


本日はお昼に予定をたてた「絹と鋼-神奈川とフランスの交流史-」を神奈川県立歴史博物館を見に行ってきた。
幕末の横浜開港以降、神奈川の地でフランスとの交流史を追ってみる企画となっている。
1858年、日仏修好通商条約が締結され、横浜港をとおして日本の重要な蚕糸がフランスにも大量に輸出され、フランスからは造船・製鉄技術がもたらされ、日本の「近代化」に大きな「貢献」がなされた。近代化についての評価はさまざまあるという保留はしておく。さらに横須賀に製鉄所・造船所が設けられ、軍港都市横須賀が誕生し、横浜にはフランス領事館が設けられた。
展示では数多くの当時の写真が展示され、それをとおして幕末・開港の頃の習俗が細かく見ることができる。
私の眼を特に惹いたのは、1860年の「横浜大湊細見之図」(五雲亭貞秀)。これは神奈川の宿全体とこの宿から鳥瞰した横浜の開港地(現関内から海までの地)を細かく描いある。神奈川宿の二つの本陣を中心とした全体図を画面の下に、横浜道の起点である芝生村を右に大きく回り込んで、関内の開港地までの全体を見渡すことができる。
芝生村の船着場と云われたところも描かれていた。さらに神奈川の宿のほぼ中心にある洲崎神社の海岸部に船着場があり、今の大桟橋のところにある当時の桟橋である象の鼻地区まで渡しで行き来していたことなどが分かる様な記載がされていた。
この図面は是非手に入れたいと思ったが、ミュージアムショップでは販売されていなかった。当時の状況と神奈川宿の繁栄、関内近郊の賑わうが細大漏らさず見て回ることができた。
多くの写真では居留フランス人の眼線で撮影されていて、これまで日本で流通していた写真とはちょっと違う雰囲気もあり、目のつけどころの違いなど興味深かった。当時の日本の子供の好奇心旺盛の輝いた目を納めた写真も面白かった。芸者などの写真は意外と少ない印象で、道ゆく人、職人、漁師と漁船、剣術の稽古など日常の一コマが新鮮に見えた。幕末・明治のころから比べて現代の日本人の顔は随分変化したという指摘もある。大きく変化して今では見かけないような顔と、今そこを歩いているような顔も散見して、どこか不思議な感じもする。
そして意外と月代と髭を丁寧に剃っているな、という印象を受けた。日本に残っている写真は身構えて、正装して気張っている写真が多いが、今回展示されている日常風景の一コマ、旅の途中の一コマの写真は、武士だけでなく、庶民も職人も身だしなみには気を使っていたのかな、という印象を受けた。



さらにこの企画展示は、世界遺産登録となる予定となった群馬県の富岡製糸場と絹産業遺跡群とのタイアップ企画である。そのパンフレットも同時に会場に置かれていた。
横浜で生糸検査士として勤務していたフランス人ポール・ブリューナが゜明治政府と契約して、富岡に製紙工場を作ることになり、フランスの技術で完成。官営工場として創業したが、三井を経て1902年から1938年までは横浜の原三渓の経営する原合名会社の経営となっている。横浜-フランス-富岡という関連付けの展示になっている。
もうひとつの収穫はピゴーの油絵が展示されていたことである。ピゴーも西洋画の技法と油絵を伝えるのに大きな功績があったと云われているが、その当のピゴーの油絵を見たことはなかった。鎌倉と思われる海岸の漁船などを描いた絵があった。見よう見まねでこのような絵を倣ったのかとしばらく見とれた。ピゴーにとっては専門ではない上に特に優れた油絵とは考えなかったが、当時の貪欲な知識欲を想像してみた。


今回の展示については、横浜の関内にある、シルク博物館の「世界に羽ばたいたスカーフたち」展(~6/22)、横浜開港資料館の「蚕の化せし金貨なり‥」展(~7/13)との連携事業のようでもある。出来るだけ早めにこの2館を訪れようと思う。
