関東地方の明日の天気予報は朝から日中はは晴れ、最高気温は30℃を超えて真夏日ということらしい。南寄りの風で湿度も60~70%もあるとのこと。
明日は団地の屋外でのボランティア作業であるが、晴れて30℃を超え、湿度も高いというのは体には厳しいものがある。熱中症予防の対策をしっかりしないとまずいようだ。天気預保では「厳重警戒」のマークがついていた。
午後からはやはり団地内で打ち合わせ、夜はオンラインの音楽鑑賞会。結構忙しい。
関東地方の明日の天気予報は朝から日中はは晴れ、最高気温は30℃を超えて真夏日ということらしい。南寄りの風で湿度も60~70%もあるとのこと。
明日は団地の屋外でのボランティア作業であるが、晴れて30℃を超え、湿度も高いというのは体には厳しいものがある。熱中症予防の対策をしっかりしないとまずいようだ。天気預保では「厳重警戒」のマークがついていた。
午後からはやはり団地内で打ち合わせ、夜はオンラインの音楽鑑賞会。結構忙しい。
本日は、マーラーの交響曲を聴く気分ではなく、ベートーヴェンの交響曲第1番と第2番を聴いた。金聖響の文章を読むまでは、私はあまり重きをおかずに聞き流してした曲である。
本日はまずは第1番について各楽章ごとに引用してみる。
第1楽章については「最初の序奏は楽譜にすればわずか12小節ですが、ほんとうに見事です。この12小節全体がその後のハ長調のド・ミ・ソの主和音を見事に強調するドミナントとして存在している。」
第2楽章について「「純粋音楽」を形式として確立したのが、ハイドンやモーツァルトの古典派と呼ばれる作曲家‥。古典派音楽の交響曲の緩除楽章として、最高度に完璧なものをベートーヴェンは最初の交響曲ですでに発表してしまった‥。」
第3楽章については、「(メヌエットと書いてあるが)中身は完全にスケルツォです。‥メヌエットからスケルツォへの変化は、優雅に踊っていた貴族社会から活動的な市民社会へと変化するなかで生じたもの、と言えるかどうかはわかりません‥が、スケルツォであるべきだ、と考えたのは音楽にとっての新しい時代の到来であり、周囲の社会の変動と無縁でもなかった‥。」
第4楽章については「いかにもベートーヴェンらしい、ダイナミックなフィナーレ‥とにかく明るい音楽」としめくくっている。
本日聴いたのは、ベルナルト・ハイティンク指揮の王立アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏。1987年の録音で、ハイティンクが59歳の頃、2回目のベートーヴェンの交響曲全曲録音版である。
この書を読みながら聴くと、すでに理解しているつもりのものも敢えて整理してもらえてありがたい。またあらたな気分でベートーウェンの世界に浸ることができたと思わせるものがあった。
スコアを見ながら聴きたい曲でもある。
前書きからなかなか魅力的な記述に吸い寄せられた。
「(玉木正之)ベートーヴェンも(交響曲の)1番と2番は古典的なスタイルで、3番の「英雄」で大きく進化したとか、奇数番号は男性的、偶数番号は女性的、とクループ分けされることもあります。」
「(金聖響)はっきりいってそれは間違いです。そういう先入観念は捨ててください。第1番はすでにピアニストとしても作曲家としてもある程度の名声を獲得した29歳のベートーヴェンが、満を持して発表したものです。その中身はハイドン的、モーツァルト的な部分もありますが、全体としては過去の交響曲と完全に一線を画した斬新な作品です。第2番も、第3番の「英雄」よりずっと革命的な作品ともいえる。「英雄」が有名になりすぎたせいか、その前の作品が不当に低く評価されているのです。それに偶数番号の交響曲を「女性的」と形容するのも妙な先入観を抱かせるだけで、ちょっと首を傾げたくなります。」
金聖響はなかなか思い切ったことが言えると感心している。
「(ベートーヴェンは)人間の声が中心の「歌」とうものには関心が薄かった‥。オペラを「フィデリオ」しか書いていないのも、気に入る台本がなかったからとかいわれてますが、人間の声で歌わせる音楽は、得意ではなかったのでしょう。」
「モーツアルトという天才の作品も、‥苦悩や絶望、喜びやあきらめといった人間のナマの感情が直接的に作品に表れるのは、晩年の4~5年(31歳の父の死以降)のことです。結果的にハイドンもモーツァルトも、基本的に楽しく明るい音楽、つまり売れる音楽、ウケる音楽しかつくっていません。‥父の死をきっかけに、モーツァルトは自分の内面を見つめるようになり‥。」
「(ベートーヴェンは)わずか四つか五つかの音だけで純粋に美しい響きをつくっています。歌じゃなくて、構造で勝負している。自分の内面から出てきたいくつかの音の並びを、構造的に組み立てているだけです。だから純粋なんです。」
私にはとてもいい指摘だと思えた。これを読みながら、本日はベートーヴェンの交響曲第1番と第2番を聴いた。