Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

新年度からの講座

2016年03月05日 22時01分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日、横浜のそごう美術館にて院展を見るつもりでいたが、携帯のメールの不具合を直してもらおうとして、店で1時間以上待っていたので時間切れで断念。
 もっとも今月27日までが会期なので十分に間に合う。折角無料招待券を手にしたので、時間を作って久しぶりに見に行きたい。

 先ほどネットで神奈川大学のエクステンション講座の4月からの講座を申し込んだ。6講座申し込む予定だったが、申込みが完了した講座は5講座。1講座は電話での受付となっており、月曜日に持ち越しとなった。すでにいっぱいなのであろうか。チョイと心配である。さらにあと2講座について興味はあるのだが、思案中である。
 5講座ないし6講座とすると、これまでの半分である。金銭的にも日程的にも楽にはなる。
 
★連続講演会 沖縄を知る──歴史・文化・社会
【目取真俊、安藤礼二、小森陽一、西谷修、アーサー・ビナード】
★平家物語のこころに親しむ その10   【鈴木彰】
★知っておきたい!ルネサンス美術の魅力   【三沢恵子】
★特別講演会 ほんものの民主主義とは何か   【浅野史郎】
★特別講演会 東日本大震災から5 年 被災地復興の現状と課題   【松田磐余・佐藤孝治】


横浜緋桜

2016年03月05日 20時22分32秒 | 山行・旅行・散策


 横浜駅まで腰痛をだましだまし歩いてみた。暖かったのと講座が始まるまで余裕をもって家を出ることが出来たので、ゆっくり歩くことが出来た。



 明るい陽射しの中、旧東横線沿いにできた緑道に植えられている「横浜緋桜」が気持ちよさそうに咲いていた。いつもはもう少し早めに花が咲いていたように思ったが、記憶違いであったか。散り始める直前のような状態で、満開の頃合いだと思う。見頃といっていいかもしれない。むろん桜であるから咲き始め、散り際も大いに風情がある。この横浜緋桜、ソメイヨシノに比べて花の時期は長い。
 さいわい横浜駅まで腰の痛みが出ることもなく歩くことが出来た。
 一家で外食という贅沢をして先ほど帰宅。



 携帯電話のメールの受信の不具合というのは、メールそのものが消失したわけではないが、サーバーへの問い合わせを頻繁に行わなければな受信できなくなったことである。とても面倒である。本日行った店では、原因がはっきりしないまま、SIMカードを取り換えてみる、ということになった。しかし試験的にメールを送信したがどうも改善されていないようだ。暫く様子を見た上で必要なら再度修理を依頼するしかない。その時は本日の店とは別の店に行ってみたい。


【追記】横浜緋桜について、次のような解説を見つけた。

★横浜市環境創造局のホームページから
【生みの親】
  桜の新品種作りに取り組んでいる白井勲氏(港北区高田町)。
【特徴】
  ・花は赤みが強く大輪、下向きに咲きます。
  ・染井吉野と同じように、葉の出る前に花が咲きます。
  ・開花期が早咲き・中間咲き・遅咲きの3タイプがあります。(花の形態は同じ)
  ・早咲きは3月20日ごろから咲きはじめ,遅咲きは4月10日ごろから咲きはじめます。
  ・小学校で入学式のころに満開になるものを植えたい時には、中間咲きのものを植えます。

【経緯】
 昭和47年ごろに早咲き種の鮮やかな紅色の寒緋桜と病気に強い山桜(兼六園熊谷)という種類)を交配させ、それぞれの系統の利点を備えた丈夫で美しい桜が誕生しました。
 昭和60年1月、その桜は、横浜の名を冠し、花の色の特徴を表す,「横浜緋桜」と名付けられました。
 そして農水省に種苗法に基づく品種登録がなされました。
 平成8年4月2日には横浜公園開園120周年を記念して横浜緋桜の植樹式が横浜公園のこどもの遊び場付近で、横浜市長(高秀秀信)、横浜緋桜の生みの親の白井勲さんが参加して行われました。
 平成9年11月12日には品種登録された最初の木(原木)が白井勲さんから中区制七十周年記念実行委員会に寄贈され,本牧山頂公園東側の芝生広場に植栽されました。

