琳派の絵では、昨日取り上げた、伝俵屋宗達の「月に秋草図屏風」、そして最初に取り上げた酒井抱一の「風神雷神図屏風」、今回の酒井抱一の「八ツ橋図屏風」、並びに鈴木其一の「桜・楓図屏風」の4点が展示された。
この八ツ橋図屏風は、下に掲げた尾形光琳の同名の作品(メトロポリタン美術館蔵)に倣った作品である。比べてみるとすぐに気付くのは、カキツバタの背丈が一回り小さくなり、本数も少なくなっている。金箔の部分が広くなり、全体的にはスッキリした感じになっている。その分の律動感は増している。
葉についても、色の濃い部分が少なくなり全体的に淡くなり重苦しさが無くなっている。カキツバタの群落が若々しくなった。
律動感という点では酒井抱一の方に私は軍配を上げたくなる。より洗練されているといえばいいだろうか。木道(八ツ橋)も色が明るくなり、画面全体を軽くしている。その分、カキツバタの存在感が希薄になったといえるかもしれない。金箔も落ち着いた色合いになっている。
画家の感性は酒井抱一の方がより装飾性重視、視覚重視なのだと思う。より現代的といえる。
もう一つの琳派の作品は江戸最末期の鈴木其一の「桜・楓図屏風」である。これは大胆な構図で人の眼を惹く。桜には幹や枝が描かれず、桜の花だけが大振りに描かれてい。葉の大きさに比べて花びらが大きく描かれ、より装飾性重視の作である。
楓は逆に幹を大きく描き、葉で楓と分かる程度に申し訳なさそうに描かれている。メインは大木の古びた幹である。楓の老木の幹の肌合いと若々しい緑の新しい葉の対照、淡いみずみずしい桜の旺盛な満開の花びらと出てきたばかりの桜の葉の葉脈まで描かれた若々しさの対比。
それぞれの木における対比と、今度は桜と楓の対比と、対比が二重になっている。ある意味で理知的であり、悪く言えば少し懲りすぎているともいえる。その割に広い空間が目立ち、そのくどさを解消しているのかもしれない。
鈴木其一は「朝顔図屏風」や「夏秋渓流図」などのように緑の際立つ描画が印象的でそれが魅力である。この絵には緑の生命力の旺盛さは感じられない。私にはちょっと不満がある絵である。
次回の(その4)で長谷川等伯を取り上げて、今回の感想は終了予定。
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この八ツ橋図屏風は、下に掲げた尾形光琳の同名の作品(メトロポリタン美術館蔵)に倣った作品である。比べてみるとすぐに気付くのは、カキツバタの背丈が一回り小さくなり、本数も少なくなっている。金箔の部分が広くなり、全体的にはスッキリした感じになっている。その分の律動感は増している。
葉についても、色の濃い部分が少なくなり全体的に淡くなり重苦しさが無くなっている。カキツバタの群落が若々しくなった。
律動感という点では酒井抱一の方に私は軍配を上げたくなる。より洗練されているといえばいいだろうか。木道(八ツ橋)も色が明るくなり、画面全体を軽くしている。その分、カキツバタの存在感が希薄になったといえるかもしれない。金箔も落ち着いた色合いになっている。
画家の感性は酒井抱一の方がより装飾性重視、視覚重視なのだと思う。より現代的といえる。
もう一つの琳派の作品は江戸最末期の鈴木其一の「桜・楓図屏風」である。これは大胆な構図で人の眼を惹く。桜には幹や枝が描かれず、桜の花だけが大振りに描かれてい。葉の大きさに比べて花びらが大きく描かれ、より装飾性重視の作である。
楓は逆に幹を大きく描き、葉で楓と分かる程度に申し訳なさそうに描かれている。メインは大木の古びた幹である。楓の老木の幹の肌合いと若々しい緑の新しい葉の対照、淡いみずみずしい桜の旺盛な満開の花びらと出てきたばかりの桜の葉の葉脈まで描かれた若々しさの対比。
それぞれの木における対比と、今度は桜と楓の対比と、対比が二重になっている。ある意味で理知的であり、悪く言えば少し懲りすぎているともいえる。その割に広い空間が目立ち、そのくどさを解消しているのかもしれない。
鈴木其一は「朝顔図屏風」や「夏秋渓流図」などのように緑の際立つ描画が印象的でそれが魅力である。この絵には緑の生命力の旺盛さは感じられない。私にはちょっと不満がある絵である。
次回の(その4)で長谷川等伯を取り上げて、今回の感想は終了予定。
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