Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブラームス「交響曲第4番」

2016年03月27日 19時28分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ブラームスの交響曲はどれもいい。好きである。特にこの4番は聴くにしたがい好きになってくる。



 冒頭すぐに第1主題が始まる。これが私を一気に気分を鎮まる。演奏会場で聴いてもCDを聴いても、ラジオ放送で聴いても目の前の視界が広がるように感じる。広大でなだらかな自然を思い出させてくれる。



 第2主題は勇ましい感じが最初はするが、曲全体は高潮してもすすり泣くような呻きに聴こえるのが不思議である。粘っこい弦楽器の奏法が求められ寝る。



 第3楽章の主題も気に入っている。
 しかし何といってもこの第4交響曲の一番の魅力はフィナーレ、第4楽章の主題と33もの変奏である。

 カラヤン指揮ベルリンフィルの1988年の録音である。カラヤン-ベルリンフィルというコンビの曲は他に持っていない。他の指揮者、他の交響楽団の演奏を聞いてみたいと思っているが、4曲揃いとなると安くはないので実現していない。

   

本日の予定は終了

2016年03月26日 23時12分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
本日は代々木公園-明治公園-新橋駅傍とほとんどを都内で過ごした。当初代々木公園から新宿中央公園のデモコースに参加するはずであったが、参加コースが予定と違っていた。長いコースになって退職者会の参加者はがっかりしていたが、新橋での飲み会の最初の一杯が美味しくなって嬉しかったとのこと。それが元気の素でもあり、楽しみでもある。
 さて、明日は横浜市内で会議の連続。夕食は家で食べたいと思ってはいるが、どうなることやら。

 参加者名補の整理、撮影した写真の整理が終わった。あす・明後日にかけてに19日の報告と合わせてホームページに記事を掲載することにした。
 本日はこれにて店じまい。

代々木公園のサクラ

2016年03月26日 21時40分08秒 | 山行・旅行・散策
      

 集会の後のデモが16時過ぎに終了し、銀座線で新橋駅に向かい、ガード下で打ち上げ。11名でひとり4000円、その内の大半が焼酎のボトル代となった。平均年齢が今回は70歳近い参加者の飲み代とは思えない金額であった。とあきれている私もそれなりにアルコール代には貢献している。
 デモと横浜駅から歩いて帰った分を含めて本日は2万4千歩となった。昨日はウォーキングとして汗をかいたが、本日はゆっくりと歩いたので運動量としては少ない。しかし11時過ぎからずっと立ちっ放しであったので、太ももの筋肉と腰の筋肉はだいぶ酷使したようでだるさがひどい。
 明日は腰の筋肉の休養日としないとまたぎっくり腰になってしまう可能性がある。

 代々木公園では桜がだいぶ咲いていた。横浜よりは早いのだろうか。行く途中で東横線が目黒川を越えるときに見たら、ほとんど咲いていなかった。代々木公園の桜は咲くのが早いようだ。

 引き続き29日(火)が国会前行動ということで、参加することになった。たまたまスケジュール帳が空白であったのがまずかった、と反省。

本日は代々木公園へ

2016年03月26日 09時45分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は退職者会の取組みの一環で「原発のない未来へ!3.26集会」。ということで代々木公園へ。東横線を利用するとして渋谷駅よりも明治神宮前駅を利用した方が若干距離は近いようだが、集まった会員と相談した方が良さそうだ。集会後は明治公園近くまでのデモがある。
 昼前に集合して現地までまとまっていくのだが、私は昼食用におにぎりを持参した。100円ショップで購入したおにぎり一つ分の小さな弁当箱に入れてきた。横浜駅に着くまでにコンビニでお茶を購入すれば万全。公園の中で焼きそばを購入しても高い上に食べたいとは思わない。集会中に頬張ればいい。
 昨晩はカメラの充電、集会チラシや参加予定者の名簿の打出し、目印の小さな旗の用意、筆記用具の確認といつものとおりとはいえ慌ただしかった。先週日比谷公園に着いた時にはカメラにSDカードが入っていなくて慌てた。予備用をリュックに常備していたので事なきを得たが、だいたい何かを忘れる。情けないものがある。
 気温は昨日よりも低いとのことなので、1枚余分に着て出ることにした。