「見出し」の美学

2016年03月05日 10時48分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 腰の痛みは少しだけ軽くなったようである。本日の13時から14時半は講座で出かける。妻ではどうも本日の昼は、私の母親と妻と娘の3人で昼食に行くらしい。私のいないところで3人、仲がいいのは嬉しいが、話のネタは私になることは間違いなさそう。クシャミの連発に備えてティッシュとハンカチは忘れてはいけない。クワバラ、クワバラ。

 さて先月にスマホのメールのアプリがバージョンアップしたのだが、それ以来自動受信にならない時が頻発している。設定は受動受信になっているにもかかわらず、こちらから問合せをしないとメールが届かない。常時ではなく自動受信する場合もある。
 帰りがけに店におもむいて調べてもらった方が良いようだ。

 今や携帯のメールはなくてはならないものになっている。携帯に直接入ってくるメールは親族・友人からの連絡、気象予報・警報注意報、行政からの災害情報、そしていくつか契約しているフリーメールからの転送(美術館・博物館情報、組合からの連絡、いくつかの新聞社の報道記事、そしてツィッター情報‥)と毎日30通近く受信する。
 親族・友人や組合関係からの連絡はすべて目をとおすが、その他は表題だけ見て関心をひくものだけ見る。

 私にとってはこのメールの表題、あるいはニュースの見出しというものの重要性が増している。私個人に限らず、目をとおす記事の取捨選択は、情報過多の時代にとっては社会全体の要請が強くなっている。
 電車の中の吊り広告と同じで、表題を見て大体の見当はつく。ただ最近は新聞でも雑誌でも意味の通じない見出しが多くなった。こちらが自覚的に見出しだけを見るようになったことも原因かもしれないが、無理に短くして主語が分からなかったりする。本文を読ませるための工夫とはとても思えない。見出しの美学が崩れているとしか思えない。
 スポーツ紙を見る限り、見出しの美学が視覚、レイアウトの美学に陥っている。記事の意味を伝えるための美学を喪失している。そしてそれが、一般紙の政治面、社会面にまで波及してしまっている。政治家の言辞がますます劣化しているが、マスコミの文章もますます劣化している。
 もっとも古い新聞や雑誌を丹念に追ったわけではないので一概に上記のような結論は飛躍しすぎかもしれない。果たして真相はどうであろうか。

 もうひとつ気になることがある。美術展に行く機会をたくさん作っているので、美術展のチラシを丹念に目をとおすようになった。展覧会であるからむろん多くの人に来てもらわなければ経営として苦しくなる。だが、「誰それの最高傑作」だの「美術史上の記念碑的作品」、「来日は最初で最後」などのドキッとするような副題がつけられているものがある。あるいは「誰々展」と称して副題にはちゃんと「誰々と同時代展」となっていて目玉はわずかな点数であったりする。
 美術愛好家が離れていかないような自制、それこそ美学をもってもらいたいものである。

腰の痛み再発

2016年03月04日 22時26分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 腰の痛みがひどくなった。風邪がやっと治ったと思ったら今度は腰の痛み。いつになったら体の動きが元に戻るのであろうか。だんだん自棄になってきそうである。本日からは湿布をするようにした。以前腰が痛い時に整形外科から処方された痛み止めは、3日分くらいは残っていると思っていたが、すでに無くなっていた。
 前にも記したが、どうもこの近辺に頼りになる整形外科医がいない。歩いて30分のところにある整形外科は流行っている。昨年山で左ひじを強くぶつけて「骨折か」というときにかかった医師である。てきぱきしていて説明も納得できる医師なのだが、腰の痛みの身では歩いていくには遠い上に、直通のバスもなく、そしてとても混んでいる。評判がいいのであろう。
 本日そこの病院で受診しようとも思ったが、何となく出そびれてしまった。湿布薬はかなり残っているので明日・明後日はこの湿布で対応するつもりでいる。
 明日はみなとみらい地区での講座である。本当はいつものとおり歩いて往復したいが、電車を使わざるを得ない。

