Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は美術館巡りをしたいが‥

2020年01月07日 23時45分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 雨が上がりそうで上がらない。レインアイよこはまを見るともう間もなく雨の区域が北に抜けそうなのだが、それでも0.1ミリ以下の雨が残りそうである。
 傘を差しながら近くの郵便局まで往復15分ほど歩いてきた。霧雨のような雨でコートが濡れた。しかもかなり冷えてきた。本日の最低気温が22時現在の4.9℃。

 明日、東京ステーションギャラリーと国立西洋美術館、できれば世田谷美術館も、と思っているが、天気は荒れるらしい。風が強く吹くらしい。
 体力と頭脳と天気を勘案してどうするか、明日になってから考えるしかない。

 18時過ぎに雷・強風・波浪注意報が横浜市域に出ている。風もないし、雷の気配もないが、これからというのであろうか。天気予報では、雨は一端上がるらしいが、ふたたび強くなるという。明日の昼までには上がるものの、風はおさまらないとのことである。気温の予報が19℃まで上がるというのにはびっくり。

 


七草粥

2020年01月07日 21時36分01秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日は正月七日、七草粥の日。妻はいつも七種は購入しない。パックの入っている七種はどれも萎れていて、量もわずかで500円近くもするのを購入することに抵抗があるようだ。その変わり、毎年蕪を入れたお粥を作ってくれ。今年も同様。
 しかしお粥が好きな私にはうれしい。

★七種粥ラジオの上の国家澄み      須藤 徹

 以下、私の偏執的な感想と解釈である。

 七種粥、昔は少しあらたまって食したという。蕪村に「七くさや袴の紐の片むすび」というように袴をはいて正座をしたらしい。蕪村の句はそのようなあらたまった席なのにきちんと紐を結べなかった人を笑い飛ばす句である。

 はじめは戦争経験者の句かと思った。だが、表題の句の作者は1947年生まれというから私より4歳上の戦後生れである。七種粥をあらたまった格好で食したとは句からは想像できないが、それでも一家そろった食卓で七種粥を正月気分で食べている景がみえてくる。テレビではないからまだ大人になっていない頃の思い出かもしれない。

 ラジオからはまだ正月気分が抜けない番組がながれている。当時も今もマスコミは正月のような気分のときには決して国家や政府をけなすようにものいいはしない。わたしのようなものには、すまし顔できれいごとを並べたアナウンサーの声はご用心、とてもよそよそしい。若い作者はそのきれいごとの声や話の内容に騙されてはいけないのだ。国家はかつて汚れたこともなく、澄んだ空気や水のようなもののように言われている。だが現実はまったく違った顔を持つということを若い作者はまだ知らなかったのである。

 ラジオから聞こえてくる声が伝える政府や国家の在り様は、そこだけが空気が澄んでいるようである。そんな戦後生まれの人間も、もうすでに70歳を超えている。戦前も戦後も変わっていないということもできる。

 作者は66歳で亡くなっているので、あの2011年3月11日の地震は経験しているかもしれない。そして戦後の混乱期からのさまざまな場面での戦後史も見聞きしていたはずである。そんな戦後の60数年を思い出さずにはいられない句である。

 あらためて「須藤徹」という作者のことをネットで検索してみた。興味が湧いてきた。是非著作に眼を通してみたいと思った。その上で、私の感想を再度記してみたいと思った。

 


向こう一年のスケジュール帳を作成

2020年01月07日 13時44分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の会議を受けて、スケジュール帳の整理をした。しかし4月以降のカレンダーをつくっていなかったので、急きょ来年の3月末までのスケジュール帳をエクセルで作成。今年4月までの日程を書き込んだ。私のスケジュール帳は16ヶ月。前年の12月から翌年の3月末まで。これならば世の中の年度区切りの日程にも対応できる。
 今年はうるう年であった。あらためて認識。

 今年の2月から4月末までのおおよその日程が決定。1月もほとんどが埋まった。しかし不思議なことに、退職者会の日程、団地の会議等の日程、いくつかの講座の日程が重ならずに並んだ。
 新年会が8回、そのうち1回は白内障の手術の翌日なので、これは欠席、他の方に参加をお願いした。

 合間を縫っていくつかの美術展に行くことになる。結構厳しい日程調整が必要かもしれない。