   


花見はどこがいいか‥

2016年03月25日 23時19分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は少々寒かったが、ウォーキングに出かけた。だんだん元気が回復しつつあるようだ。ちょうど2時間で1万7千歩で戻った。かなりの汗をかいた。その後横浜駅までを歩いて往復。合計2万5千歩あまりで本日は終了。
 横浜駅で1000円で散髪。2か月ぶりだったような気がする。少なくなってしかも細くなった白髪頭でも刈ればやはりすっきりとする。
 昨日は休肝日だったので、本日は軽く缶チューハイ1杯の晩酌。黒酢を入れたのだが、少し入れ過ぎて酢の味が強すぎた。梅酒を足した方が良かったと反省。
 そろそろ桜を見に行く予定をたてたいのだが、まずは例年のとおり親族を引き連れて多磨霊園に行く必要がある。次に今年は大磯駅と平塚駅の間にある高麗山あたりまで足を伸ばしたいと思っているが果たして‥。
 いつものように目黒川沿い、横浜の大岡川沿い、などをで済ませることも候補である。

 明日は曇、最高気温は本日よりも2℃ほど低い予想。夜には雨の可能性があるらしい。

「奇想の系譜」(辻惟雄)から「狩野山雪」

2016年03月25日 21時46分53秒 | 読書


 本日は昨日に引き続き辻惟雄の「奇想の系譜」を読書。2番目に取り上げている狩野山雪(1590-1651)について3回ほど読みなおした。なかなか魅力に富む画家のようで、辻惟雄の筆も冴えているように感じた。



 そういえば本年初めの東京国立博物館での「初もうで」のチラシの「猿猴図」は狩野山雪であった。

 ネットで検索すると「17世紀の京都で活躍した京狩野派を代表する絵師。奇矯・奇怪とも評される垂直・水平を強調した幾何学性の強い理知的な装飾と、古画への深い造詣に基づきながら伝統的な画題を独自の視点で再解釈する斬新な画面構成で数多くの作品を制作。独自性が際立つ山雪の諸作品は近年、高い支持を集めており、再評価が進んでいる」【http://www.salvastyle.com/menu_japanese/sansetsu.html】となっている。
 「奇想の系譜」の中では次のような表現に私はチェックをいれてみた。



「「梅に山鳥図」の白梅の、巨大な盆栽を思わせる奇矯な枝ぶりは印象的だ。たくましく延び生えようとする樹木の生命力と、それを仮構された幾何学的秩序に屈従させようとする一種偏執的な努力との、無言のせめぎ合いがここにはある。優勢なのはどうやら後者のほうらしく、ために、老梅は、ぎこちない姿勢のままで、まるで呪文にかかったかのように、金地の空間のなかに凝結させられている」



 また「老梅図」について、「(梅に山鳥図)に見られたと同じ白梅の枝ぶりが、15年後のこの(老梅図の)画面に再登場しているのを知るのだが、そのあまりにもの変貌ぶりに驚くだろう。老樹
の灰緑色の幹は、金地の輝きのなかを、さながら身もだえしのたうちまわる巨大な蟠龍のように、上昇し、屈曲し、痙攣する。桃山の巨木は、ついに奇怪な幻想の世界に映されてしまっ」

わたし好みの表現にすっかりはまってしまっている。あすからは次の伊藤若冲の章に入る。


ショパン「チェロソナタ作品65」

2016年03月25日 12時17分56秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ショパンの作品のCDで持っているのはこれで最後。実はこのCDは持っていても聴いた記憶が曖昧である。不勉強でショパンがチェロの作品を手掛けていたことも頭に入っていなかった。同梱のドビュッシーのピアノソナタ、フランクのヴァイオリンソナタのチェロ版は聴いた記憶がある。
 きってショパンだからピアノ主導のソナタ、という偏見すらあったが、聴いてみてチェロの魅力が満載だと感じた。まずピアノとチェロが競い合ったり、支え合ったりと複雑に主客が変化する。
 解説によればフランショームというチェリストと古くからショパンを支えていた友人に助言を受けている。ショパンのチェロの曲は3曲(他に序奏と華麗なるポロネーズ、マイアベールの主題によるグラン・デュオ・コンチェルト)。このソナタは39歳で亡くなったショパンが35歳で作曲している。これを期にヴァイオリンソナタなども構想していたという。これは是非完成してほしかったと思う。
 短い曲が多いショパンと云われるが、4楽章、30分を超える曲の緊張感を維持する構成には大きなエネルギーを費やしたと思われる。
 私はこの曲が今はすっかり気に入った。
 このCDは2000年11月の演奏会のライブ盤である。購入した時期は記憶にない。