明日の講座「東アジアの冷戦体制と戦争記憶の民主化」

2016年03月04日 18時14分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 Bunkamuraザ・ミュージアムの「ラファエル前派展」、山種美術館の「ゆかいな若冲、めでたい大観」を見に行きたいと思っているうちに会期末となってしまった。明日土曜・明後日日曜がともに最終日なので、多分人出が多い。腰がつらい状況では残念ながら断念せざるを得ない。村上隆の「五百羅漢図展」、東京駅のステーションギャラリーの「ジョルジョ・モランディ展」も同様である。ここ2~3日は遠出はしたくないし、無理のようだ。
 ボッティチェリ展は4月3日までなのでもう少し時間がある。カラバッジョ展は始まったばかりで6月が会期なのでこれもまだゆとりがある。
 ということで、明日もしも腰の状態が許せば横浜のそごう美術館の「院展」という選択があると思いついた。
 まずは明日の腰の状態と、混雑の具合で決めるしかない。
 今週は予定がないと早合点していたら、講座が13時から14時半まであった。昨日気がついた。忘れて欠席ということになっていたかもしれない。
 みなとみらい地区で行われる講座は「東アジアの冷戦体制と戦争記憶の民主化」(講師 米谷匡史東京外国語大学教授)。帰りがけにそごう美術館に寄ってみたい。

ショパン「ワルツ全集」(アシュケナージ)

2016年03月04日 13時32分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


ショパンのワルツは実際の舞踏会用の音楽から、抒情性あふれる独奏用ワルツへと変身したワルツであると、教わってきた。
 だからエピソードとしてよく語られているシューマンの言葉といわれる「(舞踏用として用いるとしてもショパンのワルツは)ワルツに合わせて踊るのであればその相手は貴(伯爵)婦人でなければならない」の意味が私にはよくわからない。
 とても舞踏用とは思えないワルツはかなり高度に訓練された人間でなければ対応できない、と私が感じているのが間違いなのか、といつも不思議に思う。そのようなエピソードにこだわる必要はないと思いつつ、このエピソードの意味するところをどなたか解説してほしい。
 さまざまな解説を見ると「大ワルツ」と云われる第1、2、4、5、14番が実際の舞踏会用の作品で、他は「作曲家の内面を表現した抒情詩」と云われる。
 「内面」と何かと云われると私はとても困惑する。第6番の「子犬のワルツ」のエピソード「ジョルジュ・サンドの買っていた子犬が自分の尻尾を追ってぐるぐる回る様子」とがあるが、ショパンはきっとそれが「内面」と云われて大いに面喰っているであろう。
 ショパンにとってさまざまなジャンルの形式の曲をピアノの表現の手段として活用する中でワルツという形式、リズムが大いに気に入ったいたと思われる。ピアノ特有の細かいパッセージの多用、複雑な和声と旋律の進行が可能なピアノによってもたらされる躍動感、華麗さなど、ピアノの表現を大きく広げたといわれるショパンの評価に沿った専門家の評論が是非とも知りたいと思うとともに、それを踏まえた解説を私は大いに望んでいる。

 このCDはショパンの作曲年代ごとにアシュケナージが録音したものを曲種ごとに再編集したものである、と記載されている。しかし録音年代は具体的には記されていない。

      

久しぶりに外飲み

2016年03月03日 23時01分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
本日はだいぶ酔ってしまった。行きは東横線が遅れ、今もまだ影響が残っている。さらに東海道も京浜東北も遅れが出て、往生した。
短時間ではあったが、久しぶりの外飲みであった。こんな時間に酔って電車に乗り、同じように酔っている人の生態を見るのは何十日ぶりであろうか。なんとなくホッとしている。似たような人がいると嬉しいものである。
むろん酔っぱらいばかりではない。シャキッとしている人もたくさんいる。半ば申し訳ない気分もある。
さて、明日も取り立てて予定が入っていない。学生の頃の春休みの気分。
但し来週はまたあわただしい。

