今日は会報を作りながら、すっかりブラームス漬けになった。といっても先ほどの交響曲4番と、今回の交響曲2番&ハイドンの主題による変奏曲を2回ずつ聴いただけであるが‥。
私は交響曲第2番については第2楽章の第1テーマを奏でるチェロがいいと思う。第1楽章や第3楽章の軽快な明るい楽想や派手なフィナーレを好む方が多いようだが、私はなんといってもこの第2楽章である。
「ハイドンの主題による変奏曲」、実は近年までハイドンの曲とされていた主題は、ハイドン作ということは否定されている。ただブラームスの頃はハイドン作と信じられていた。
好みで言えば第4変奏と第8変奏が私は好きであるが、全体をとおして聴くのがやはり一番いい。
ブラームスはメロディーが次から次に頭の中に浮かんでくる作曲家ではないと自分で言明していたらしい。確かに短いフレーズを丹念にさまざまに変容させながら、音楽を緻密に構築していった作曲家である。それが私の好きなところなののだが‥。そしてそのことがブラームスの変奏曲が私を引き付ける根拠である。先人のモチーフを丹念にさまざまな手法、編成、表情で再構築する。ある主題を丁寧に発展させ、構造物として定着させる力量を、変奏曲という形でいかんなく発揮したのではないかと思う。
たとえば今回の交響曲第2番でも、D-Cis-Dという極く単純な音型が全曲に現れる基本的なモチーフと解説される。ブラームスはメロディーも低音の支えもこのような単純な音型から全体を構築していく。チャイコフスキーが表情豊かな旋律をさまざまに惜しげもなくちりばめるのとは違う曲の作り方である。
友人のひとりはこの構成的で分析的な音楽の作り方は「現代音楽の先駆け」と評していた。わからなくもないが、それは一面的な把握のような気がしている。抒情性と普遍性の両方を捨てる、あるいは断念したところで成り立つとしか思えない幾人かの現代の作曲家の音楽とは、あまりに落差が大きい。
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