Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「老いのかたち」(黒井千次)

2020年01月23日 23時19分53秒 | 読書



 毎日のように横浜駅地下の書店をのぞいている。単行本は高価なのでたいがいは文庫・新書のコーナーと離れてはいるけれど美術書のコーナーを必ず回る。新刊の情報を仕入れ、立ち読みに徹している。書店には申し訳ないが、購入するときは神奈川大学の生協におもむいて、会員特典を利用して1割引きを利用させてもらっている。生協の店頭になくても一週間もしないうちに取寄せてくれる。
 本日は横浜駅の書店の新書コーナーで黒井千次の「老いのかたち」(中公新書)を手に取ってみた。読売新聞に月1回連載しているエッセイをまとめたもの。続編として「老いの味わい」「老いのゆくえ」も出ている。

 最初のエッセイは「父という時計」という題。父親の年齢と自分の年齢を重ね合わせて「老い」を語るところから始めている。なかなかいい着眼で、わたしもかねてからそんなことを日々思っていた。引き込まれるようにして定価でこの一冊を購入した。
 全体をとおして読んではいないので、わたしなりの評価はまでできないが、おおいに惹かれている。実は、黒井千次という作家の名前は知っているが、作品を読んだことがない。今回立ち読みをして、1932(S7)年生まれということを知った。2005年というから73歳ころからこの連載を開始している。

 文章は私には読みやすく、いい文章だと思った。視点にも惹かれている。今読んでいる「ゴヤⅣ」と併行する読書として紐解くことにした。
 「ゴヤⅣ」も早くまとめたい。急ぎで済ませた本の処分も一段落したし、手術も終わったことでもあり、徐々に読書のスピードをあげたいものである。

 


現在のものの見え方

2020年01月23日 20時02分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 白内障手術の結果、視界は大きく改善された。薄い紙をとおして見ているようなぼやけた感じが無くなったのはありがたい。数メートルから十数メートルまでは裸眼で問題なく判読できる。今までよりもいい。遠距離はこれまでの眼鏡をかけるとよく見える。
 ただし右目に頼っている。左目で良く見えるのは十数メートル先までである。ここは今後の矯正のポイント。
 しかし近いところがなかなか鮮明にはならない。暗いところではほとんどピントが合わない。明るいところならば、それなりによく見える。しかし食品の成分表などの細かい文字は明るくても鮮明には見えない。目を近づけてもピントが合わない。缶詰や瓶詰の表示を裸眼でも眼鏡をかけても読むことが出来ない。ここが矯正の一番大事なポイント。

 現役のころ、60歳ちかい高齢者が大きな拡大鏡を利用して書類を読んでいるのをいつも見かけていた。その切実感を私は今味わっているのであろう。

 2月の中旬以降、視力が安定したら眼鏡の調整を再度行うつもりであるが、どのような矯正が可能なのか、とても気になる。


半分の本が消えた

2020年01月23日 11時45分56秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 先ほど古書店の方が来て、本を引き取ってくれた。900冊を大きく超える本を、段ボールに入れ車に積んでもらった。博物館などの古いパンフレット類やボロボロの文庫本など50冊ほどは、値もつかないだろう、と廃棄のつもりで積んでいたが、それも引き取ってくれた。

 古書店というのはなかなかつらい肉体労働でもある。理解しているつもりでも、実際に見ると商売としては大変。これから持ち帰って一冊ずつ値をつける作業、分類作業もある。書架におさめたり、他の古書店との取引もあるであろう。私なら多分、作業の途中で、読み始めてしまって、仕事にならないのではないか。あるいは好きな本・興味のある本には値を高くしたりするということになりかねない。客観的な評価が出来なくなりそうである。

 「好きなことを仕事にする」というのは、実は大きなデメリット、マイナス要因が潜んでいる。本が好きだから本屋さんに勤めたい、古書店を開業したい、というのでは多くの場合は仕事や商売にはならない。「仕事」と「好きなこと」は別々の方がいいと私は昔から思っていた。

 私は、好きだから「理学部」に進学したけれど、それを生涯の「仕事」にすることには前向きにはなれなかった。自分の将来については不安ばかり。教科書や解説書を講義に沿って読むことはしたけれど、「どうやって生きて行くか、生活していくか」とは違うと思っていた。高校のときも、学生時代も「生涯やり遂げるものは何か」が想定できなくて、常にもがいていた。
 就職先がなくて困り、地方公務員の事務職として就職した頃、「地方公務員にしかなれない、地方公務員にでもなる」といういわゆる「『でも・しか』地方公務員」という揶揄のキャンペーンが社会現象にまでなった。
 しかし私は「でも・しか」という動機は悪くないと思った。「仕事」として自分のしていることを客観視できるのはそういう人たちである。ヘタな特権意識や、その世界に閉じこもってしまうよりはずっといい。(地方)公務員のそれまでの閉ざされた社会を変える可能性があるとも思った。

 冷たい雨の中、働いてもらっている姿を見ながらふと、そんな昔の自分を思い出した。それも自分の50数年関わってきた頭脳の中身を「廃棄」するような事態に直面しながら。何とも不思議な感慨である。