腰の痛みをどうしようか。情けないメタボである。

横浜の中央卸売市場本場にて昼食

2016年03月03日 17時25分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ウォーキングに行く予定であったが、妻の予定が変更になって、横浜市中央卸売市場本場まで出かけた。以前から市場内の食堂に行こうと誘っていたのだが、その気になってくれなかった。ようやくその気になったので「嫌だ」とは言えずに、しかも買い物にも付き合うことになった。
 暖かい陽射しでいくら薄いダウンとはいえ汗ばむほどの陽気となった。

      

 10軒ほどの食堂街は12時には列ができていたが、それほど待たずに入ることができた。入ったのは食堂の並びの一番奥の「もみじや」。値段も安く清潔な店内に惹かれた。私は刺身定食A750円、妻は海鮮丼850円、それにモルツ中瓶550円也。妻は店を出てから「ひな祭り限定メニューちらし寿司850円」に気がついて悔やんでいた。
 場内には伏見稲荷が市場関係者によって伏見稲荷神社が勧請されている。傍にはヒイラギナンテンが幾株も植えてあり黄色い小さな花を咲かせていた。

   

 帰りは市場の近くにある乾物店で海苔などを購入、東神奈川駅近くのスーパー2店で買い物。大きくて重いものを持たされてようやく帰宅。

 これから月に一度の飲み会で新宿まで。
 少々腰に痛みが出てきたが、風邪の体調不良でほぼ2カ月体を動かすことができずに寝ていたために体重がかなり増えてしまったのが原因のようである。真剣に減量しなくてはまずい状況らしい。



「恩地孝四郎展」(その9)

2016年03月03日 10時41分38秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 恩地孝四郎展の感想は前回の(その8)で終了と思っていたが、肖像作品を取り上げるのを忘れていた。私は抽象作品の方に惹かれていたので、敗戦後特に1950年代の最晩年の作品を取り上げた時点ですっかり肖像作品について失念してしまった。
 萩原朔太郎と北原白秋、恩地孝四郎が親しくしていた詩人である。1942年に相次いで亡くなり、ふたりの追想像を作成しているとのこと。今回の展示では前年の白秋像と、この時に作られた朔太郎像が展示されている。
 2点並んだ方の刷りは、左が1949年に版画家関野準一郎による摺り、右が1955年の伝統木版摺師の平井孝一の摺り。そしてもう1点が作者本人による1943年の摺り。どちらも同じ版木を使っているとのことである。
 恩地孝四郎は萩原朔太郎の印象として「初めてあったときに何て皺の深い人だろうと思つた」という。背景の地、顔の地色、頭髪、皺、両眼・口唇など8面に及ぶ版木があるとのこと。「滄浪として人生の巷を歩む彼の悲壮な晩年」と朔太郎を評している。
 「皺の深い人」というだけでなくその深い皺をとおして朔太郎の作品を彷彿とさせる肖像作品と思える。
 本人の摺りは迫真性がある。摺りの出来栄えとしては彫り師の作品が完成度が高いかもしれない。顔のまわりの白によって顔が浮き出てくるし、光の当たる顔の部分と皺の対比も、そして髪の毛の具合もバランスよくできている。しかし迫真性という点では作者本人刷りの方に分があると思える。だが、誰の摺りであるか分からなければ、私には区別も優劣も付けられない。
 いづれにしろ、昔読んですっかりご無沙汰している萩原朔太郎の詩集を紐解きたくなる肖像であることに間違いはないとおもう。
 抽象作品とこのような迫真性ある人物像が共存している画家・版画家、とても魅力がある。

