本日は久しぶりにブラームスを聴いた。前回のシリーズと同じカラヤン指揮ベルリンフィル演奏の1988年録音盤。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/56/a7/78de84820b885be3dbdd85ec343fcd1e_s.jpg)
18歳の頃に初めて聞いたブラームスの曲が交響曲第2番と、この交響曲第3番であった。とても印象深い曲である。特に第3楽章と第4楽章に痺れた。
第3楽章は、木管のくぐもった響きに、チェロがメランコリックな、それでいて波のようにうねる旋律を歌う。
第4楽章冒頭のファゴットにもとても印象的である。それに和していく弦楽器の刻みも印象的である。
「悲劇的序曲」は「大学祝典序曲」と対になる曲で、ブラームスが依頼された曲が「大学祝典序曲」で、これにどうも満足しきれなかったブラームスが「泣く」序曲として作ったらしい。ハレの檜舞台の曲として作られた曲とは違う曲である。
特に私などのように大学受験のためのラジオ講座に使われた楽想は、とてもではないが、素直に聞くことができないかったし、今も素直になり切れない。ほとんど恨みの世界の愚痴をひとくさり。
18歳の頃の私は、大学とはどうしても「大学祝典序曲」のようにこれほどまでに明るい世界とは言えないと感じていた。矛盾に満ちた社会のそのもっとも端的な縮図で、かつその社会への第一歩であった者にとっては、大学で祝典を奏することなど信じられなかった。私自身の悲劇を歌ってくれるようなブラームスの重々しい響きにどうしても心が惹かれた。18歳とはこんなに明るいものでなければならないのか、というのが捩れた時代の体験である。どうしても「悲劇的序曲」に向いてしまう。
他の世代の人には理解は困難であると思う。素直に人生を謳歌できない世代の愚痴である。こんな愚痴でブラームスの曲を論じるなどとんでもないことはわかっていても、半世紀たっても抜けられないでいる。
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18歳の頃に初めて聞いたブラームスの曲が交響曲第2番と、この交響曲第3番であった。とても印象深い曲である。特に第3楽章と第4楽章に痺れた。
第3楽章は、木管のくぐもった響きに、チェロがメランコリックな、それでいて波のようにうねる旋律を歌う。
第4楽章冒頭のファゴットにもとても印象的である。それに和していく弦楽器の刻みも印象的である。
「悲劇的序曲」は「大学祝典序曲」と対になる曲で、ブラームスが依頼された曲が「大学祝典序曲」で、これにどうも満足しきれなかったブラームスが「泣く」序曲として作ったらしい。ハレの檜舞台の曲として作られた曲とは違う曲である。
特に私などのように大学受験のためのラジオ講座に使われた楽想は、とてもではないが、素直に聞くことができないかったし、今も素直になり切れない。ほとんど恨みの世界の愚痴をひとくさり。
18歳の頃の私は、大学とはどうしても「大学祝典序曲」のようにこれほどまでに明るい世界とは言えないと感じていた。矛盾に満ちた社会のそのもっとも端的な縮図で、かつその社会への第一歩であった者にとっては、大学で祝典を奏することなど信じられなかった。私自身の悲劇を歌ってくれるようなブラームスの重々しい響きにどうしても心が惹かれた。18歳とはこんなに明るいものでなければならないのか、というのが捩れた時代の体験である。どうしても「悲劇的序曲」に向いてしまう。
他の世代の人には理解は困難であると思う。素直に人生を謳歌できない世代の愚痴である。こんな愚痴でブラームスの曲を論じるなどとんでもないことはわかっていても、半世紀たっても抜けられないでいる。
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