Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

濃霧注意報

2021年07月04日 22時50分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 傘をさすべきかどうか、迷うほどの小雨であった。最寄りの駅の傍にある2件のコンビニで必要な買い物を済ませた。駅から降りてくる人も、コンビニから出る人も空を見上げて傘を差すか、迷っているようだった。
 若い人は傘を広げずにそのまま歩く人が多かった。私のような年寄りは傘をさして歩いていた。私も傘を開いて、ゆっくりと歩いた。深い霧に包まれたような感じで、国道の街路灯の滲み具合が美し勝った。団地から見るとみなとみらい地区のビルの灯りもかなりかすんで醜くなっていた。
 帰りは上り坂、それなりに汗をかいた。21℃程度の気温ということで、久しぶりに長いズボンを履いたし、Tシャツも厚手の物を着ていたためである。しかし往復200歩にも満たない距離。いつもの1万5千歩ほどのウォーキングができずに物足りない。

 明日もまた雨が終日降る予想になっている。
 今横浜市から防災メールが届いた。ようやく大雨警報が解除になり、現在は大雨・濃霧注意報となっている。


ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」を聴きながら

2021年07月04日 21時45分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日と同じく本日もブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」を聴きながら、退職者会ニュースの作成。ふたつの記事をどうにか書き上げた。しかしまだメインの記事は材料が揃わない。
 明日にももう一度組合の会館に行って、情報収集などをしないといけないようだ。今回のニュースは編集作業よりも、記事集め・情報収集で苦労することになってしまった。
 もともと3か月連続でのニュース発行が無理だったのかもしれないが、止むを得ない。

 これより近くのコンビニまで食材を購入しに行かされることになった。明日の朝食の剤理療が不足しているとのこと。雨は小降りながら、降り続いている。気の進まない「おつかい」である。

 


日曜美術館「靉光の眼」

2021年07月04日 16時52分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は休養日、ということにした。一日中弱い雨がパラつき、ジトジトとした湿気が体に纏いつき不快な日である。
 午前中の会議が終了してからは、一歩も外に出ていない。昼食後には午前中に見ることのできなかった「日曜美術館」の「靉光の眼」の録画を見た。

 残された作品は多くはないので、放映された作品はライオンシリーズより前の作品をのぞいて見ている。が解説付で知らなかったこと、忘れていたこともたくさんあった。
 私が靉光の名を初めて知ったのは、「絵のなかの散歩」(洲之内徹)の中の「靉光「鳥」」という一編。今この一編を読んでいると、今回放映された番組ではこの一編が下敷きであることはぼ間違いないと思われた。
 遺品となって死後20年を経て遺族のもとに届いた「いしむら」という名を丹念な字で彫りこんだ飯盒のことや亡くなったときの様子、戦争中の絵の具の買い溜めに同意せず「絵は絵の具でかくんじゃない、絵の具がなければ泥でもかける」と言ったというエピソード、作成中は家族も2階のアトリエに寄せ付けなかったこと、特に自画像を作成するときは妻子を実家に遊びにやって描いたことなどが記されている。

 この一編には
「いま私がいちばん心を惹かれ、身近に感じる一群の画家たち、松本俊介、靉光、麻生三郎といった面々が、同じ頃、上野とはつい目と鼻の先の谷中に集まっていたというのに、せっかくの青春多感の日に、ついにその人たちと触れ合うこともなく終わったことを思うと口惜しくてならない。」
「あるとき京橋の近代美術館へ展覧会を見に行ったら、一階の、入口を入ってすぐの、広間のような具合になっている場所の真中の柱に、靉光の「鳥」が掛っていた。「これが靉光か」私は感慨をこめて絵の前に立ちつくした。とはいうものの、そのときの感慨がどういうものだったかは、もう思い出すことができない。思い出すのは、絵を見るなり、「この絵は欲しいなあ」と思った。それだけである。‥しかし一枚の絵を心から欲しいと思う以上に、その絵についての完全な批評があるだろうか。」
と、昔読んで気に入った文章もある。

 この文章のような鑑賞が私にはできそうもないが、直観といものは大切にしたいものである。

 《鳥》1940年