Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

松島へ

2014年05月23日 23時26分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 25日(日)から26日(月)にかけて、組合のOBの集まりで松島へ行くことになっている。現役時代、政令指定都市の組合の私どもの属した支部の連絡会議が、各都市持ち回りで頻繁に行われていた。そのOBの集まりである。
 阪神淡路大震災の起きた日に、この会議の幹事会が松島のホテルで行われることになっていた。神戸で強い地震があったらしいということは、報道されていたが、詳しい状況が伝わってこない。そしてなかなか神戸・大阪・京都の幹事が松島に来ない上に、携帯電話での連絡もとれない。皆が心配していたのだが、連絡がつかない。ようやく名古屋の幹事が到着して、かなりひどい状況らしいということがもたらされた。そして夜になって神戸の火事の模様が伝わって来て、みんな息をのんでテレビに見入ったものである。
 建設関係の職場の組合の集まりだから、神戸の被害のひどさ、復興の困難さは即座に理解できた。道路・下水・高速道路・鉄道等々都市基盤のインフラの被害に茫然とした。神戸だけでなく、大阪・京都にも被害があるようだということで、すぐにでも各組合に戻りカンパや支援活動への取り組みをすることを確認しあって、翌日早々に引き揚げた。
 その時の会議の事務局を担っていた東京都の組合の代表者である先輩はおととしに亡くなったそうである。
 3年前の東北の震災の時も、この会議での連携を活用しながら仙台市をはじめとした各自治体への支援活動に取り組んだ経験がある。
 懐かしい面々と復興半ばではあるが、久しぶりに仙台の地で交流する。

 現役の時の集まりではないので、組合から交通費も参加費もでない。新幹線で行くときの費用に比べて45パーセントで済む夜行バスを、往復とも利用することにした。5列ではなく3列仕立ての座席ということで、かなり楽そうである。この夜行バスは学生の時にも利用したことはなかった。勤めていた頃に東京から山形に行くバスで朝日連峰に登りに行ったときに利用したことが一度だけある。
 横浜を明日の23時に出発して、朝の5時45分に仙台につく。睡眠が十分とれるかどうか自信はないが、眠い場合は24時間営業のサウナにでも行って仮眠室で寝るつもりだ。
 事故が起きないことを願うしかない。JRバスの運行である。ネットで予約することが出来て、予約は楽であった。





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ブラームス 交響曲第1番

2014年05月23日 22時45分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ブラームスの交響曲第一番を久しぶりに聞いた。演奏はこれまでの第2番から第4番までと同様カラヤン指揮ベルリンフィル。

   

 ベートーベンの交響曲を継承・発展させることを念頭にブラームスが格闘した上に上梓した交響曲として名高い。ある意味ではすでに完成された作品として世に出てきたのである。先行世代をいかに総括して新しい地平を切り開くか、表現者であることをめざすに多くの表現者にとっては避けて通れない関門である。
 43歳になったブラームスはすでに音楽家として確たる地位を占めていたが、交響曲については極めて慎重であったようだ。それだけに思い入れの強い曲であったと思われる。
 最初の和音が鳴ると同時に緊張感たっぷりのティンパニーの連打が始まる。どの楽器も存分に主張する。第2楽章の終盤、ソロバイオリンの美しい旋律とそれを囲む木管など美しい響きは、忘れることができない。この部分にくると、何かをしながら聞いていても私は必ず手を止めて聞き入る。人を引き込む美しさがある。第4楽章のアルペンホルン風の朗々としてすがすがしい旋律も、忘れることのできない旋律である。

 人によっては第2番以降の渋い交響曲に比べて、明るく聞きやすいことからもっとも多く演奏される機会が多いといわれる。確かに屈託のない明るさがある。私が一番惹かれるのは、ティンパニーの連打、バイオリンソロ、ホルンの重厚な響きなどによってもたらされる緊張感である。この緊張感が何によりいい。旋律によってもたらされる緊張感ではなく、複雑な和声の展開による緊張感が人の心を引き寄せる。




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長谷川等伯の波濤図

2014年05月23日 13時55分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等




 長谷川等伯の描いた「波濤図」(禅林寺)と「波濤図屏風」を並べてみる。

 上が、2010年東京国立博物館で開催された「長谷川等伯」展の図録から取った「波濤図」(禅林寺大方丈中之間の(現在は掛幅)襖絵、重要文化財)である。
 金箔による雲霞が水墨画の岩の存在を際立たせているが、このような作例は等伯以前には見当たらないとのことである。 
鋭利で荒々しい岩と、繊細で曲線で描かれる波が好対照である。波は北斎の富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」のストップモーションをかけられたような波を彷彿とさせる。岩のタッチは他の作品「四愛図襖」「山水図襖」などにも同じような岩が描かれており、等伯独特の描き方らしい。
 下は今回の出光美術館に出展された「波濤図屏風」。こちらの方が全体として丁寧に仕上げられている。雲霞も雲のように明確に描かれ、明るい。波もはっきり書かれ、うねりが少し大きい。波の先端の表現はほぼ共通している。こちらは着色画であり、波の先端は白くふちどりされ、上の図よりも波が強調されている。
 また上の絵よりも奥行き感が増している。
 両方の絵で共通するのは、共に中央やや右寄りの大きな岩。これが共通している。そして岩と波、雲以外の景物が何もない。樹木も、動物も、人間もいない。太陽も月もない。

 このような絵が襖に描かれている部屋、あるいは屏風が置いてある部屋、一日眺めていたらどうだろう。時間による光線の具合も考えると、一日いや数日いても飽きることなどまず考えられない。 こんな体験を是非してみたいものである。




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