Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「近代絵画史(下)」(高階秀爾) その1

2021年07月11日 22時51分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 本日までに読んだ「近代絵画史(下)」(高階秀爾)は、第13章「世紀末絵画」、第14章「ドイツ表現主義」、第15章「マティスとフォーヴィズム」、第16章「フォーヴの画家たち」まで。
 この本では、マティスとヴラマンクの評価が高く、ルオーともどもそれなりの言及があるのはうれしい限りである。下巻は多くの画家を取り上げているので、ひとりひとりは紹介だけのような記述が多いが、この3名とドランについては多くを費やしている。

「マティスが優美な様式のなかにそのままとどまっていたとしたら、そこにある種の安易さが生まれてくることは避けられなかったであろう。20年代になって、世間一般の賞賛を受けるようになったマティスにはその危険があった。だが、自己の本質に忠実でありながら、新しい表現を求めていくマティスは20年代末ごろからさらに新しい飛躍を示すようになる。大胆なデフォルマシオンによる線のアラベスクの効果と、思い切った色彩の対照によって、装飾的であると同時にもにゅメンタルな構成を実現することであった。」

「フォーヴの仲間たちのうちで「野獣」というイメージに最もふさわしい画家を上げるとすれば、モーリス・ド・ヴラマンクがその人である。‥そのエネルギーをカンヴァスの上に放出するためにのみ画家になったかのような人であった。‥ヴラマンクだけが粗野なまでの色彩の不協和音と誇張された集かいな表現によってドイツ表現主義の画家に近いものを感じさせる‥。アカデミックな権威を故意に無視しようとする彼の反抗的意志に由来する‥。彼が公然とその影響を認めた先輩は、もうひとりの独学の画家であるヴァン・ゴッホだけであった。」

「ルオーは可能な限り激越な手段によって、あらゆる人間の心の奥底にひそむ悪を白日の下にさらけ出そうとするのである。しかしルオーのこの激しい表現主義も、第一次大戦以降、次第に落ち着いた、静かな世界へと移っていく。おぞましい人間のかわりに、神や聖女が登場し、風景も優しさを取り戻す。‥どこか哀愁のこもった静かな風景、優しい人間的感情、憐れみと諦め、魂の高貴さなどを暗示する静謐な人間像が画面の主役を占めるようになる。」

 実は私はマティスは好きであるが、その生涯や作品の変遷が記憶に残っていない。2004年の国立西洋美術館での展覧会の図録を見ながら、もう一度勉強のしなおしが必要だと思う。この記述を受けて、マティスの生涯をせめてこの時の図録で追ってみたいと思う。

 ヴラマンクについては、1989年の日本橋三越での「没後30年ヴラマンク展」と、1997年のBukamuraザ・ミュージアムでの「ヴラマンク展」に行っている。1989年の時に初めてヴラマンクの名を知った。展覧会では、一見セザンヌやルオーのような風景作品を見たのち、1950年以降の激しいタッチと嵐の前のような不気味な空、それらに翻弄されるような地上の人間の作った家屋や道の表現に圧倒された。それ以来、激しい画家の情念が叩きつけられたような画面に魅入られている。
 また、ゴッホの向日葵を彷彿とさせる、花瓶の向日葵を含む花の連作も激しい内なる情念をそのまま映したようで好きである。

 ルオーについて高階秀爾の指摘である「おぞましい人間のかわりに、風景も優しさを取り戻す。哀愁の籠もった静かな風景、優しい人間的感情、憐れみと諦め、魂の高貴さ‥」という記述について、少し異論がある。あくまでも私の感覚では、もともと「優しさ」も「哀愁」も「諦め」もルオーは生涯変わらずに秘めていたと思っている。どこか思想が転向したのではなく、ルオーの中では一貫している。私はその「一貫している」ことを強調したい。そうしてルオーの作品を私は見ることにしている。
 ルオーの描く孤独な「道化」や「キリスト」、あるいは「哀愁」こそが社会と格闘したルオーの原点であったと思う。

 この4つの章では、カンディンスキーやブラックなども出てくるが、マルクやベックリンの名も出てきた。名前は知っているが、作品をそれぞれここに掲げられている各1点しか知らない。できれば、作品集を見たいと思った。