明日は気温がさらに高くなる予報

2016年03月02日 23時33分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は今日よりも気温がかなり上がるらしい。予報では横浜の最高気温が17℃となっている。サクラが咲きそうな気温である。
 本日は大倉山でウメを見たが、その前後はかなり歩いた。久しぶりだが、急にたくさん歩いても良くないとは思いながらも帰宅した時には2万4千歩となっていた。
 早いウォーキングではなかったが、梅林内を除いてそれなりのスピードで歩いた。一時間あたり6000歩ほどのペース。市立図書館、大倉山の梅林、大倉山駅から菊名駅、組合の会館から横浜駅‥。薄い化繊のサマーセーターと薄手のダウンでかなり汗ばんだ。久しぶりなので脹脛と太ももの筋肉が心地よく疲労している。しかし恥ずかしながらお腹が重かった。
 明日の行動はこれから考えるが、いくつか見たい美術展にするか、本日よりは早歩きの本格的なウォーキングにするか、悩みどころ。どちらかというと体を動かしたい。

大倉山梅園

2016年03月02日 21時37分04秒 | 山行・旅行・散策
 暖かそうな陽気に誘われて、横浜市港北区にある大倉山の梅園に一人で行ってきた。平日だが梅がちょうど見頃で、女性のグループと私のような明らかに定年後と思われる男性(それも一人で)が多かった。
 茶店が出ていたが、わずかしか人は立ち寄っていなかった。のんびりと幾枚か写真をとって帰ってきた。

 写真の出来はさんざん。言い訳をすると、帰宅後撮影した画像を見たら、設定のダイヤルがずれていて「極彩色モード」になっていてがっかり。いろいろいじって色を戻そうとしたがうまく出来上がらなかった。

                                                


世界平和アピール7人委員会アピール(転載)

2016年03月02日 10時26分46秒 | 読書
 世界平和アピール7人委員会の最新アピールが以下のとおり掲載されている。

★「フクシマ」の教訓を忘れたのか!(2016年3月1日)
                    世界平和アピール七人委員会
                    武者小路公秀 土山秀夫 大石芳野 小沼通二
                    池内了 池辺晋一郎 高村薫