 最後の「序奏と華麗なるポロネーズ作品3」は、ショパン19歳の作品。初期だけにあって旋律が前面に出て美しい曲である。特にチェロの序奏部の旋律は魅惑的である。ポロネーズの部分もピアノとチェロが交互に存在を示し合うという単純さはあるが、明るい屈託のない曲だと思う。ショパン自身が「はなやかなサロン音楽」と記しているという。

            

休肝日&休養日&「奇想の系譜」(辻惟雄)

2016年03月24日 22時42分12秒 | 読書
 昨日は久しぶりにブログのアップが出来なかった。ひとり飲みがいけなかった。つい誘惑に負けた格好である。だいぶお酒を飲んだので、本日は休肝日&休養日。
 寒い日であったが、15時頃から日が照り始めた。そして最高気温は16時過ぎにようやく9.4℃を記録した。雲が切れなければ5℃台の気温に終始したと思われる。
 日が射したのを確認してから、横浜駅まで食材の買い物に付き合った。私一人で1時間ほど喫茶店で読書。

 本日から読み始めたのは、「奇想の系譜 又兵衛-国芳」(辻惟雄、ちくま学芸文庫)。岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳の6人を論じている。昨日読み終わったヤマザキマリのような大胆な表現ではないが、いわゆる解説書には無い視点が嬉しい。奇想と云われる作品の根拠に迫ろうという力を感じる。

ショパン「ピアノ協奏曲第2番」(エマニュエル・アックス)

2016年03月24日 20時40分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 ショパンのピアノ協奏曲はツィマーマンのものと、このアックスのもの2種類のCDを持っているが、ときどき聴いていたのはこちらのもの。1枚のCDに2曲とも入っているので、手間がかからない、という実に安易な理由からである。
 聴き慣れているのでこのCDを聴くと少しホッとする。ツィマーマンの方があるいは優れた演奏と云われるものかもしれないが、ちょっと息苦しいと感じた時は、演奏者には失礼だと思うがこちらの方が聴きやすいと思う。
 何処がどう聴きやすいのか、と問われると具体的に自信をもって答えられないのがもどかしいが、主旋律が浮かび上がってきているためかとは思う。


「偏愛ルネサンス美術論」(ヤマザキマリ、集英社新書)

2016年03月24日 15時39分54秒 | 読書


 著者は「テルマエ・ロマエ」の作者である。イタリアで美術史と油絵を学んだ経歴を持ち、実にユニークである。と同時にまさしく偏愛である。しかしその裏には好きでたまらないルネサンス美術と建築をじっくりと鑑賞・観察してきた裏付けを充分に感じることが出来る。
 私はこのようなユニークな視点と断定がとても好きである。型にはまっていない。しかも説得力がある。
 まずはフィリッポ・リッピから語り始めるあたり、「この人は本物だな」とまず思わせてくれる。私もリッピの「聖母子と二天使」はとても気に入っている作品である。類型的な聖母子像であった聖母に、高貴な女性を描いた作品が出現し始めたといわれた時期だと思うが、リッピは自分の30歳近い年下の妻をモデルとしたといわれている。当時としては生身のそれも身近な女性を聖母のモデルとしたというのはなかなか大胆である。多くの作品にこの女性が登場する。
 その次に登場するのがリッピの弟子と云われるボッティチェリ。なかなか憎い登場の仕方と思う。ヤマザキマリの鑑賞が油絵を描く学生として、模写を丹念に行った経験、そして漫画家としての視点で「ボッティチェリの絵には大きな特徴があります。それは「輪郭線を描く」ということです」「この輪郭線があることによって、二次元的表現ではあるけれど、背景にソフトに溶け込んでいたものまでが、くっきりと前に浮き出ているように見える。ボッティチェリの絵が現代の日本人にとって受け入れやすい理由の一つは、「漫画的な表現」だから」という断定もまた不思議と納得してしまう。
 ミケランジェロは「遊び心」がなく、ええお「偏屈」「変人」といわれながらも政治権力とうまく付き合えた人、レオナルド・ダ・ヴィンチは人間嫌いで、依頼主からクレームにも頓着しない、流行に合わせる気もない「我が道」を行く人、ラファエロは「気遣い」の人だが、「どこか如才なさも持ち合わせ」た「偉大な中庸」を貫いた人、ということになる。
 最後の章の作者独自の「ルネサンス」論もまた楽しい断定の、心地よい論である。
 「宗教から完全に自由ではない西洋人より、宗教概念が希薄な日本人の方が、精神的に自由だといえない」、「だれもが既成の考え方に流され、「長いものに巻かれる」風潮は日本の方が顕著」、「今の日本に一番欠けているのは、ルネサンスを育んだ懐疑的な精神」、「(国や郷土という)場所に対する排他的な執着心や、変化というものを嫌う鎖国的な日本の精神性を好意的に捉えることが出来ない」‥。
 私が普段思うことと同質であることがかかれているとともに、肝に銘じておこうと思うことも指摘してある。なかなか面白く読ませてもらった。

