Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夜のウォーキング復活

2020年01月20日 23時19分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 団地の外へ一人で夜のウォーキングに出かけてみた。団地の中ではないので、はじめから用心のために眼鏡をかけて歩いた。バス通りでも、車の来ない暗い裏道でも、階段でも歩きなれた道なので、どうやら無事に歩きとおした。
 ただしこれが歩く慣れない、凸凹の多い道であれば、きちんと再調整した眼鏡でなければ怖いと思った。
 車の前照灯などは、下に向けて貰えば特に怖くはなかった。しかしハイビームでそのまま走行されるととても怖いことには変わりはない。

 明日は特に予定を立てていない。午前中は俳句や現代詩の本で、処分してもよいとおもわれるものを整理してみたい。

 午後からは本日に続いて休養としたい。


本日は大寒

2020年01月20日 21時29分21秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 昨日は寒かったが、大寒の本日は暖かく感じるほどの陽気であった。風がなく、日溜りにいると眠気に襲われるような日であった。

★大寒の一戸もかくれなき故郷      飯田龍太
★大寒の残る夕日を市の中        石橋秀野
★大寒や転びて諸手つく悲しさ      西東三鬼

 第1句、教科書にも載っていた有名な句。大寒という自然の厳しさと同時に太平洋岸の冬のきりっとした季節の澄んだ大気を表現している。姿勢の正しい人の句であると思わせる。自然の厳しさとそれを引き受けている人の心のきりっとした厳しさもうかがえる。
 第2句、厳しい自然をうかがわせる大寒の語感に対して、どちらかというと暖かさすら感じさせる夕日の中で夕食の食材を算段しながら買おうとしている作者を思い出す。決して暖かいわけではなく、そして多分財布の中もゆとりがあるわけではなさそうである。しかしそこには日常の生活に根出した暖かみを感じる。
 第3句、大寒の寒さと同時に老いの実感を突き付けられるような現実におののいた作者がいる。老いというものをことさらに突き付けられた一瞬ではないだろうか。若ければ片手もつかずに姿勢を元に戻すようなことも年齢とともに両手を地面について体を支えざるを得なかったのであろう。人目を気にしてとても恥ずかしい思いをしたのであろう。私も実際に体験した。

 大寒という季節の語感が人の心に作用するとき、さまざまなバリエーションが奏でられる。暖かみを感じることも、寒さが一層募ることも、そして自然の冷気そのものを受けとめる心情もある。


洗顔・洗髪

2020年01月20日 18時32分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 家の近くの喫茶店でサンドイッチとドリップコーヒーというちょっと贅沢をしてから、横浜駅まで久しぶりに歩いた。家電量販店で親に頼まれた家電製品の品定めをしてから、妻はスーパーへ、私は書店を見て回り、ふたたび喫茶店で一休み。帰りも家まで遠回りしてウォーキング。途中で日本酒の4合瓶を購入してにこやかに帰宅。

 出かけたときは陽射しが強く、目がショボショボした。しかし眼鏡は必要なく気持ちよく歩いた。帰りは暗くなりかけて眼鏡がほしくなった。やはり暗いと眼鏡が欲しくなる。

 目を手術した日からすでに4日目。洗顔も洗髪も禁止、といわれている。しかし顔は左目の周りは省いて石鹸で洗っている。左目に水や石鹸が入らないように細心の注意を払いながら。頭はまだ洗っていないが、さすがに洗いたくなってきた。
 今晩、左目を絆創膏で隠して頭を存分に洗いたい。いつもは毎日洗髪しているので、4日も洗わないのは耐えられない。

 


本日の作業は終了

2020年01月20日 12時38分24秒 | 読書

 本日も朝から本の整理、100冊あまりを作者別・出版社別に分けて結わえる作業。結局網野善彦の全著作と宮田登・石井進・阿部謹也などの諸氏の単行本も手離すこととした。阿部謹也氏のちくま学芸文庫のものは時どき目をとおすこともあるので残してある。大岡信の著作も数点を除いて手離す。
 その他1960~70年代を駆け抜けた方々の著作も一部を除いて手離す。
 全体では古書店に持って行ってもらう予定が820余り、廃棄は60冊余り。これにまだ結わえてあるがまだ親の家に置いてあるものや、現代詩歌・俳句でも処分するものがあるので全体では1000冊近くになりそうである。
 大概は眼をとおしたり、全部は読まずとも必要なところは眼をとおしている。20代から40代半ばまでずいぶん読んだのだと自分で感心している。ほとんど記憶には残っていないのが悲しい。

 古書店に電話をして書籍の概数の訂正をお願いした。

 同時にここ7年ほどの手紙・ハガキ・年賀状も一部を除いて廃棄することにした。廃棄は大型のシュレッダーのある所に持ち込んで自分で処理するのが礼儀だと思う。
 今年の年賀状と昨年末に届いた喪中ハガキは大切に保管。

 一応これらの作業が終了。これより久しぶりに妻と横浜駅に出向くことにした。二人で揃ってターミナル駅まで出向くのは4日ぶりである。それだけ作業で二人共引き籠っていたことになる。