 東京電力福島第一原発の爆発から5年になるが、融け落ちた炉心の核燃料の状況を含めて事故の全貌は未だ把握できず、高レベルの放射能汚染も手がつけられない状態が続いている。巨額の税金を投じている除染の効果も、350億円の税金を投じた地下水処理の凍土遮水壁の有効性の見通しもあいまいである。高濃度の汚染水貯蔵タンクは1106基(2016年2月現在)あり、さらに増え続ける。2号機からの放射能漏れや、甲状腺ガンの疑いなども相次いでいる。原発関連死は2000人を超えて直接死を上回り、毎年多くの自殺者が相次いでいる。福島第一原発の処理は日本の原発が抱える最優先課題だが、問題は山積していて、毎日7000人が作業しているにもかかわらず、事故の収束にはほど遠い。
 福島第二原発については、運転の可能性が全くないにもかかわらず、廃炉すら決定していない。
 東京電力は、炉心溶融と直ちに判定できる基準があったことを、外部からの求めに応じて調査するまでの5年間、気が付かなかったと公表した。これは、隠ぺいしてきたのか、それとも無能で無責任な集団だったのか、どちらにせよ原発のような重大な潜在的危険性のある施設を運転する能力と資格に欠けていることを示している。
 このような状況の下で、原子力規制委員会は、停止状態にある各地の原発の再稼働に向けて、限定された技術的項目についての審査を進め、次々と合格サインを出している。特に、運転期間40年の原則を超えて60年間運転を継続しようとする関西電力高浜1、2号機について、2月24日に規制基準を満たすとする審査書案を了承し公開した。しかしこの審査書案では、経年劣化が進む老朽原発を60年間運転できると判断した技術的根拠が示されていない。またすでに3、4号機の再稼働が行われているなかで、合計4基の稼働を事実上了承したことは、福島第1原発で過密であったために事故が拡大した教訓を全く学んでいないことを示している。安倍晋三首相は、規制委員会の審査項目以外にも重要な問題点が多々あるにもかかわらず、再稼働に対して十分な判断を得たと強弁して、原発推進を続けている。さらに同様の説明の下で、海外への原発輸出も積極化させている。これでは、政府と電力会社が3・11以前の無責任な安全神話思考に完全に戻っていることになる。
 福島では、10万もの人びとがふるさとを追われたまま5年後の今も避難生活を強いられている。ウクライナ政府が、チェルノブイリ事故後、年間被曝量1mSv(ミリシーベルト)以上の地域は移住権利ゾーンであり、0.5 mSv以上の地域は放射能管理強化ゾーンだと法律で決めたのに、日本政府は「年間20 mSv」という高い「基準」に緩めて、健康に問題がないから帰還せよという。住民はこの数字を俄かには信じられず、不安が募る。地域の復興がなければ戻っても孤独を強いられるだけだ。首都圏や他府県からの差別といった苦渋の日々もある。福島県民が使用しているのは東北電力だから、使っていない東京電力による放射能汚染は理不尽の一言に尽きる。まるで戦争に巻き込まれて、戦闘は終わっても戦争の被害は終わらない事態が続いているのと酷似している。
「生業を戻してほしい。」どの職種の人であっても、避難者たちの思いはこの点で一致している。とりわけ農業は土と生きるから深刻である。放射能汚染にまみれた田畑の表土を剥す除染が随所で行われている。だが表土こそいのちの農業にとって、これは人生を否定されたことに等しい。
 こうした事態のなかでの再稼働推進を、被災者たちは「私たちを切り捨てるのと同じだ」と語気を強めて反発する。5年前の震災以降すべての原発が停止し、世界的に石油価格の高騰が続いた中でも、電力は足りて余裕があった。原発再稼働は目先の経済優先が目的であって、電力供給においては不要なことが明らかだ。放射能の恐怖と凄まじい混乱を経験し、見聞した日本は、再稼働を進める状況にはない。
 再生可能な自然エネルギーは、放射能と無関係で、脱炭素社会にも貢献する。自然エネルギー先進諸外国(とくにドイツ、中国、米国)の動向を見れば、経済性の改善も進み、利用が広がっている。日本でも、破たんが明らかな原子力優先をやめて、自然エネルギー研究開発利用を促進しないと、格差は広がる一方で、これからのエネルギー問題で世界に伍していくことはできない。
 何が本当で何が嘘だったかは、歴史が明らかにするだろう。「フクシマ」の教訓を風化させ、政府と企業の暴走を許すのであれば、日本中の私たち皆にも責任があることになる。
→【http://worldpeace7.jp/?page_id=384】

ブラームス「ピアノ四重奏曲第3番」を聴きながら‥

2016年03月01日 23時13分15秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日からブラームスのピアノ四重奏曲を聴いているが、3曲の内第3番に惹かれているのを感じている。昔は3曲、特にどれがいいということはなかった。何回か聴いているうちに不思議に第3番を聴いている。
 構想されたのが同時期といっても、完成までに多くの時間がかかっているために若い頃の書法よりはより進化しているのであろう。
 第1楽章の暗くくぐもったような出だし、そして浮かび上がってきそうですぐに水の底に潜ってしまうようなメロディーが続いていく。堂々巡りをしているようなもどかしさもある。
 第2楽章はスケルツォでリズミカルなのだが、ヴァイオリンの高音に抜けるような明るさがない。長調に転調するトリオは明るい、と解説に記されているが私には明るさが無いうちに終わってしまうようなやるせなさを強調しているように思える。
 第3楽章もまた第1楽章を引きづるようなチェロのソロが印象的である。ヴァイオリンとヴィオラに引き継ぐ旋律も弱音で陰鬱である。
 第4楽章に至りようやくヴァイオリンの旋律にのびやかさが感じられるが、ピアノの伴奏によって打ち消される。ピアノの下降音階が沈潜的な雰囲気を強調している。

