Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

パガニーニの主題による変奏曲(ブラームス)

2014年05月10日 22時37分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 引き続きペーター・レーゼルの演奏で聴いている。
 和田真由子の解説は以下のようになっていた。
・パガニーニの主題による変奏曲(作品35)
 1862年、ブラームスは生活の本拠をウィーンに移した。彼は、ここで出会った名ピアニスト、カール・タウジヒ(1841~1871)の技巧に、完全に魅了された。彼はブラームスと正反対と言えるくらいに性格が違っていたが、二人はすぐに意気投合し、一緒に演奏や議論を楽しんだ。
 ブラームスはシューマンの作品3と作品10、リストの〈パガニーニの主題による練習曲〉の先例をみるにつけ、自分もそういう練習曲をつくってみようとも考えていた。そこに、このタウジヒが、パガニーニの主題による華やかな変奏曲をかかないか、とブラームスに提案したことが、作曲の動機となった。
 この作品35の変奏曲は、各14の変奏からなる2冊のものとなっており、合計28の変奏がある。各変奏ごとに演奏技巧上の問題をつぎつぎと提示しており、技巧的に至難ともいえる練習曲である。ブラームスは、この曲に、「精巧な指のためのピアノの練習曲」と記した。主題は2冊ともパガニーニの無伴奏ヴァイオリンのためのカプリス第24番イ短調からとられている。

 ブラームス29歳の時のこの作品はとても有名である。リストの「パガニーニの主題による練習曲」と合わせて、私もこれまで幾度も聴く機会があった。懐かしい曲だ。
 ブラームスという作曲家の「変奏曲」の手腕の素晴らしさに驚嘆する。変奏曲といえば、ハイドンの主題による変奏曲、そして忘れられないのは第4番シンフォニーの第4楽章。
 近いうちにこの2曲も聞きたくなった。




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4つのバラード(ブラームス)

2014年05月10日 09時43分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨晩は2時くらいまで同じペーター・レーゼルのピアノソロ全集の第3巻を最後まで聴いた。シューマンの主題による変奏曲(作品9)と、4つのバラード(作品10)、購入した時にはこのCDを聴いているが印象に残っていない。同じく和田真由子という方の解説を引用してみる。



・シューマンの主題による変奏曲(作品9)
 主題は、シューマンの《ブンテ・ブレッター》作品99のなかの〈5つのアルブム・ブレッター〉の第1曲からとられた。
 ブラームスはこの主題をもとに16の変奏曲を書いたが、その中の第1から第9変奏までと、第12から第16変奏までを1854年6月、第10と第11変奏を8月12日の聖クララの日に、それぞれデュッセルドルフで作曲した。
 シューマンはライン河の投身を救助されて以来、すでに精神病院に収容されていて、一進一退の毎日を送っていた。一方クララ・シューマンは、家族を維持することに全力を傾けていた。こうしたときにブラームスは、クララへの慰めと、シューマンへの敬意をかねて、この変奏曲をかき、クララに捧げたのであった。

・4つのバラード
 1853年、ブラームスはデュッセルドルフのシューマン家を訪ねた。そして、作曲家、またピアノの名手として、シューマン夫妻が最も信頼する音楽家となった。これらの4曲は、作品9《シューマンの主題による変奏曲》とほぼ並行して、1854年夏に、デュッセルドルフで書き上げられた。そして、1856年に出版され、友人でピアニストのユリウス・オットー・グリムに捧げられている。
 これらの4曲は、それぞれ独立させて演奏されることもあるが、調性的な関連があることから、まとめて演奏されることも多い。

 今回、この「4つのバラード」がとても気に入った。ブラームス20歳の時の作品である。静かに語り掛けて大きな盛り上がりを経て再び静かに終わる第1・第2・第4曲がことにいい。第3曲は現代音楽を聴いているような歪な雰囲気の動機の強奏から始まる。これも印象的な雰囲気である。
 これは夜作業をしながらでも聴いていたい曲のひとつとして記憶しておこうと思った。




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