Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

冬の星空

2020年01月03日 23時17分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夜のウォーキングより帰宅。ベテルギウスの減光のことを知ってから、オリオン座の形が妙に暗く見えてしまう。知らなければいつものように見ていたと思うが、知ってしまうと気になる。確かにおおいぬ座のシリウス、こしぬ座のプロキオンのふたつが妙に明るく見えて、冬の大三角の頂点がくすんで見えてしまう。
 オリオン座の左膝の一等星リゲルよりももともと暗いが、もう一方の肩のベラトリックスという二等星とほぼ同じくらいの明るさに見える。
 本日の月は上弦の月、ちょうど半月の日でお椀が上向きに沈んでいく。昨日に続いてはじめは沈んでいく月を見ながら歩いた。雲がなく、面白味はないが濃い藍色の空に貼りついてくっきりと浮かび上がっていた。 


正月三日

2020年01月03日 20時38分59秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 正月三日、いわゆる三が日で正月休みも終わる人も多い。晴れやかに着飾ったり、家も客人などを迎えたり、とよそよそしい晴れやかさのあった元日や二日がおわり、4日の仕事始めといわれる日を翌日に控え、日常に戻るために残された24時間。
 現役の頃はこの24時間が愛おしかった。ふと自分一人に戻る時間でもあった。自分に一人になって初めて次のステップである職場の仲間と顔を合わせる自分に移行できる準備が整うのである。
 最近では三〇日、大晦日、一日、二日と96時間妻や家族と顔を合わせ続けて、ふと自分一人に戻りたくなる日でもある。この一日がないとさらに四日以降も妻と顔を突き合わせなくては一年が終わらない。何日かに一度、丸1日一人にならないと妻との会話もだんだんとげとげしくなることもある。正月で言えば三日の日というのは、危機の日でもある。危機を乗り切らねば、継続はありえない。
 三日の日には、それこそ一人でフラッと繁華街のいつもの喫茶店に行ってみたり、本屋で立ち読みをしたり、趣味の何かに没頭したりする。妻は妻で夫のいなくなったのを幸いにやはり何かの趣味に没頭する。それがつつがなく済んで、四日の仕事始めなり、いつもの日常が取り戻せる。

 そんなふうに三日というのはとても大切な日である。

★一人居や思ふことなき三ケ日      夏目漱石
★三日はや木綿のやうな風とゐる     野木桃花

 第一句、この場合は「一人居」なので妻の存在はない。しかし「ハレ」の日も「ケ」の日もない一人居の漱石といってもやはり三日はもの思う日の始まりである。人事に振り回される日が翌日に迫っているのを自覚している句である。もの思うことのない三が日、というのは結局はありえないのである。四日のことを思うと憂鬱になってしまう三日の日なのである。
 第二句、「木綿のような風」をどう解釈するか。さんざん悩んだ。私は「普段着の日常」と解釈してみた。ハレの日の元日・二日を過ぎて、日常にもどる日、絹の晴れ着から普段着に着替えて、日常の風に吹かれている作者の感慨。元日・二日と三日の落差が市井の人の生活意識を支えている。


七福神めぐり

2020年01月03日 18時20分19秒 | 山行・旅行・散策

 横浜駅北側の地点でいつものように駅伝を首位の走者から最後の走者まで見たのち、神奈川宿の洲崎神社をめぐり、川崎市の羽田空港の傍の穴守稲荷まで足を伸ばした。
 京急で神奈川駅から京急蒲田駅経由で穴守稲荷駅まで。
 駅前のうどん屋さんで遅い昼食。私はおかめうどん。美味しいうどんであった。
 この小さな店に入って、組合の先輩に偶然遭遇。ご夫婦で七福いなりめぐりをされているとのこと。いつもお世話になっているのに、ビックリしてきちんと挨拶も出来ず、ドギマギしてしまった。



 うどん店でご夫婦とお別れしてから、穴守稲荷神社へ。ここは何年か前に訪れたことがある。地域の人でにぎわっていた。屋台も2軒ほど。ここで「羽田七福いなりめぐり」のリーフレットを貰い、逆コースでしかも半分の4か所を歩いてみることにした。
 鴎稲荷神社-玉川弁財天-白魚稲荷神社をまわり、穴守稲荷駅まであるいた。多摩川の堤防沿いの静かな住宅地のなかの道は車をほとんど通らずにのんびりと歩けた。玉川稲荷のあたりで堤防の上を歩き、多摩川、海老取川、羽田空港の眺めを楽しんだ。
 横浜駅から歩いて帰宅。正月の運動不足解消には七福神巡りというのはなかなかいいものである。知らない街をのんびり歩くのもまた楽しい。