 青春時代の総括というのは、明るく華やかなものとしては記憶に残るものなどない、ということがこれまでの私を規定してきたと思っている。記憶に残るのは暗く、混沌とした情念と、生そのものへの憎悪に近い苛立ちである。そんな情念を思い出させてくれる曲があるとそれに限りなく親近感を覚える。それが私のブラームスに対する一方的な思い入れであったとしても構わない。
 多分第3番はそんな気分を醸し出してくれるから、他の2曲に比べて惹かれるのだと思う。それ以上の分析にはまだまだ時間がかかりそうだ。

50年ぶりに神奈川県立図書館

2016年03月01日 19時31分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜では朝には雨も風もおさまり、最高気温は9.7℃と10℃に届かなかったものの、穏やかな日となった。

 午後から久しぶりに桜木町の傍の紅葉坂まで歩き、神奈川県立図書館に出かけた。中学2年か3年の時にクラブ活動の一環で天文関係の図書を求めて訪れた時以来50年ぶりである。その時は必要な図書は無く、そのまま接点は無くなっていた。その頃の図書館内がどんな風になっていたか印象はまったく無い。多分、受付のところで書名を言って在庫の本が無いことを確認してそのまま退出したのだと思う。欲しかった本は江戸時代の渋川春海の伝記が欲しかったのだと記憶している。伝記がないことを確かめて、そのまま文化祭のテーマを岩石・鉱物関係のテーマに変更したこともあり、指導教官に対する幻滅もあり、クラブに対する思い入れも無くなってしまった。



 さて、県立博物館は横浜市の18区に展開する図書館とは違い閲覧スペースも広く、静かで昔の図書館のイメージ通りである。訪れている人も多くない。読書環境としては優れている。とりあえず、カードを作成してもらった。
 公開している図書の書架も、区に展開している市の図書館よりもたくさんある。だが、市の中央図書館と比べて充実度はどうなのか、書架にない図書の充実度などは実際に必要になった書籍を探す中で判断せざるを得ないようだ。本日確認した範囲では、美術関係の図書、特に美術展の図録はかなり充実しているように見受けられた。これからネットでの登録をしてみるつもりである。

 横浜市の各区にある図書館、市の中央図書館、神奈川県立図書館そして家から一番近い神奈川大学の図書館、それぞれの特徴をうまく活かして利用したいものである。神奈川大学の図書館が、私は貸出対象ではないということが残念である。

「恩地孝四郎展」(その8)

2016年03月01日 11時19分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 恩地孝四郎の遺作と云われる「イマージュ#9 自分の死貌」(1954.11)。



 自らのデスマスクともいうべき題をつけた遺作というのは度肝を抜かれた思いで見つめた。
 亡くなったのは1955年6月であるが、1954年の年頭には死を予見していたようである。年頭に「自分の死貌」と版画作品名と同じ題の詩を作っている。

またも死への憧憬--
朝の床で假想する、
手も、足も、のび切っている、
すつかり冷たく 固くなつている、
ああ 楽しい終止--私は見事にほくそ笑む
敗北だ、敗北をさえ意識しまい(ママ)敗北、
枕は北向
それは磁石の針と同じに

 さらに同名の版画作品が作られた後の作品ノートに
「これはある朝あけの床のなかでの半睡半眠の折の幻視。死を戀ふ気持ちのないでもない此頃、ふとみた幻である。」
と記している。

 どことなく甘美な死への憧憬などを思いつく。また恩地孝四郎と萩原朔太郎の影響などがふと思い出される。



 1951年に作品ですでに取り上げた「イマージュ#6 母性」との類似はすぐに気がついた。図録にもその指摘がされている。母体回帰というよりも私は、原点回帰という言葉の方がこの作家にとってはふさわしいと思った。母体回帰というとあまりに一般化しすぎている。個々の作家にとっての原点ともいうべき思惟、体験、作品創出の原動力は違う。その違いを思い浮かべながら、恩地孝四郎という作家の原点や、女性像の端緒を想像するのが、鑑賞でもある。そしてそれはなかなか文章表現にはならないもどかしさを伴っている。