Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は白内障手術

2020年01月15日 23時52分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日の午後は左目の白内障手術。右目の手術をしてからすでに3カ月以上経過してしまった。本来ならば両目を同時にした方が良かったと思っている。しかし両方とも緑内障の症状があり治療中であっる。手術をする医師もためらいがあったようであるし、わたしも同時に手術をしてかえって視力の維持が難しくなることを心配していた。こんなに間が空いてしまうのは、やむを得なかったのであろう。

 午前中は同じ市民病院で血液内科の採血と診断がある。本日の手術の日の来院に合わせて診察を入れてもらっている。10時半には病院で受付をする予定。

 明日はウォーキングも出来ず、おとなしく家に戻って寝ているしかない。


「坂田一男 捲土重来」展  その1

2020年01月15日 23時03分38秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 1月8日に東京ステーションギャラ―で開催されている「坂田一男(さかたかずお) 捲土重来(けんどちょうらい)」展を見てきた。
 まず私は坂田一男という名前は初めて聞く名である。知られていない画家ということで私も基礎知識のつもりで、ステーションギャラリーのホームページの解説を転載してみる。次のように記載されている。

 しかし何といっても今回の展覧会で、坂本繁二郎とモランディの作品が同時に数点展示されていることである。坂田一男の作品を鑑賞する手がかりでもあるというのが驚きである。これについては、その2以降で私なりに感じてみたことを記載してみる予定。

坂田一男(1889-1956)
医学者坂田快太郎の長男として岡山市に生まれる。当初医者を目指すも、中学卒業後ノイローゼの療養中に学んだ絵の道を志す。1921年渡仏。アカデミー・モデルヌでフェルナン・レジェに師事し、のちに助手を務める。滞仏中は複数のサロンの会員となり、国際展への参加やギャラリーで大規模な個展を開催するなど一線で活躍した。
1933年の帰国後は 倉敷市玉島のアトリエで生涯制作した。1949年には前衛美術集団「アヴァンギャルド岡山(A.G.O.)」を主宰した。日本の抽象画家の先駆者として高く評価されたのは没後であり、これまでの美術館の回顧展に、ブリヂストン美術館(1957年)、西宮大谷記念美術館(1976年)、倉敷市立美術館(1988年)、岡山県立美術館(2007年)がある。

格納された世界のすべて、風景のすべて
★日本では岸田劉生の画業がピークに達し、マヴォをはじめとする大正アヴァンギャルドがしのぎを削っていた1920年代、パリにおいて最新鋭の芸術潮流の只中で勇躍する日本人画家がいた。知る人ぞ知る突出した前衛画家、坂田一男を、当代随一の近代美術史研究者でもある造形作家、岡﨑乾二郎が読み解きます。

絵画の潜勢力を解き放つ 絵画そして世界の巻き返し=再生
★キュビスム以降の抽象絵画の展開を核心で理解し、その可能性を究極まで推しすすめた画家、坂田一男(1889-1956)。世界的にも稀有な高い次元に到達していた坂田一男の仕事の全貌を展示し、その絵画に織り込まれた世界の可能性をひもときます。
坂田一男は第一次世界大戦後の1921年に渡仏、同時代の抽象絵画と出会い、10年以上にわたってフランスで最前衛の画家として活躍しました。1933年の帰国後、故郷の岡山で制作に励み、また前衛グループ「アヴァンギャルド岡山」を結成し後進の育成にも努めます。
しかし坂田の仕事は生前・歿後を通じて岡山以外で大きく紹介されることはほとんどなく、忘却されていたといって過言ではありません。本展は、近代美術史を精緻に解析し、その可能性の再発掘と刷新に挑む造形作家の岡﨑乾二郎氏を監修者に招き、〈現在の画家としての〉坂田一男の全貌を提示するはじめての展覧会となります。特に日本帰国後から戦後にかけての坂田の仕事の展開を国内外の作家たちと比較しつつ、20世紀絵画表現の問題群として読み解くセクションは、絵画の潜勢力を解き放つ機会となるでしょう。絵画そして世界の巻き返し=再生はまだ可能なのです。

