明日の朝は古書店が本を引き取りに来る予定。雨でも来るとのことである。結局引き取ってもらう予定の本は、文庫・新書が475冊余り、単行本は430冊、併せて905冊となった。廃棄も60冊以上ある。果たしていくらで引き取ってくれるやら。引取の値段は明日ではわからないらしい。運んでから査定をして後日値段を伝えに来るそうである。
リビングルームにある本棚は、はみ出しかけていた本は無くなり、きれいに並べることはしたけれど、まだ横積みにしていたり、奥と手前に重ねたいたりしている。本来の収納予定数くらいは収めてある。私の部屋の本棚では、埴谷雄高、白川静、中井久夫、美術書、俳句関係、一人の画家を特集した美術展の図録、そして退職者会の資料の棚についてはあふれている。
それ以外は一応ほぼ空っぽになった。とてもさびしい気がしてきた。高校・大学卒業以来の本もかなりあったがほとんど引き取ってもらうことにした。
なんだか自分の頭の中を構成しているさまざまなものが消えてしまったような錯覚におちいる。そして物心ついて以降のこれまで60年近くの自分が消えてなくなったような寂しさもある。
そういった意味では「終活の一環」という冗談もあながち外れてはいない。