世に先駆ける不幸

2021年07月11日 19時48分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 天気予報によると落雷の地域はまだ神奈川県内を去っていないようであるが、私の住んでいるところでは、雷鳴がとても遠い。とりあえずパソコンの電源を入れてみた。雨はあがった。

 実は一昨日妻が蝉の初鳴きを聴いたといっていた。ミンミンゼミだと言っていた。私は昨日ジージーというアブラゼミの鳴き声を耳にした。
 梅雨の終わりを告げるように、あるいは梅雨を追い散らすように聞こえた。妻も私も一声だけ聞いた。あまりに早く鳴き始めて、果たしてパートナーを見つけることができるのだろうか。蝉のことながら、夫婦で心配していた。

 世に先駆ける者は、時代の先端を走る栄誉とともに、その社会から受け入れられることのない不幸もまた背負い込むといえる。

 ワクチン接種後、今のところ、吐き気も眩暈も、発熱も、だるさもない。24時間後に出てくるとすると明日の午後以降ということになる。

 

 


2回目のワクチン接種

2021年07月11日 18時19分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日も14時過ぎに32℃になっていた。そんな暑い中を歩いて横浜駅近くの喫茶店へ。30分ほど汗がひくのを待ってから、ワクチン接種会場へ。
 待つこと20分余り、予定時刻に接種完了。1回目とほぼ同じくらいの広さの会場。スムーズであった。しつこいほど確認されたのが、2回目の接種であること。初回で間違って2回も接種した事例が報道されていたことが理由だろうか。15分待機の場合と、30分待機の場合があるようで、私は痛み止め・解熱剤でアレルギーが出る場合があることを理由に、問診の医師から30分待機を指示された。
 体育館のような会場では冷房が効いており、快適な30分の読書タイムを過ごして会場をあてとにした。換気がよかったかというと多少は疑問も残った。
 会場を出る際、リュックを背負ったときに、接種したほうの腕がすでに少しこわばっていることに気が付いた。1回目の時にそのようなことはなかった。入浴はしても良いが激しい運動は控えるようにいわれたので、横浜駅まで戻ってバスに乗った時にはそのこわばりはすでに感じなかった。

 帰宅後シャワーを浴びて、ベッドで安静にしているうちに、急に空が暗くなり、生暖かい風が強くなってきた。
 その後は寝てしまった。17時に目が覚めると雨が降り始めていた。先ほど雷が2度ほど遠くで鳴っていた。竜巻注意報も配信されていた。

 関東地方では豪雨となり、次第に南下している。私の住むところをかすめるように強い雨の区域は東に去っていった。

 こわばりが短時間あっただけで、現在体の異常は感じられない。


2日間は予定なし

2021年07月11日 11時29分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日は横浜市では33.2℃もあったと記録されている。思った以上に高かった。湿度も60~80%で推移したらしく、熱中症の危険も高かったようだ。
 本日は曇がちであるが、気温の予想は31℃とほぼ昨日と同じ。

 COVID-19の感染がさらに拡大し、都内は4回目の緊急事態宣言。オリンピック強行と感染抑止、両立しないものを強引に実施する為政者やスポーツの世界に生きている人間たち。
 オリンピック強行は、「コロナに勝った証」ではなく、「負け続けている証」でしかない。未知の感染症に政治的思惑で太刀打ちしようという、軍事国家日本の成れの果ての時代を再現している。犠牲者は国民であることすら忘れている。都合の悪いことは、忘れるか、わざと記憶の外に追いやっている。今年の8月の鎮魂と慰霊の日は、重要である。記憶を取り戻すよう為政者に突きつける機会である。

 ワクチンの集団接種会場の往復は歩こうかと思っている。少なくとも往路は歩きたい。問題は汗だくで会場に入るのは中のスタッフのかたにも、並んでいる接種者にも迷惑をかけててしまう。早めに出て、近くの喫茶店で汗がひいてから会場に入ることにした。
 横浜駅の近くのオフィスビル街のいつも利用している喫茶店ならば、会場まで5分ちょっとで到着する。接種前後に十分水分補給をしてください、とは親のかかりつけ医のアドバイス。汗で失われた水分を補給するにもいいアイデアである。 帰途はバスにするか、20分ほどゆっくり歩くか、陽射しや気温と相談である。

 本日と明日は予定を入れていない。