坂田一男を解析する! アクロバティックな取り合わせ
★抽象芸術の具体的な力を体系的に説いた刺激的な近著『抽象の力』(2018)において、岡﨑乾二郎があらためて焦点を当てた画家の一人が坂田一男でした。坂田は、通常は「背景」とみなされるような領域にボリュームを与え、それをさらに複数化して同時に折り畳む、という込み入った操作を実践していた画家だと岡﨑は言います。そしてその点においてこそ、同時代のヨーロッパの芸術家たちと問題を共有していたのだ、と。
坂田の複雑な空間操作を解析すべく、本展では坂田と同世代の画家や意外な作家たちを組み合わせて比較展示します。「ワシの絵は50年経ったら分かるようになる」とうそぶいたという坂田の死から60年以上が過ぎた今、精緻な分析者の目でその謎に挑みます。
出品作は約200点を予定。部屋を埋め尽くす圧巻の展示をご期待ください。

◇坂田一男以外の出品作家
フェルナン・レジェ、坂本繁二郎、ル・コルビュジエ、ジョルジオ・モランディ、ニコラ・ド・スタール、山下菊二、リチャード・ディーベンコーン、ジャスパー・ジョーンズ、若林奮

冠水からの復活 
★坂田一男のアトリエは海抜の低い干拓地にあり、1944年と1954年の二度にわたって水害に遭ったため、多数の作品が破損し、あるいは失われました。
まったくの同サイズ、モティーフもきわめて似通った同年制作の2点の《静物》は、水害の跡を物語ります。しかし剥がれ落ちた画面は、痛ましさのみならず凄みを感じさせるのもたしかです。坂田は冠水した作品に自ら修復を施し、加筆もしていたようです。そもそもなぜこんな双子のような作品を残していたのでしょうか?
そして坂田は、剥がれ落ちた跡を模すかのように、破れ目を思わせる線を描き入れた絵も制作しています。おそらく坂田は冠水の被害を、逆に創作に生かしたのです。
本展のタイトル「捲土重来」は、歴史に埋もれてしまった坂田一男という画家を掘り起こす意味であるとともに、ひとたび受けた破壊を復活に転化させるような驚くべき坂田の作品にも重ねています。

   

 


古書店に売却する本

2020年01月15日 21時00分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 今年の冬は乾燥注意報がこれまでに2回しか出ていない、とテレビの天気予報で指摘していた。そのとおりで、気温が高めであったり、晴れの日が少なかったりよりもこの指摘が「なるほど今年の冬はいつもと違う」という実感どおりの指摘だと思った。
 そして湿度が高いにもかかわらず、インフルエンザが猛威を振るっているというのも不思議である。インフルエンザというは湿度が低いと流行ると聞いていた。
 そこについての報道には接していない。

 23日に古書店が本を取りに来る。それまでに売却する本を整理することにした。すでに100冊を超える本を玄関に持ってきて、シリーズ物は紐で結わえた。親の家に預けてある本も大量に売却することにした。明後日以降準備をさらに進めることにした。

 文庫・新書を含めるとどのくらいになるのか、今のところ想像も出来ない。しかし溜まれば溜まるものである。
 詠み終わった印に背表紙につけている小さな緑色の丸いシールをはがすのも面倒である。


曇り空にふと・・

2020年01月15日 10時46分20秒 | 天気と自然災害

 夜通しの雨、私の現在の心持ちのように陰鬱に降り続け、ますます気分を下向きにさせた。見かけや振舞いの言動や表情と、実際の気分の乖離が修復できない。このような状態は周期的に起きるわけではないので、回復は当面は難しいのかもしれない。

 明け方には雨はあがったけれども、空は厚い雲に一面蔽われている。南岸低気圧の去った後はすぐに晴れたと記憶の片隅にあった。気候変動の関係で南岸低気圧の進路や去ったあとの風向きなどに微妙に違いが生じているのだろうか。そういえば、台風が去ったのちも曇り空が残るなど、これまでとは違いがあるように感じている。

 さまざまな要素の絡みあう複雑系の地球の大気の変動を一つの原因で断定してしまうことについてはいつも躊躇はしている。またそれが解明されてしまうほど単純ではないと思われる。
 しかし同時に、化石燃料の大量消費は、地球そのものへの負荷があまりに大きいということについては了解が出来ると思っている。複雑系が微妙なバランスの上に成り立ち、擾乱と復元を繰り返している。人間が生み出す二酸化炭素や化石燃料の浪費、原発が垂れ流す温熱などが、自然の循環や復元力に影響を与えているという指摘もまた私は否定できない。

 地球環境の循環システムについて、謙虚で地道な検討が心ある研究者によって進められていくことを期待するしかないのだろう。政治の役割は何なのか、少なくとも加速度的に負荷を増大し続けることに歯止めをかけるのは政治の役割であろうと思っている。
 現実の政治はそれとは真逆である。