ、アイデンティティを抽象化・相対化する志向を試行した実験的小説。
 ある意味で哲学的実験小説といえるでしょうけど、私には観念を弄ぶ衒学趣味的自己満足的作品という印象が強く残りました。冒頭から、主人公の「私」の思考が独善的で錯乱気味なので、主人公の心情に入れず、読んでいて居心地が悪い思いをしました。「組織」に追われることになった「私」が「組織」から派遣されていると思われるイヴリンの元に帰りいちゃついて昼間は仕事を探して街を歩き回るとか、そりゃないでしょと思いますし。ところどころで主人公と主人公が同棲しているイヴリンのレズビアンな濡れ場が挟まれ、そこは妙に生々しく、ちょっと電車の中で読むのは、横の人に覗かれたら恥ずかしいなと決まり悪く思えました。中盤からは、「バイオハザード」のアリスの意識が敵や周囲の人に乗り移って拡散するバージョンの趣で、突然現れたり追いすがるゾンビを殺しまくるスプラッターを基本として、ときどき主人公の魂というか意識が攻撃・加害側と防御・被害側を入れ替わって行きつ戻りつするというハチャメチャなシーンが続きます。ラストで主人公が叫ぶように「何がどうだなんてことは……金輪際どうだっていい!あなたたちの好きにしなさい!」(170ページ)という印象を、この作品に対して持ちます。
 タイトルの「ジャックを殺せ、」。「モーニング娘。」が出て来たときに「。」が話題になりましたが、それにあやかってでしょうか、最後の「、」は。ところが、この作品、本文中には読点(、)が1つも出て来ません。読点の代わりに「-」が頻繁に使用されていますが、そういう点でも実験小説の感があります。二重否定を多用しているところも、わざと読みにくくしてるのかと思えます。そして37ページ16行目(最後の1行)から39ページ12行目まで29行1054字(挟まれた1文字分の空白を除き、2文字分の-を1文字にカウントして)にわたる超長文の1文が登場します。ギネス級かもしれませんが、でも読んでいてなんかどうでもいいやって感じになる、ただ長くすることを自己目的化したような文。作者としてはいろいろに実験しているのでしょうけど、読者としての私はパスしたい。


今村友紀 河出書房新社 2013年9月30日発行
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日本型雇用の真実

2013-11-06 20:45:50 | 人文・社会科学系
 新古典派経済学の一分野としての労働経済学が、従前は「総需要管理政策によって景気循環を安定させ、解雇抑制的雇用政策によって、人材を企業に蓄積しながら生産力、技術力を養い、持続的な経済発展を図ることが基本とされてきた」日本の経済政策(115ページ)を、「市場メカニズムの重視」「規制緩和の推進」「自己責任原則の確立」などの構造改革論の下、雇用流動化論を重要なプログラムとし(92ページ)、日本的雇用慣行の否定、解雇抑制的雇用政策の撤回、労働者派遣事業の規制緩和、公的職業紹介制度の見直しなどを推進してきたことについて、規制緩和や構造改革が企業の投資活動の呼び水になっていない現実(128ページ)、雇用流動化(非正規労働者化)が企業が人材を育成する気概を失わせ成果主義賃金が現実には企業側の支持を得ていないこと(131~136ページ)などを根拠にし、さらにはそもそも労働という市場原理になじみにくいものを経済学が労働力という商品と扱ったこと自体が誤りである(155~160ページ)として批判する本。
 近年、経営者側のやりたい放題を後押しする雇用流動化論、解雇規制緩和論が幅をきかせていることの強欲さ浅ましさについては、私も、日々感じ、ことあるごとに指摘しているところで、その意味ではこの本の主張に異論はありません。
 しかし、この本が、その問題点を、主として労働経済学という学問と学者たちの責任に帰していることは、違和感を持ちます。著者が、労働省・経済企画庁に長年在籍した官僚であるだけに、2002年度の完全失業率で前年より上昇する政府見通しを出し失業率が高まることは甘受しなければならないなどの答弁が出されたことが重要な転換点であり、それは前年の中央省庁再編で経済企画庁が解体されたため(102~114ページ)と論じられても、経済企画庁OBの怨み節に聞こえる部分があり、逆にこの間の規制緩和の動きでの行政の対応・責任が論じられないのはどうかなと思います。
 原子力ムラと同様に、学問の名の下にさまざまな利権を持つ連中が行ってきた悪行を暴くことは重要だとは思いますが、それが主犯だというのもちょっとひっかかります。


