Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

顎関節症

2014年05月30日 21時21分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先週突然顎の関節部分が痛くなり、痛みを伴わないと口が開けられなくなった。次第にその痛みがひどくなり、仙台から帰ってからさらに痛みが強まった。水曜の夕方に家の傍の歯科に駆け込んだ。
 診断の結果、顎関節症、との診断をされマウスピース(スプリント)の装着が有効でかつ必要といわれ、型取りを行った。
 確かに中学生の頃から顎の関節がカクカクいうようになり、これまで45年以上それを我慢してきた。昨年には別の歯科医からも「食いしばりが強いようで、舌の左右に噛み跡の線が強く残っている」と云われていた。
 しかし最近は精神的なストレスを感じたりすることもないし、頬杖をつく癖・うつぶせ寝もなく、歯ぎしりなどもないし、むし歯・歯周病もなく、安心しきっていた。
 一昨日に型取りをしていたマウスピースが本日出来上がり、装着した。これは食事中は外すように云われたが、普段は就寝中も装着して居なくてはいけないとのことである。
 しかし装着してみると意外と疲れるもののようだ。歯医者から帰宅して先ほど夕食前まで、装着していたが、次第に疲れて食事15分前にはたまらずに取り出してしまった。
 明日昼前にこのマウスピースの微調整をするために通院することになった。この治療が功を奏してこのまま症状がおさまって欲しい。歯ごたえのあるもの、硬いものが好きな私には、ものを噛めないというのはとても寂しいものだということをあらためて実感した。



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松島訪問

2014年05月30日 17時51分50秒 | 山行・旅行・散策
 阪神淡路大震災の発災したその日に松島を訪れていたことは以前に二度ほど記載したが、それ以来初めてとなる松島訪問であった。私自身はそれ以前に二度ほど訪れているので、4度目ということになる。
 いつ来ても表面上は変わらない。3.11の地震・大津波を経たのだが‥。高さ3メートルほどの津波に襲われたといわれている。事実商店の窓ガラスには「津波はここまで」という表示がされているものもあった。しかしたくましくも、また観光客もかなり多くあるようで、表面上はそのような痕跡は見当たらない。

      

 まずは国の重要文化財である五大堂を訪問するために海沿いを歩いたが、波をかぶってもさすがに松はたくましく、今年の新芽をたくさん出していた。

         

五大堂は1604年の創建。華麗な彫刻を伴った桃山建築の流れを汲むが、当時の彩色はさすがにもう見ることはできない。

         

 瑞巌寺は、伊達氏移封直後に当時の未だ徳川幕府と緊張関係の強いことを反映し、城郭的色彩を帯びて、天台宗の寺を禅宗寺に建替えたもの。
 3.11の津波の時は、参道を約100メートルほど、海岸からは200メートルほど入ったところで津波は止まったようだ。しかしそのために参道に沿って昔から植えられていた松と杉の巨木の森は海水につかり、松は生き延びた者の杉はほとんどが枯れ、現在根元から伐られてしまっている。木がかなりまばらなのはとても寂しいものである。
 五大堂も、山門も地震の揺れでは何の被害もなかったようである。建築水準の高さと同時に、堅牢さは城郭的色彩を証明もしている鵜である。また建て替え工事中の大書院、庫裡等の建物の瓦は取り払った後であったためにすべてそのまま保存されているとのこと。
 瑞巌寺はもともとは9世紀に天台宗寺院として創建されたと伝えられているが、海岸の左岸を削った洞窟に僧坊が設けられるなどの特異な実態があったようだ。

      

 この瑞巌寺の洞窟群と参道を見学後、松島湾内一周。月曜日であったが、ホテルも大勢が泊まっており、観光客でどの船もいっぱいの盛況。水準は震災前に戻っているのであろうか。

      



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