Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

交響曲第2番とハイドンの主題による変奏曲

2014年05月12日 20時58分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 今日は会報を作りながら、すっかりブラームス漬けになった。といっても先ほどの交響曲4番と、今回の交響曲2番&ハイドンの主題による変奏曲を2回ずつ聴いただけであるが‥。
 私は交響曲第2番については第2楽章の第1テーマを奏でるチェロがいいと思う。第1楽章や第3楽章の軽快な明るい楽想や派手なフィナーレを好む方が多いようだが、私はなんといってもこの第2楽章である。
 「ハイドンの主題による変奏曲」、実は近年までハイドンの曲とされていた主題は、ハイドン作ということは否定されている。ただブラームスの頃はハイドン作と信じられていた。
 好みで言えば第4変奏と第8変奏が私は好きであるが、全体をとおして聴くのがやはり一番いい。

 ブラームスはメロディーが次から次に頭の中に浮かんでくる作曲家ではないと自分で言明していたらしい。確かに短いフレーズを丹念にさまざまに変容させながら、音楽を緻密に構築していった作曲家である。それが私の好きなところなののだが‥。そしてそのことがブラームスの変奏曲が私を引き付ける根拠である。先人のモチーフを丹念にさまざまな手法、編成、表情で再構築する。ある主題を丁寧に発展させ、構造物として定着させる力量を、変奏曲という形でいかんなく発揮したのではないかと思う。
 たとえば今回の交響曲第2番でも、D-Cis-Dという極く単純な音型が全曲に現れる基本的なモチーフと解説される。ブラームスはメロディーも低音の支えもこのような単純な音型から全体を構築していく。チャイコフスキーが表情豊かな旋律をさまざまに惜しげもなくちりばめるのとは違う曲の作り方である。
 友人のひとりはこの構成的で分析的な音楽の作り方は「現代音楽の先駆け」と評していた。わからなくもないが、それは一面的な把握のような気がしている。抒情性と普遍性の両方を捨てる、あるいは断念したところで成り立つとしか思えない幾人かの現代の作曲家の音楽とは、あまりに落差が大きい。




人気ブログランキングへ

風が強い

2014年05月12日 15時33分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から強風が吹いている。セキセイインコをベランダに出していたが、風に怯えているようでジッと静かにしていた。お昼過ぎに部屋の中に入れたら、落ち着いたようだ。
 朝から退職者会のブロック用の会報を作成した。いつものとおりこの二ヶ月の活動報告を簡単に。とはいってもA4裏表、デザインを考えながら記事を書くのは結構疲れる。現役の頃はモノクロであったが、全面カラーとなると配色のセンスが問われる。これはなかなかつらいものがある。
 5時間かかってほぼ会報が出来上がったので、運動がてらこれから横浜駅まで歩いてみることにした。講座ひとつ分のの受講料の請求も来ているので支払いをしなくてはいけない。風がまったくおさまらず、逆に強くなっている気配もあるので用心しないと何が飛んでくるかわからない。




人気ブログランキングへ 

ブラームス 交響曲第4番

2014年05月12日 11時46分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 先日のブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」から変奏曲という言葉をきっかけにこの交響曲第4番にたどり着いた。
 最近は室内楽や独奏曲ばかり聞いているので、フル編成のオーケストラが実に新鮮に聞こえる。しかも演奏はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニーでという組合せだから大編成の音の響きや効果、演出は徹底的に計算されているはずだ。それが鼻につくという人も多い。しかし音の立体的な構築ということでは、そのような計算し尽くされた建築物というのも作曲家の意図したことなのかもしれない。
 帝王といわれたカラヤン、翌年の4月にベルリンフィルの指揮者を辞任して三か月せずに亡くなっている。このCDはカラヤンの死の前年の1988年録音である。
 このCDもここに掲げたブラームスの解説は2ページだが、この後ろにはカラヤンの詳細な年譜が3ページと最終ページにカラヤンの大写しの写真となっており、ブラームスはかすんでしまっている。もっともカラヤンの死を機に発売された追悼盤なのかもしれないから、やむを得ないのだろうが‥。
 生前から帝王、或いはそれを通り越して神のように君臨したカラヤンならではの扱い(もっともドイツグラムフォンだからだろうが‥)がされていて、それがウンザリという人も多い。私もどちらかというとその口。ということで、我が家にはカラヤン・ベルリンフィルの組み合わせは、このブラームスの交響曲4曲しか持ち合わせがない。

 ブラームスの交響曲はどれも好きである。複雑な構成、知的な動機処理と抒情的なメロディーが絶妙なバランスをとっていると感じる。
 特にこの第4番は第1楽章から第4楽章まで特徴ある楽章が並んでいる。第4楽章に向かっていく盛り上がりも聞いていてあきないし、変奏曲である第4楽章は、その変奏の区切りを耳で追いながら聴く楽しみもある。
 カラヤンにとってはこの知的で複雑な構成を丁寧に再現してみせるという手腕が発揮される楽曲だったと思う。他の指揮者の演奏のCDは持ち合わせは無いが、いくつかは演奏会で聴き、あるいは友人のもつCDで聞かせてもらったりした。好き嫌いは別として一つの基準になる、完成度の高い演奏なのだろうと勝手に思っている。
 しかし抒情性に着目して、そして強固な構成力をこれ見よがしに見せることをしない演奏というのも決してブラームスの意図を外してはいないので、そのような演奏も手元に置いて聴きたいとは思っている。誰の演奏がいいのだろうか。

 この楽曲の解説の中でシェーンベルクのブラームス評価が引用されている。保守主義者ブラームスは同時に革新主義者ブラームスでもあった云々。なかなかの評価だと感じている。ブラームスという作曲家、バロック音楽や古典音楽の基礎をきちんと固めた人との評価とともに、さまざまな工夫・新しい試みを貪欲に取り入れたと言われている。 音楽に、芸術作品に人間の持つ破壊的なエネルギーや暗い情念の発露や、芸術のよって立つ根拠に個人の思想と社会との厳しい軋轢によってもたらされる動揺を求める人や、そのような気分の時には不向きかもしれない。
 私も気分が安定した時や、静かに内省的になっているときに好んで聞きたい曲である。しかし人間、そのような時ばかりではない。



人気ブログランキングへ