展覧会では、絵巻、仏画、室町時代の水墨画・大和絵屏風、近世初期風俗画、寛文美人図と初期浮世絵、黄金期の浮世絵、文人画、琳派、狩野派と長谷川等伯、仙の絵という構成になっている。
私は仏画、琳派、等伯が大きな目的だったので、それ以外は熱心には見なかった。というか見るだけの力量がないというか、惹かれるだけの感性がないというか、もっと知識と感受性があればいいのだが‥。
ただし「北野天神縁起絵巻」、雪舟の「破墨山水図」、相阿弥の「山水図」、室町時代の大和絵屏風、浮世絵の美人画の顔の描かれ方の変遷などを見ることができたのは良かった。いづれ頭の中を少し整理してみたいと思った。
この展覧会を見に行った大きな目的の一つがこの「山越阿弥陀図」(詫磨栄賀、南北朝時代) 。山越阿弥陀図はいくつもあるが、どういうわけが以前に何かの本でこの作者のものを見て、心に残っている。印刷はあまりよくなくてほとんどモノクロだったことと、「詫磨」と「南北朝」ということが記憶されている。
阿弥陀三尊像では確か右が勢至菩薩、左が観音菩薩だったと思うが、図を見ただけでは私はわからない。阿弥陀来迎図は昔からあったようで平安時代のものも見たような気がする。
山越という様式は鎌倉時代以降らしい。山岳信仰の影響、ならびに山の稜線を彼岸と此岸の境界に見立てているとのこと。日本的な変容らしい。
ただ私が引かれたのが二菩薩とも顔が仏像・仏画にはない人間的な、それも女性的な顔に見えるところである。顔だけでなく、観音菩薩では、手を合わせる形、腰が引けて膝が曲がっており、両足が肩幅に開いている。勢至菩薩でも少しだけ腰が引け、器をささげる左手、ハの字に開いた足の形。いづれも菩薩らしくない。立ち姿が何となくしまりがないのが人間的で面白い。
ぬっと出てくる阿弥陀もどこか剽軽で「いないいないばぁ」という感じである阿弥陀だから西からであるが、満月が東からでるような具合だ。
これは俵屋宗達作と伝えられている、「月に秋草図屏風」。上が左双で下が右双。月が作られたころは銀色に輝いていたと思うが、今は黒く変色している。元の輝きで見てみたいものである。
大きな金箔の画面に、細かく小ぶりの秋草がちりばめられている。この散らばり方が私には好ましく感じる。金箔というものが、落ち着いた感じに見えるというのも不思議である。
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