石水喜夫 ちくま新書 2013年6月10日発行
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フルーツひとつばなし おいしい果実たちの「秘密」

2013-11-05 23:02:11 | 自然科学・工学系
 さまざまなフルーツについて、栄養価や植物としての特性、品種改良の経過などを解説した本。
 栗は収穫した直後に約4℃で1か月程度貯蔵すると甘みが増すが、その理由は栗が実を凍らせないために糖分を出すのだそうです(砂糖水が凍りにくいのと同じ原理)(158~159ページ)。だから収穫後も生きていると説明されているのですが、不思議な話です。エチレンがリンゴやバナナを熟させ、リンゴは熟するとエチレンを放出するので熟成が伝染するように広がるとか、種なしの果実を作るには花粉が種を作る能力をなくすとともに種ができなくても実が大きくなるという性質(実は動物に食べさせて種をまき散らすために作られるのでふつうは種ができないと実も大きくならない)の双方が必要など、興味深い知識が少しずつ説明されています。
 私には、どちらかというと、品種の名前の付け方のエピソードが気になりました。近年はリンゴのトップ品種となった「ふじ」は育成者が山本富士子の大ファンだったため(39ページ)とか、アンデスメロンはアンデス山脈とはまったく関係ない日本産で「安心して栽培できます」「安心して食べられます」の「安心です」を売り文句にして「アンデス」になった(85ページ)とか。
 各果物ごとに写真が掲載されていますが、その大半が新宿高野(タカノフルーツパーラー)の提供で、あとは農協(JA)などの提供になっています。フルーツの写真くらい独自に撮影すればいいと思うのですが、新書はその程度の予算もないのでしょうか。パッションフルーツの名前の由来の説明で、パッションは情熱ではなくキリストの受難の意味で花の「おしべとめしべが十字架模様をつくっている」ためと書かれています(212~213ページ)が、こういう説明をしながらパッションフルーツの果実の写真が新宿高野提供で掲載されているだけで花の写真がないのは読み手にとっては残念です。それにパッションフルーツの花はめしべ3本おしべ5本なので十字架模様といえるか…


田中修 講談社現代新書 2013年8月12日発行
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編集ガール!

2013-11-04 21:30:09 | 小説
 ワンマン社長の下で成長してきた出版社の経理部に勤める高沢久美子27歳が、社長命令で社員全員が書かされた企画書に通販とウェブと雑誌を連携させファッション誌としても通用するクオリティの雑誌を創刊するというどこかの雑誌の記事をパクった企画を出しておいたところ社長がそれを気に入って、その雑誌の創刊と編集長就任を命じられ、編集経験ゼロのずぶの素人が各部からの寄せ集めの志気の低いメンバーで、雑誌創刊に挑むドタバタコメディ系ビジネス成長小説。
 高沢が隠密社内恋愛中の単行本編集部副編集長の編集者加藤学31歳が編集者としては唯一チームに入れられ、高沢は加藤に頼り切り、加藤は与えられた締切とメンバー、予算から現実的な企画、進行、スタッフを考案・手配して事実上雑誌の制作を進めていきますが、いざ撮影が始まると、20代後半から30代女性がターゲットのはずなのに加藤が集めてきたメンバーは男性誌目線で進めるために高沢が違和感を持ち、編集長権限で企画を一からやり直し始めます。そこから加藤はやる気をなくし、高沢はラフを全部直接チェックして徹夜仕事を続け、編集長としての自覚を持ち始め、現場を仕切っていくようになります。そのあたりの、高沢自身の職業人としての自覚・成長物語と、高沢と加藤のカップルの力関係逆転が、この作品のテーマとなっています。
 まったくの素人に5か月の準備期間で雑誌の創刊を命じるという非現実的な設定は超ワンマン社長の思い込みで受け入れるとしても、それがドタバタしながらも何とかなってしまうことや、高沢と加藤のカップルの行方など、そううまく行くかいと思ってしまいます。が、それは小説だからと気にしないことにしてみれば、高沢サイドからはある種の達成感が感じられ、加藤の・思いやり・思い切りにも爽快感を持ち得て、そこが読み味となる作品だと思います。


