Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夕焼け

2021年07月19日 22時25分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連



★わが死にしのちも夕焼(ゆや)くる坂と榎    加藤かけい

★夕焼に遺書のつたなく死ににけり        佐藤鬼房
★夕焼雀砂浴び砂に死の記憶           穴井 太

 夕焼けの句を探しているといつの間にか、死や廃墟のイメージの句に着目していた。あざやかで色彩鮮明な夕焼けのどこかに「死」や「滅び」を嗅ぎつけているる自分というものに慄然とする。

 第1句、真正面から「死」を扱ったが、「死」に現実感がなく、一般的な死であるがゆえに「カラっ」としたイメージが浮き出ている。だがこんな「死」の思いを、私は幼稚園児のころからときどき味わった。その想念が夕方に起きると、夜も眠れなかった。宇宙のことを記した図鑑を向かいの中学生にもらって、私の命がなくなっても続く太陽の営み、そしてその太陽にも寿命があり、地球が飲み込まれる、という記述が怖かった。この句の場合は天文現象ではなく、もっと身近な「坂」と「榎」に「死」が張り付いている。
 第3句、佐藤鬼房の句であるから、おそらく戦争体験であろう。「つたなき」とはいえ、生きることの困難な時代の叫びが静かに横たわる。
 第4句、土や砂とはいえ、ひょっとしたらそこには「人の死」や小さな動物の「死」が絡んでいた来歴があったかもしれない。その土や砂が今は、雀の一途な生の再生に寄与している。その一般性を読み取ることもできる。しかしこれは長崎の原爆のことを詠んだ句でもあるらしい。句にはそれは触れていない。背景を知ると長崎の原爆の地の重みがひしと伝わる。しかしそれをわざと匂わせないことで、この句のイメージはもっと一般化されているといえる。それが成功したと句ととらえるか、一般化しすぎととらえるか、私にはその評価を決定する力はない。
 


梅雨明けの夕焼け&上弦の半月

2021年07月19日 20時30分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

      

 夕方からの退職者会の会議は終了。それなりに時間がかかり、17時半頃に終了。一服しているうちに18時を過ぎてしまい、帰宅は19時過ぎ。
 団地の西側から帰宅したため、久しぶりに夕焼けを見た。同時に上弦の半月ももう天頂付近にかかっていた。


「江戸の朝空」

2021年07月19日 09時38分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 昨日購入した朝顔が9つも花が開いた。「江戸の朝空」という品種で朝の空のような明るい青が空の色合いと同調している。なかなかいい色である。
 蕾の時と、閉じた後はかなり濃い青紫の色であるが、開くと落ち着いた色となる。この変化も好ましいと思える。
 私は江戸趣味というのがよく理解できない。好きになれるもの、受け入れられるものと、拒否したいものの両極端に分かれる。「朝顔」は好きなもののひとつである。