夕食後は「近代絵画史(下)」(高階秀爾)の第18章「キュビズムの画家たち」の残りを読んで過ごした。
第17章「ピカソとキュビズム」では以下のように述べている。
「「青の時代」において、‥「ラファエロのような」正確な表現技術を完璧に駆使している。‥多くの傑作を生み出しはしたものの、ピカソにとっては決してそれで満足できるものではなかった。‥ピカソの真の造形的望見がそこから始まるのである。」
「(「アヴィニオンの娘たち」によって)1920年代後半から30年代にかけてピカソが展開してみせるあの奔走な幻想性の最初の現われを見ることができる。全体の構成において、まず与えられた空間があってその中に人物を配置するものてはなく、個々の人物の存在そのものがかろうじて空間を暗示しているにすぎないという点で、画面はきわめて抽象化されている。」
「(「ゲルニカ」は)ゲルニカの町の悲劇を思い切り激越なイメージによって描き出したこの対策は、その強烈な表現力と恐ろしいまでの迫力のゆえに、20世紀の美術の歴史において、最も忘れがたい傑作のひとつ‥。」
「ピカソは、人間の存在に強い関心をしめしながら、その造形的表現の可能性をいろいろな形で探っていると言うことができる。‥「青青の時代」から最晩年の「画家とモデル」のシリーズにいたるまで、一貫してピカソの創作活動を支えてきた‥。」
第18章「キュビズムの画家たち」では、ブラックやレジェなどが取り上げられている。
「キュビズムが成し遂げた変革は、表現様式上のものというよりも、もっと深く人間の世界認識にかかわることであった。統一的な視覚像の崩壊は、‥人間中心の世界から対象中心の世界への移行を予告するものであった。人はもはやある一定の地点から世界の全体を眺めるのではなく、対象に近づいて、いわば至近距離から、あらゆる方向から、対象を見るのである。」
「キュビスムの画家たちの取り上げる主題が「見る」ものであるよりもむしろ「触れる」ものであることは、はなはだ暗示的である‥。身近な日常の事物をモティーフとする静物が圧倒的に重要な位置を占める。‥。‥いづれも手に触れることによって初めて意味を持つような対象が最もしばしば画面に登場してくるというのもおそらく意味のないことではない。
「歴史的にはキュビスムの美学の展開は、対象の「解体」を徹底的に追求する1908年ごろから11年ごろまでの「分析的時代」と、その「解体」の結果、が路面ではほとんど見分けがつかないもまでぱらばらにされてしまった対象をもう一度はっきりした形で復活させようとするその後の「綜合的時代」とに分けられる。」
「伝統的絵画観に対するその大胆な挑戦にかかわらず、総計的な運動であったことをよく物語っている。‥構成するということが造形的活動の本質であって‥。対象から出発して建築的画面を作り上げたセザンヌの後をうけて、キュビスムは絵画そのものの自律性を完全に確立した‥。」
「ブラックはヴラマンクのように感覚的なものに溺れ切ってしまうことのできない知的な性格を強く持っていたち。‥1907年から14年まで、ピカソとほとんど一体になってキュビスムの探求にすべてをささげるが、この時代のキュビスムの持つ厳しい知的な構成は、ピカソ以上にむしろブラックの気質に似つかわしい‥。」
「「対象となるものはわたしにとってもはや存在しない。あるのはもの同士のあいだと、ものと私の怠惰の調和のとれた関係だけだ」という彼の言葉は、まぎれもなくひとりの詩人の存在を物語っている。ブラックの作品は一見もの静かな表現の奥で、つねに力強く、自己の「詩」を歌い続けているのである。」
私の惹かれる画家のひとりである。以上の記述を読んでじっくりとブラックの作品を鑑賞したくなった。しかしあまり鑑賞する機会がない。ジョルジュ・ブラック展というものが開催されるならば、すぐにでも行きたいものである。