      

久しぶりに「一人飲み」

2016年03月24日 02時30分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は夕方からひとり飲みをした。最近は一人で飲みに行くことはほとんどない。現役の頃は21時過ぎに会議が終わってから、フラッと店じまい直前の居酒屋に入って、生ビール1杯と焼酎のお湯割り1杯、冷奴か枝豆、マグロのブツか烏賊の刺身、これらの内から2品位を注文し、1時間くらいで切り上げてから帰宅した。
 退職直後は、午前中10時過ぎから営業している居酒屋があり、昼前に生ビールを飲みに入ったことがある。週に1回くらい通った。しかし4回ほど通った時に、昼間から赤い顔をして繁華街を歩くことに気恥しさをおぼえ、これは止めた。また昼間から居酒屋で大声でたむろしている周囲に違和感を覚えた。
 むろん朝になって仕事を終えた勤め人も何組かはいた。また土・日に仕事をしていた人々が平日の午前中に息抜きをしているのもいる。若い彼らのつつましいデートの場面にも出くわした。これらの人々はすぐに雰囲気でわかる。特に違和感は感じなかった。勤務時間が多様化した今は、そのような人々のための居酒屋の存在は貴重なものかもしれないと感じた。しかし大半は退職後に時間を持て余した私のような人々、子どもを送り迎えの合間の主婦のグループなどで、違和感を持ったことも事実である。
 そんな体験から最近は一人で居酒屋に入ることは極端に減っている。むろん安く切り上げるのは得意だが、それでも年金生活なので金銭的にもったいないと感じる。

 昨晩は、新書1冊を読みながら、生ビール1杯と焼酎1合とツマミ一品で1500円少々で終了した。しかし25度とはいえ久しぶりに焼酎1合は効いた。1時間ほどで切りあげたものの、帰宅後すぐに寝てしまった。
 日付が変わってから起き出して温い風呂に入り、ようやく目が覚めた気がする。当分は一人飲みは遠慮しておこう。また本日は休肝日としたい。


明日も動き回る日か

2016年03月22日 23時11分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は月に一度の幹事会、いろいろの日程がスケジュール帳を埋めていく。半ばあきらめの心境でそれを眺めている自分もいる。今回はうまく講座には重ならずに日程が入った。自分に直接関係ないイベントでも取材で参加しなくてはいけない行事もある。その合間を縫って隔月刊の退職者会のニュースのスケジュールを作っていく。ついでにブロックの会報も作る日程を想定する。
 現役時代よりはスケジュール帳に隙間はたくさんあるし、時間的なゆとりもないではない。何しろ給料のための仕事は無いのであるから、それは幸せである。現役時代は仕事のスケジュールのほかに勤務時間外の18時から22時は毎日ぎっしり埋まっていた。埋まっていないと何か不安であった。それが高じると精神的に追い詰められた状態になるる。手帳に書き込むスペースがなくなって欄外に※印で書き加えていた。58歳でこの状態から抜け出すと、エアポケットにはまり込んだように頭の回転が突然錆び付いたように止まったと感じた。心療内科のお世話になった。
 2年で抜け出したのはさいわいであったようだ。

