Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

日本国憲法前文を読み返してみた

2014年05月16日 21時17分38秒 | 読書
 今朝、憲法前文についての私の思いを綴ってみた。折角の機会だから、当の前文を掲載してみることにした。
 押し付け憲法だから悪いとか、いいとかの話ではなく、この理念が目標として掲げることは正しいのか、意味がないのか、そこの議論をキチンとしてほしいのだ。
 理念だけで実効性がない、無力だというのは理想を捨てた、政治の目標を失った人間の言でしかないと私は思うが‥。

★日本国憲法 
前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。





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日比谷公園のバラ

2014年05月16日 20時29分41秒 | 読書
 本日は出光美術館で開催されている「日本絵画の魅惑」展の後期展示を見に行ってきた。後期展示では、「十王地獄図」(鎌倉・南北朝期)・「祇園祭礼図屏風」(桃山期)・「八ツ橋図屏風」(酒井抱一)・「桜・楓図屏風」(鈴木其一)・「桜・桃・海棠図屏風」(狩野長信)・「波濤図屏風」(長谷川等伯)などを見ることができた。

 特に長谷川等伯の「波濤図屏風」は素晴らしいと思った。2010年に東京国立博物館で「長谷川等伯」展が行われて多数の作品を見て、当時展示された禅林寺の「波濤図屏風」にいたく感銘を受けた。その絵と今回展示されているものを比べると、右双はほとんど同じ構図であるが、青い色と金箔の色がこちらの方がずっと印象的であると同時に、保存状態がいいのかもしれないと感じた。岩・波の輪郭がこちらの方がずっと鮮明である。
 岩と波の描き方に等伯という画家の大胆でスケールの大きさを感じた。
 詳細は図録のスキャンが終わり次第、掲載する予定。

         

 会場を後にしてから、すぐ近くの日比谷公園にバラを見に行った。鼻が効かない私でも多少匂いを嗅ぐことができた。

        

 日比谷見附側の一部にあるバラ園では、多くの人がベンチに座ってくつろいでいる中、バラの品種名などを追いながら一周した。
 帰りは心字池を巡って楽しむことができた。





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憲法前文

2014年05月16日 11時02分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日のブログをツィッターをとおして見た古くからの友人との会話をしていて、思い出したことを記載してみる。

 中学生になって国語の時間にいくつかの詩歌などを覚えさせられた。まずは松尾芭蕉の奥の細道の最初の段。さらに古今和歌集の仮名序、平家物語、徒然草、方丈記、枕草子、源氏物語などの冒頭部分など繰り返し声に出して読むことで、いつの間にか覚えていた。授業の一環として暗記することを求められたが、特につらかった覚えはない。また短歌・俳句、現代詩まで授業で暗記を求められたりはしなかったが、自然に暗記していた。
 中学3年生の時であったと思うが、当時の「政治・経済」の授業の時憲法前文を全部暗記させられたことを思い出した。当初は慣れない言葉が並び、硬い文章だったのでとても嫌だった。
 古典の文章と違って、この日本国憲法の前文はどう見ても口調が整っているわけでもないし、硬い法律用語に近い。かなり頭の中に入っていくには抵抗があった。そう簡単に飲み込めるものではなかった。
 不思議なもので、暗記するために必死になって口の中で唱えていると、次第に意味も飲み込めるようになったし、抑揚を覚えて来て妙に親しみの湧く文章になってきた。

 不思議なもので徹底的に覚えると、この理想主義的な「平和主義」の主張にとても親しみを感じるようになる。憲法本文全体に対する違和感は持ちつつも、この前文の理想主義は悪くないな、と思っていた。
 就職後も30歳の頃までは時々何かの拍子に、不意にこの前文が口をついて出てくることがあった。特に政治的な話を聞いたりしたりしている時ではなく、お酒を飲んでいるとき、道を歩いているとき、まったく関係の無い仕事をしているとき、ふと頭に浮かんできて、口が動いていた。
 それは冒頭にも記した日本の古典文学の冒頭部分についても同様であった。10代の頃の記憶、暗記というのはすごいものである。すっかり身に染みてしまったというのであろうか。
 私は憲法本体の条項についてはいろいろ意見がある。基本的人権などはいいとしても、環境権などは付けたすべきであろうし、89条に違反する私学への助成など現行のあり方が、憲法違反そのものである。地方自治ももう少し踏み込んだものがいいと思う。三権分立も実効性のある改善が必要ではないか。ここら辺は96条で十分対応できるし、対応しなくてはならないものもたくさんある。

 私は「憲法前文」を基本として9条は変更せずに、それ以外の条文を洗い直してしかるべきだと思っている。だから私は憲法9条を守れ、というだけの主張は今ひとつピンとこない。

 ただし、少なくとも今の安倍首相の解釈改憲はあまりにひどいもので、その解釈がまかり通るなら何でもありであろう、憲法が意味をなさなくなる、いや言葉が意味をなさなくなると感じる。そして法律体系が根底的に崩れてしまうと思う。これはどうしても許したくない。
 友人は「単なる平和主義ではなく、「絶対的な不戦の誓い」であった」と述べていた。そのとおりだと思う。
 わたしが昨日も記載したが、「「軍事力による誇り」よりも「軍事力に頼らない誇り」が気高い」と思う。それを実行するとてつもない困難は承知をしているつもりだ。付け加えるならば自衛隊の存在がいろいろ議論になるが、「武器を持たず、人を助けるための組織」が真剣に模索されることを願っている。

 もうひとつ付け加えるならば、本当のところの気持ちとしては、今の憲法から何しろ天皇条項は削除すべきであると思っている。政治的に関与してはならない天皇という制度が、政治の基本である憲法に規定されていること自体が自己矛盾である。到底私には理解できない。天皇制度が憲法に位置づけられているからこそ、政治的な利用が可能になってしまうという私の思いは、残念ながらとてもとても到達点としては遠いようなのが悲しい。




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