Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

多賀城跡と陸奥総社宮、東北歴史博物館

2014年05月27日 22時18分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 朝9時53分の仙石線でまずは多賀城へ。仙石線は津波の被害で現在も表記区間はバス代行区間。松島海岸駅の次の高城町駅までと、陸前小野駅から石巻駅までは折り返し運転をしている。
 陸前大塚駅と東名駅は、過去に何回か下車して歩いたところである。それだけに身につまされる。そして東名駅には偶然にも昨年、同窓会で訪れた。プラットホームしか残っていない鉄道跡に愕然としたことを覚えている。



 多賀城駅はなかなか洒落ている。多賀城の政庁にあったと思われる門をイメージしたデザインと思われる。この出口の左側の赤い柱のところに多賀城市の観光案内所があり、多賀城跡のパンフをいくつも置いてあってありがたかった。
 駅前のタクシー乗り場で、陸奥総社宮経由で政庁跡までを依頼。総社宮で10分ほど待ってもらって、2020円。

         

 この総社宮は多賀城政庁には切ってもも切り離せない関係であったと思われる。しかし現在の規模はそれほど大きくな境内とは思えなかった。ここには樹齢600年という杉の大木と、樹齢200年の白木蓮があり、その大きさにはビックリ。

   

 政庁跡からこの宮を通って鹽竈神社までが古来の道であったのではないか、とタクシーの運転手からの情報であった。時間があれば鹽竈神社まで歩きたかったが、時間もないので断念。
 政庁跡には案内の標識が随分立っていた。20年近く前に訪れたときには夏の暑い盛りでゆっくり見るゆとりもなかったが、今回は無料ボランティアの方もおり、見学者も20人近くいた。案内用のチラシももらい、助かった。
 政庁跡は南側の海に向かってなだらかに下っていく道がある。これを下から見上げると結構の高さがあり、政庁跡の門などは人を圧する力がある。また政庁跡から見下ろすと、当時の都邑と思われる地域と遠くに海路を望むようにできているのではないかと直感した。これは後で鹽竈神社を見に行ったとき納得した。今は、三陸自動車道と仙石線、東北線を見下ろすことができる。塩釜市の港も近くに見えたはずだが、霞んでいて見えなかった。
 この案内チラシで、市川橋いうところまで三年前の津波が来たとボランティアの方が教えてくれた。当時は現在よりも海が近くまで迫っていたという印象を強くした。
 外郭南門が復元される予定とのこと。

 なお、案内板による記載では、貞観地震後の建替えも判明したようだ。

   

 また前回も見た、多賀城碑(壺碑(つぼのいしぶみ))にもボランティアガイドがついていた。
 この政庁跡だけでも一辺が約900メートルという広大なもの。下の都邑と合わせるとどのくらいの人がここに居住していたのかと知りたくなった。1万人という数字がガイドから出ていたが、素人判断だが、数万人規模ではないのだろうか。私はこの政庁に上り下りする道に国司の権威、多賀城の繁栄を垣間見たように思った。
 時間があれば、貴船神社・高上神社、多賀神社、荒脛巾(アラハバキ)神社、多賀城廃寺跡なども見てまわりたかったが無理であった。貴船神社があるということは海上交通の安全祈願の神だから、多賀城は海とは切り離せない場所に位置していたことは確かだ。
政庁跡から南北大路のに近い現在の道を降りながら幾度か振り返ったが、当時の様子を思い描くには南門跡の復元が待たれると思った。
 しかし後から気が付いたのだが、南北大路の角に当時陸奥国に漏刻を置いたとされる「漏刻」のモニュメントがあった。これは私はまだイメージが出来ていないので是非見たかった。残念である。すぐそばを駅の方に曲がってしまっていた。
 さらにあやめ園があり、まだ花が残っていたとのこと。これから政庁跡を見たら良かったかもしれなかった。時間も気持ちのゆとりのない見学は禍根ばかりを残してしまう。反省。



      

 東北歴史博物館は大きな建物で、東北線の国府多賀城駅のすぐそば。
 ここでは二つの展示が目についた。ひとつは中尊寺金色堂の内陣柱の復元模型。阿弥陀堂の阿弥陀のある四方に立っている柱。金粉を使った蒔絵、螺鈿細工などその精巧で美しい輝きに目を奪われる。この技術は都からもたらされたものであろうが、どのようなルートで職人が動いたのだろうか。
 もうひとつ目を惹いたのか、移築したという江戸時代の今野家住宅。この冠木門の形状にビックリした。神社の鳥居の形を彷彿とさせてくれる。そして鳥居という言葉が浮かぶと同時に、吉野ヶ里遺跡で見た、村落の入り口にたてられた鳥型の模型を先端に飾った柱を思い出した。鳥型の柱→冠木門→鳥居という連想は、素人の飛躍したものだろうか?

 ここのミュージアムショップで展示品のカタログを探したがいいのが無かった。そして陶器の素敵な猪口があったが、予算オーバーで断念した。



 すぐそばの東北線国府多賀城駅から東北線塩釜駅まで一駅を乗車。国府多賀城駅は今から12年前に新設された駅で無人駅。仙石線の多賀城駅の方が市庁舎なども近くにあり、人の利用は多いようだ。多賀城駅の傍には、多賀城史遊館、多賀城市文化センター(埋蔵文化財調査センター)などもあり、訪れても良かったかもしれない。

 ここまで、駆け足のように2時間半くらいで回った。




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無事横浜に帰着

2014年05月27日 12時10分49秒 | 山行・旅行・散策
 雨の降り続ける東北・関東を通り抜け、無事に6時30分前に横浜駅東口に到着。雨も小降りになっていた。この雨のため速度制限がかかり、定刻より15分近く遅くついた。乗り継ぎがあるわけでないので、私は特に問題はない。

 行きも帰りも夜行バスは空いていた。足も十分伸ばせるし、リクライニングもかなり倒せるので思ったよりは楽であった。
 難を言えば、3列とはいえ狭い車内で、両脇も前面もカーテンがしっかりと締められていて、すぐに消灯となり暗い室内に7時間近く閉じ込められるのは気分的につらい。息苦しさを感ずる。
 便所も後部についていて、きれいに掃除はされているが、その行き来はみんなが寝ていてちょっと気が引ける。往復とも朝4時位に便所を使わせてもらったが、歩きづらい。4列座席での中央通路の方が若干広めだと思う。
 乗客は若い人は男女共いるが、熟年以上は男ばかり。高齢者には体力的につらいのかもしれない。

これだけジッとして朝を迎えると、降車した後に適度に体を動かし、そのあとどうしても風呂に入りたくなる。せめてシャワーを浴びたい。
 仙台についた時は、仙台駅東口から歩いて30分程の国分町2丁目に終日営業のサウナがあり、「3時間コース1080円」ということで2時間半ほどここで仮眠もした。なにより最初に30分の歩行というのが、心地よかった。ただしここは「男性専用」ということで、女性は利用できない。
 横浜駅東口に戻った時は雨のため西口からタクシーを利用したが、西口まで5分以上歩いているうちに血行は良くなったと思う。家についてすぐに風呂に入って体をほぐし2時間ほど横になった。

 今回の旅行では、多賀城跡、鹽竈神社、松島-瑞巌寺、東北大片平キャンパスの「魯迅の階段教室」を訪れた。行く先々で震災の爪痕や痕跡を確かめながら、歴史を辿った。

 第一回目は駆け足で廻った多賀城跡と東北歴史博物館の模様を、可能ならぱ忘れてしまわないよう本日中にアップしたいと思っている。しかし15時から講座がある。それに出席後気力が残っていたらであるが‥。





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