五十嵐貴久 祥伝社 2012年10月20日発行
月刊「小説NON」2012年7月号~2012年5月号連載
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あなたにだけわかること

2013-11-02 11:01:19 | 小説
 5歳の頃に、駿の母と夏の父が不倫関係を続け、平日の昼間に夏の家の2階で性行為にふける親たちを1階で2人で遊びながら待つことが多かった秀才の桐生駿と不良少女の野田夏が、別々の道を歩みながらときおり思い出し人生の曲がり角でときおり交差する幼なじみほのかに回想小説。
 俊の語りと夏の語りを切替ながら、雑誌連載の区切りで年代が飛び、最初は1年2年くらいだったのが次第に一気に十数年飛んだりしています。それぞれの人生を追って読む読み手には、心情の部分で埋めにくく、単行本で読むにはちょっとぶつ切り感を持ちました。
 子どもの頃気になった人を節目節目、というか停滞期や落ち込んだとき、気が弱くなったときに思い出し、どうしてるかなぁと少し甘酸っぱい気持ちを持つことは、誰しもあることと思います。父母の不倫というきっかけで、それがわかる年頃には抵抗感を持ち反発する関係になり、そこから心理的な距離を埋めていくというのはやや特殊なシチュエーションだとしても、読者には入りやすいテーマだと思います。
 夏の父と駿の母は、入口からかなり酷いと思いますが、「ぼくの肺に影が見つかり、それなら離婚したいと妻は言った」(191ページ)という駿の妻にも驚かされます。この一文を読んだとき、私は凍り付いてしまいましたが、こういう人は現実の世界ではわりといるのでしょうか。そういうときこそ慰め励まし合うのが夫婦じゃないのか、というのは中高年男の独りよがりなんでしょうか(-_-;)
 駿の母の後に夏の父の「ガールフレンド」になった温子さん。私にとっては、この小説の中で一番魅力的なキャラで、夏の父にはもったいないと思うのですが、夏の父の恋人でなくなり疎遠になって既に別の男と結婚した温子さんが、夏の父が認知症状態になると介護に通い、それなのに、夏の父は「早苗」(駿の母)と呼びかけます。人生ってこんなものでしょうか。
 そういう不条理をやり過ごしながら、時々涼風が吹くようにちょっとなごむ、その人心地の大切さが、ふと感じられるという作品でした。


井上荒野 講談社 2013年5月30日発行
「小説現代」2011年3月号~2012年5月号
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宇宙をあるく

2013-11-01 09:01:11 | 自然科学・工学系
 宇宙論について、ノンフィクション作家の立場から、初心者向けに噛み砕いた解説を試みた本。
 素人に親しみを持たせようという意図はわかるのですが、「不思議なナビゲーター」の宇宙からやってきたコスモくんとか、コスモくんとのやりとりの「story」はやり過ぎというか、子どもじみたというか子どもだましというか、しらけました。
 それでも、本文は、相当新しいことも含めて幅広い分野について、わかりやすく書かれています。
 太陽系の惑星や衛星の表面にある水の多くは、彗星によってもたらされたと考えられているが、太陽風の陽子(水素原子核)が酸化物の形で存在する酸素と衝突して水ができている可能性がある(30~31ページ)とか、恒星の中での核融合で作られる元素は鉄までで金やプラチナやウランなどの鉄より重い元素は超新星爆発のエネルギーで一気に作り出されて宇宙空間にばらまかれたのかも(133~134ページ)とか、彗星自体や彗星が軌道上に残したチリからはメタンやメタノール、ホルムアルデヒドなどの有機化合物やグリシンなどのアミノ酸が見つかっておりこれらの有機物が地球上にゆっくりと降下してきて生命の元になったのではという考えが有力になっている(33~34ページ、88~92ページ)など、地球上の物質の起源や生命の誕生がらみの話が、私には興味深く読めました。
 暗黒物質とか暗黒エネルギーとか超ひも理論とかは、読んでもよくわかりませんが、わからないということがわかったというレベルで満足すべき問題なのでしょう。


細川博昭 WAVE出版 2013年3月4日発行
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