 さて、明日も一日動き回らないといけないようだ。天気はさほど悪くはなく、また暖かい。

ショパン「ピアノ協奏曲第2番」(ツィマーマン)

2016年03月22日 21時54分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 ショパンのピアノ協奏曲第2番は第1番に比べて演奏される機会はすくないといわれている。しかし私はこちらの方が好きである。いわゆる一般受けするというものにはつい背を向けてしまう性格が現れているそうである。
 第1楽章のオーボエによって奏される第2主題がいい。
 この協奏曲ではしかし、何といっても第2楽章がいい。19歳のショパンの初恋にかかわる思い入れがこの第2楽章をつくった契機と、作曲者自身が述べているようだから、そのとおりに曲の流れを追っていくのもいいかもしれない。
 この第2楽章はノクターン風ということであるが、抒情的ということばが私に与えるイメージどおりの曲想である。そんなには強弱の差は大きくはないが、劇的で情感たっぷりの印象である。寂しげですこし憂鬱な印象を背景にして、ピアノの転がすような下降する音階が、私は惹かれる。私は青年期の感情ということにとらわれることなく、ごく自然に心地よく音楽の流れに身をゆだねるのがいいのではないか。そういうことが許される曲想だと思う。
 この第2楽章だけでも独立して演奏されるのもいいかもしれない。最後の消えてなくなりそうな終わり方も印象的である。
 第3楽章はマズルカの形式を基本としている。軽快で第2楽章とは対照的である。最後のホルンの咆哮のようなファンファーレに首をかしげる友人がいた。私は気にはならないのだが‥。

 この協奏曲第2番も第1番と同様にオーケストレーションが貧弱で他の作曲家の手になるという指摘があるそうである。私はあまりそのことは気にならないのだが、実際のところはどうなのであろう。このCDは1999年の録音である。

久しぶりにジャズにも惹かれているが‥

2016年03月22日 17時53分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 朝からが幹事会とメール作業が14時過ぎに終了。その後、近くの店で生ビール1杯とモズク酢の打ち上げを行い先ほど帰宅。
 天気が良く、室内にとどまっているのはもったいないとは思ったが、共同の作業を抜け出すわけにはいかない。ワイワイガヤガヤと作業をするのが、楽しみでもある。

   

 さて、現在チケットを購入するかどうか悩んでいるのが「ジャズ・ナイト ヨーナス・ハーヴィスト・トリオ」の演奏会。ジャズについてはほぼ知識が無いに等しいが聴くのは好きである。どのような演奏になのがわからないが、いい刺激になりそうな予感はしている。フィンランド出身の団体、しかもシベリウス音楽院出身ということで、シベリウスという名前を聞いただけで惹かれてしまう。自分でも情けないとは思うが‥。これから日程と相談しながら決めてみたい。
 ただし遠いという難点がある。会場を出てから横浜駅に戻るまでに40分はかかる。一人で行くわけにはいかないので、制約はある。

今月3回目の2万歩越え

2016年03月21日 22時49分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 14時過ぎからウォーキングに出かけた。気持ちの良い汗をかくことが出来た。気分的にずいぶんとスッキリとする。いつものコースであるが、畑の間などもとおり景色もいい。

 ようやくウォーキングに出かけることに決意をしなくても良くなってきた。風邪が治ったばかりの今月初めなどは、体が億劫がっていた。先週のウォーキングで気分的にも楽になったと思う。腰の痛みもすっかり消えた。
 本日は往復で2万歩あまり。2時間20分かかっただろうか。先ほど夜遅くまで営業しているスーパーへ買い物に付き合った結果、本日は合わせて2万3000歩余り。このペースが続けられるといいのだが‥。せめて週に2~3回したいと思っている。
 昨日もウォーキングに行きたかったが、一昨日の深酒が体を蝕んでいたようだ。無理は出来ない。本日は休肝日となった。

 明日は9時から組合の会館で退職者会の幹事会と、午後からはメール作業がある。送付文書はかなりある。朝9時に到着するためには家を8時に出なくてはいけない。普段8時過ぎに置きだしてくる生活なのでキツイ朝である。