イタリア、シリア、ポルトガル、シカゴなどで暮らしてきた、イタリア人夫をもつ日本人漫画家が、日本の文化、日本と比較したイタリアの文化などを語ったエッセイ。
トイレ(ゴージャスなやつ)、ビール、電化製品、美容師、歯医者、テレビ番組(海外紹介もの)、CMについては、ほぼ手放しで日本の文化、製品を褒め讃えています。こういう読み物は、「海外の目」から褒められることで日本人の自尊心をくすぐり、自己満足的に読めて、私はひねくれ者なのでそういうニーズへの媚びを感じてしまいます。著者が文庫版あとがきで、「どうも日本についての思いを外側という立場から書こうとする時、それが具体的に"褒める"という形態の表記でなければ、単純な他国との比較論ですら『自己否定』と解釈してしまう傾向が日本の人にはある」(228~229ページ)と書いているようなプレッシャーを感じてのことなんでしょう。著者は「読者の方にどのように受け取られようと」(229ぺーじ)と言ってはいますが。
私には、日本についての部分よりも、日本の男性ファッション誌に出てくるようなイタリア人男なんていない、イタリア男はイタリア女の怖さを知りそれでもそのおっかなさへの切ない欲求と諦めをもってこその渋みや色気なのだ、イタリア女性はキレる時は完璧にキレるとかの、イタリア人の紹介の方が興味深く読めました。著者がベルルスコーニを相当嫌っているというあたりも…

ヤマザキマリ 幻冬舎文庫 2015年8月5日発行(単行本は2012年3月)
トイレ(ゴージャスなやつ)、ビール、電化製品、美容師、歯医者、テレビ番組(海外紹介もの)、CMについては、ほぼ手放しで日本の文化、製品を褒め讃えています。こういう読み物は、「海外の目」から褒められることで日本人の自尊心をくすぐり、自己満足的に読めて、私はひねくれ者なのでそういうニーズへの媚びを感じてしまいます。著者が文庫版あとがきで、「どうも日本についての思いを外側という立場から書こうとする時、それが具体的に"褒める"という形態の表記でなければ、単純な他国との比較論ですら『自己否定』と解釈してしまう傾向が日本の人にはある」(228~229ページ)と書いているようなプレッシャーを感じてのことなんでしょう。著者は「読者の方にどのように受け取られようと」(229ぺーじ)と言ってはいますが。
私には、日本についての部分よりも、日本の男性ファッション誌に出てくるようなイタリア人男なんていない、イタリア男はイタリア女の怖さを知りそれでもそのおっかなさへの切ない欲求と諦めをもってこその渋みや色気なのだ、イタリア女性はキレる時は完璧にキレるとかの、イタリア人の紹介の方が興味深く読めました。著者がベルルスコーニを相当嫌っているというあたりも…

ヤマザキマリ 幻冬舎文庫 2015年8月5日発行(単行本は2012年3月)