Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

筋肉の衰え

2022年03月19日 23時34分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 雨と風が1時間ほど前の22時ころにようやくおさまった。月齢17の立待月ほぼ天頂付近にあって美しい。月に照らされた雲もまた美しい。
 明日は気温が少し下がるが午前中は晴の予報。21日の月曜日は雨時々雪の予報になった。来週前半は天気が悪いようだ。

 背中の薬疹は少し枯れてきた。しばらくは薬を塗り続けることにした。眩暈の薬は本日の夕方より中止。服用する薬は少ないほうがいいに決まっているが、同時に眩暈への恐怖が蘇ってくる。

 本日は通院の行き帰りは杖を突かずに歩いた。急坂を2往復した。脹脛、太腿の前側、おしりの筋肉を意識して、筋肉を鍛えるつもりで力を入れながらゆっくりと歩行。
 右膝をかばうために杖を突いて歩いているうちにこれらの筋肉がだいぶ衰えたようだ。膝が少し良くなったという前提で、これから筋肉をつけないといつまでも杖を手放せなくなる。急坂の上までたどり着くと、筋肉が衰えているのがよくわかる。息も切れる。歳をとると筋肉の衰えが早いものである。

 


読了「万葉の歌びとたち」

2022年03月19日 21時53分58秒 | 読書

      

 じっくりと楽しんだ「万葉読本Ⅱ 万葉の歌びとたち」(中西進、角川選書)を読み終わった。読み終わった、という感覚よりも「読み終わってしまった」という少しがっかりした気分である。中西流万葉の世界に遊んでいたのに、万葉読本Ⅱまでが終わってしまった。残るは万葉読本Ⅲの1冊である。
 この万葉読本Ⅱは、女流歌人と柿本人麻呂と山上憶良、不遇であった「王(おおきみ)」たち、そして大伴家持を取り上げている。家持については、私は特に興味がある。
 最後の今回は第Ⅳ章とあとがきから。取りあえずいつものとおり覚書として引用。

「家持には「ひとり」が鬱情と結びつく図式があるようで‥連帯する人間存在を欠いた孤独をいっていると見える。‥身辺にみちようとしてまだ平静を保っている親しき人々の凋落のけはいを、敏感に感じとっていた詩人の魂がある。‥詩人には予測される生命感といったものがあるのではないか。‥そうしたことが可能だったのは、正と負の世界をともに見、想念を風景の中に見てしまう彼の詩心があったからである。‥かれの詩性をしてここに到達せしめたものは、彼をとりまく政治情況であった。もっと正しくいえば政治情況の中に感じられる人間関係であった。それは溶暗のほのぐらさの中にあったのだが。」(「大伴家持(二) ――勝宝五年の春」)

「私にとって万葉集の面白さの大半は、人間の面白さだといえる。‥万葉集に限らずすべての文学の面白さはそこに表されいる人物や作者という人間への関心から発している‥。投じよう人物にしても作者の人間性にしても、あまりとりつくろっていない方がいいし、いささか出来の悪い方が、一層面白い。‥やはり人間は愚かしい本姓をさらしているのがいい。こちらも安心して愚かしさをさらけ出していけるからである。」
「ことに万葉集は、多様な人たちが作者として登場する。その多様さとは万葉集の時代が遥かな古代の伝統を宿しながら急激に文化が発達していったという背景に培われたものでもあるし、万葉集の作者たちを画一化する美学的規範を彼らが持っていなかった‥。」(あとがき)

 次は最後の「万葉読本Ⅲ 万葉のことばと四季」であるが、もう少し先に読み始めたい。次に読む本は今晩中に決めたい。


マックス・ローチ「WE INSIST!」

2022年03月19日 16時31分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 本日聴いているCDはマックス・ローチほかの演奏による「WE INSIST! FREEDOM NOW SUITE」という1960年録音のもの。
 解説にわかりやすくブラック・パワー運動の歴史が記されている。1963年以降の激しくアメリカを揺さぶった運動である。ただし解説の記事中、キング牧師の有名な“I Have a Dream”のスピーチが行われたワシントン大行進(1963年)の3日前にこの録音が行われた、というのは違うようだ。録音は1960年8月で大行進の3年前である。
 1860年のリンカーンの奴隷解放宣言から100周年にも関わらず黒人差別が解消しないアメリカの現状に対して向けられたプロテストソングでもある。
 「ジャズとはそもそもプロテストソングである」、と1960年代半ばに中学生になった私は教わったものである。しかし他人事のようにそのことばは私の頭上を通り過ぎていた。1970年以降の学生時代に再びそのように教わったものの、そのころにはこの種のジャズはジャズ喫茶でもあまり聴かなくなっていたと思う。ジャズ喫茶にはずいぶん誘われ、自分からも行ったけれども、静かで孤独な曲ばかりを追いかけていたと思う。
 そもそもメッセージ性の強い音楽のプロパガンダ臭が嫌で敬遠してしまっていた。
 それがジャズに限って私は惹かれるようになったのが30代末、1980年代末になってからである。もっとも学生時代と同じで静かで孤独なものを中心に聴いていた。
 しかし次第に、自分の十代半ばの頃、世界がざわついていた時代の息吹に身を浸すことが多くなったと思う。そのころに購入したCDである。
 時代に対して奥手だったのか、音楽に対して奥手だったのか、自分ではわからないが、最近はいつも自問自答を繰り返している。
 


薬疹

2022年03月19日 14時36分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 4週間前に背中が痒くなり、鏡では見えないので妻に診てもらったら小さな赤い発疹があった。そのときは気にもとめなかった。しかしここ3日ほど痒みが増し、妻に再度見てもらったら大きな赤い発疹となっていた。慌てて以前に皮膚科でもらった副腎皮質ホルモン剤を塗った。

 4週間前というと眩暈の薬を処方してもらったころである。土曜日なので午前中に眩暈の薬を処方してくれた耳鼻咽喉科・アレルギー科の病院を受診。自宅のすぐ近く。土曜日で患者がいっぱい。1時間を超えて待った。途中いったん帰宅して時間を潰して再度病院へ。月曜も休診なので余計に混んでいたと思われる。

 医師の診断では発疹は、1箇所ではなく首筋や腰回りにも小さな赤い発疹があるので、薬疹であることは間違いないだろうということで、薬はとりあえず中止となった。
 眩暈の薬単独での薬疹なのか、他の薬との複合作用による薬疹なのかはなんとも判断は出来ないらしい。
 人にうつるものではないが、人には見せたくないものである。

 さいわい眩暈は2週間前からおさまっている。薬を中止することで症状が再び出ては困る。