新古典派経済学の一分野としての労働経済学が、従前は「総需要管理政策によって景気循環を安定させ、解雇抑制的雇用政策によって、人材を企業に蓄積しながら生産力、技術力を養い、持続的な経済発展を図ることが基本とされてきた」日本の経済政策(115ページ)を、「市場メカニズムの重視」「規制緩和の推進」「自己責任原則の確立」などの構造改革論の下、雇用流動化論を重要なプログラムとし(92ページ)、日本的雇用慣行の否定、解雇抑制的雇用政策の撤回、労働者派遣事業の規制緩和、公的職業紹介制度の見直しなどを推進してきたことについて、規制緩和や構造改革が企業の投資活動の呼び水になっていない現実(128ページ)、雇用流動化(非正規労働者化)が企業が人材を育成する気概を失わせ成果主義賃金が現実には企業側の支持を得ていないこと(131~136ページ)などを根拠にし、さらにはそもそも労働という市場原理になじみにくいものを経済学が労働力という商品と扱ったこと自体が誤りである(155~160ページ)として批判する本。
近年、経営者側のやりたい放題を後押しする雇用流動化論、解雇規制緩和論が幅をきかせていることの強欲さ浅ましさについては、私も、日々感じ、ことあるごとに指摘しているところで、その意味ではこの本の主張に異論はありません。
しかし、この本が、その問題点を、主として労働経済学という学問と学者たちの責任に帰していることは、違和感を持ちます。著者が、労働省・経済企画庁に長年在籍した官僚であるだけに、2002年度の完全失業率で前年より上昇する政府見通しを出し失業率が高まることは甘受しなければならないなどの答弁が出されたことが重要な転換点であり、それは前年の中央省庁再編で経済企画庁が解体されたため(102~114ページ)と論じられても、経済企画庁OBの怨み節に聞こえる部分があり、逆にこの間の規制緩和の動きでの行政の対応・責任が論じられないのはどうかなと思います。
原子力ムラと同様に、学問の名の下にさまざまな利権を持つ連中が行ってきた悪行を暴くことは重要だとは思いますが、それが主犯だというのもちょっとひっかかります。
石水喜夫 ちくま新書 2013年6月10日発行
近年、経営者側のやりたい放題を後押しする雇用流動化論、解雇規制緩和論が幅をきかせていることの強欲さ浅ましさについては、私も、日々感じ、ことあるごとに指摘しているところで、その意味ではこの本の主張に異論はありません。
しかし、この本が、その問題点を、主として労働経済学という学問と学者たちの責任に帰していることは、違和感を持ちます。著者が、労働省・経済企画庁に長年在籍した官僚であるだけに、2002年度の完全失業率で前年より上昇する政府見通しを出し失業率が高まることは甘受しなければならないなどの答弁が出されたことが重要な転換点であり、それは前年の中央省庁再編で経済企画庁が解体されたため(102~114ページ)と論じられても、経済企画庁OBの怨み節に聞こえる部分があり、逆にこの間の規制緩和の動きでの行政の対応・責任が論じられないのはどうかなと思います。
原子力ムラと同様に、学問の名の下にさまざまな利権を持つ連中が行ってきた悪行を暴くことは重要だとは思いますが、それが主犯だというのもちょっとひっかかります。
石水喜夫 ちくま新書 2013年6月10日発行