今回の展示では、酒井抱一の「風神雷神図屏風」が呼び物の一つであった。これは同時期に東京国立博物館で開催されていた「栄西と建仁寺」展と通常展示での俵屋宗達と尾形光琳の二つの「風神雷神図屏風」と合わせて、三つが同時に東京で見られると話題になったものである。
ということで、まずは4月の末に宗達・光琳のものを見て、このブログでも比べてみた。折角なので3作をここに並べてみることにした。
上が宗達、中が光琳、下が抱一という贅沢な並べ方である。時代は上から下に下ってくる。
前回私は宗達と光琳を比べて概略次のようにまとめた。
背景の金箔は、光琳のものは黒い雲の割に金の部分が明るくないので絵が引き立っていない。
色の対比が面白いが宗達の方はどうも白が少し退色しているのであろうかはっきりしないところがある。
風神はともに雷神の方を見ている。しかし宗達の雷神の眼は中央の下を見ているのに対し、光琳の雷神の眼は風神を見ている。宗達では初めに雷神が雷を鳴らしているところに風神がそれに和するようにあとから登場しようとしている関係になっている。光琳の方は両者が初めから和するように雷と風を起こしている状況に思える。あるいは競い合っている、力比べをしているようにも見える。
宗達の風神は左から中央への運動方向を示している。雷神はその場でステップを踏んでいる形だ。光琳の雷神は上目づかいに風神の方ににじり寄るような動き、中央へのベクトルを示している。風神の方がその場でステップを踏んでいるように見える。
今回抱一のものを前2者と比べると、さすがに時代が新しいためだと思うが金箔も色も際立って鮮明である。特に白が鮮やかになって、風神雷神が強調されている。
また黒くあらわされている雲は宗達のように薄くなり、風神と雷神が際立って強調されている。雲のおどろおどろしさよりも、一層風神雷神が大きく前面に浮き出てくるようになっている。
筋肉の表現は光琳のものはあまりに現実離れしている筋肉だが、抱一の筋肉はより現実の人間に近い。ただし足の指・爪などは獣のもののようにとんがって強調されている。
衣装とくに褌などは色の対比が鮮明になっている。
雷神の顔の表情はより若くなっていて、特に眉毛が若々しく太くなり、表情が明るくなっている。
両者が見つめ合って呼吸を合わせて踊るような動きは、光琳のものを踏襲している。
この程度が私の感じたものである。
総じて差は微妙なのであるが、宗達→光琳→抱一とより図案化され、躍動感が強調され、色彩がより鮮明になって色の対比が強調されるようになっている。
好みはそれぞれだと思うが、それぞれが独自色や違いを出そうと描いたというよりも、先行者に敬意を表して、忠実に模写した結果として、それぞれの特徴が浮き出た、という感じがする。
いかがであろうか。
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