Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日から始まる講座

2014年05月20日 22時26分31秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 明日からはこの「中世の伊勢参宮」が始まる。前回まで2回講座を受講したが、いづれも半分ほどしか出席できずにいたので、今回は欠席せずに聞きたいと思っている。

 「神道」というもの、体系が出来たのが仏教よりも後であることを前回は教わった。ここら辺の議論は聞きかじりに近いので、さらに勉強したいと思っている。「体系化された神道」と古来からの地域神への信仰を明確に分けて理解する必要があることは私の持論だが、このことをキチンと歴史的に説明しうる議論を期待している。その一助となってほしい。

 さらに明日は「桃山絵画の4大巨匠を紐解く」の第3回目の講義がある。いろいろと刺激的な一日になりそうである。




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本日からの講座

2014年05月20日 21時44分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日から始まった講座は日本のアジア外交を考えるというもの。
 講師の田畑光永氏の講座は2回ほど聞いている。歯切れのいい講義はなかなか好評でいつもかなりの受講者がいる。
 本日は今回の講座の第一回目であっが、印象に残ったこと、思いついたことがある。
 日本と中国・朝鮮半島との接触で言えば、有史以来の接触で、白村江・元寇・秀吉の朝鮮侵略・明治政府以来の戦前の中国・朝鮮支配の歴史がある。
 前二者が、白村江も日本が中国に攻め込まれるという危機意識があもったとして、見方によっては受け身の戦いではなかったか。また元寇はまさに受け身の戦いであった。
 そして織田信長に始まる織豊政権は初めて日本が西欧と接触するのだが、当時の弱肉強食の世界観を踏襲して、秀吉による朝鮮・中国への野望となってなだれ込んだといえる。さらに19世紀になって欧米の植民地支配の時代状況を受けて、朝鮮併合・中国侵略へと突き進んだ。
 この欧米の世界観との接触、欧米の文化の受容の差が、現代の中国・朝鮮・日本三国の関係に大きな影を投げかけているのではないか、ということが示唆された。
 これからの講座でそのことが解明されると期待しているが、興味のある示唆であったと思う。私には全体を理解できるほどの力量はないが、明治維新以降の脱亜入欧の議論、あるいは竹内好のアジア論と絡めて考えて見たいと思った。

 少し私の問題意識に引き寄せすぎた感想かもしれないが、いろいろと現代を考えるいいきっかけになってほしい講座である。

 講座終了後、50年ぶりに机を並べた友人とビールを飲みながら楽しい時間を過ごした。昨晩ほどには酔わずに、ちょうどいい酒量で治めることができた。明日はアルコールを抜く日にしたいと思う。






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「日本絵画の魅惑」展(その2)

2014年05月20日 13時03分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 展覧会では、絵巻、仏画、室町時代の水墨画・大和絵屏風、近世初期風俗画、寛文美人図と初期浮世絵、黄金期の浮世絵、文人画、琳派、狩野派と長谷川等伯、仙の絵という構成になっている。
 私は仏画、琳派、等伯が大きな目的だったので、それ以外は熱心には見なかった。というか見るだけの力量がないというか、惹かれるだけの感性がないというか、もっと知識と感受性があればいいのだが‥。
 ただし「北野天神縁起絵巻」、雪舟の「破墨山水図」、相阿弥の「山水図」、室町時代の大和絵屏風、浮世絵の美人画の顔の描かれ方の変遷などを見ることができたのは良かった。いづれ頭の中を少し整理してみたいと思った。



 この展覧会を見に行った大きな目的の一つがこの「山越阿弥陀図」(詫磨栄賀、南北朝時代) 。山越阿弥陀図はいくつもあるが、どういうわけが以前に何かの本でこの作者のものを見て、心に残っている。印刷はあまりよくなくてほとんどモノクロだったことと、「詫磨」と「南北朝」ということが記憶されている。
 阿弥陀三尊像では確か右が勢至菩薩、左が観音菩薩だったと思うが、図を見ただけでは私はわからない。阿弥陀来迎図は昔からあったようで平安時代のものも見たような気がする。
 山越という様式は鎌倉時代以降らしい。山岳信仰の影響、ならびに山の稜線を彼岸と此岸の境界に見立てているとのこと。日本的な変容らしい。
 ただ私が引かれたのが二菩薩とも顔が仏像・仏画にはない人間的な、それも女性的な顔に見えるところである。顔だけでなく、観音菩薩では、手を合わせる形、腰が引けて膝が曲がっており、両足が肩幅に開いている。勢至菩薩でも少しだけ腰が引け、器をささげる左手、ハの字に開いた足の形。いづれも菩薩らしくない。立ち姿が何となくしまりがないのが人間的で面白い。
 ぬっと出てくる阿弥陀もどこか剽軽で「いないいないばぁ」という感じである阿弥陀だから西からであるが、満月が東からでるような具合だ。

   

 これは俵屋宗達作と伝えられている、「月に秋草図屏風」。上が左双で下が右双。月が作られたころは銀色に輝いていたと思うが、今は黒く変色している。元の輝きで見てみたいものである。
 大きな金箔の画面に、細かく小ぶりの秋草がちりばめられている。この散らばり方が私には好ましく感じる。金箔というものが、落ち着いた感じに見えるというのも不思議である。




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最近は記憶をなくす

2014年05月20日 01時10分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は退職者会の幹事会終了後、横浜駅で飲み屋街に繰り出した。豚足や豚の尻尾・耳・胃などを食べさせてくれる店である。年に数回は一人でも出かける店なのだが、他の人と行くのは久しぶりであった。
 焼酎を3杯ほども飲んで、急な階段を手すりにつかまって店の外に出たことと、一緒の人をタクシー乗り場まで送ったところまでは記憶に残っているが、それからの記憶が無い。
 家についてそのまま眠ってしまった。先ほど目が覚めて「お金を払ったかな?」とチョイと慌ててしまった。

 これはまずい‥。



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