Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜では今晩から雪模様か‥

2016年03月10日 22時16分02秒 | 天気と自然災害
 本日は気温が低かった。気象庁のデータによれば最高気温が8.7℃であった。
 区内の市立図書館に借りた本を返しに行き、いったん帰ってからさらに横浜駅までを往復した。合計約1万9千歩。1時間あたり7500歩ほどで歩いた。それなりに早く歩くことが出来た。腰の状態がまだ心配なので、そして寒かったので、ウォーキングスタイルではなく、通常の格好で歩いた
 少しずつ歩く速さを早くして風邪で長期間運動不足であった分を取り戻したい。腰の痛みは本日はまだ出ていない。あすの朝に痛みが出なければ明日は2万2千歩超えをめざしたいものである。

 横浜には警報や注意報は出ていないが、夜中から明け方にかけて雪がパラつくかもしれないらしい。積もることはなさそうである。しかし最高気温は8℃と本日よりも低いらしい。
 そして明日11日の夜から12日の朝にかけても雪のマークがついている。

 横浜では21時過ぎから極めて弱く細かな、しかしとても冷たい雨が降り始めている。

 本日の読書は「偏愛ルネサンス美術論」(ヤマザキマリ、集英社新書)。



東京大空襲から71年

2016年03月10日 20時09分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 本日は東京大空襲から71年目である。東京は1944年11月以来106回もの空襲に見舞われたが、10万人を超えるといわれる死者を出しているのが、1945年3月10日の空襲である。
 この戦争の原因を作った政治家・軍人の責任、そして無差別の都市爆撃という大量殺人を始めた人間の責任、さらに無差別殺人を実行した「戦勝国」の責任、すべての責任追及が曖昧の内に免罪されようとしている。日本軍も中国では都市爆撃を実施している。そしてこの戦争を始めた人間祀る施設に首相が参拝するなどという破廉恥がまかりとおる戦後70年の日本である。日中戦争、いやそれ以前からアジア侵略に邁進した歴史をキチンと克服しなくてはいけないと思う。
 そんな思いを込めて本日はモーツアルトの「レクイエム」を聴いている。実は昨日の夜まで3月10日ということを失念していた。昼を過ぎてから思い出した。迂闊であった。

      





ブラームス「ピアノ五重奏曲」(作品34)

2016年03月10日 12時08分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ショパンは一休み。
 本日はブラームスの若い頃の曲を聴きたくなった。この曲はブラームスが29歳になる1862年に「弦楽五重奏曲(Vn2,Va1,Vc2)」として作られたが、評判が芳しくなく放置されたものが原曲。1864年に「2台のピアノのためのソナタ」として書き換えられ、それを「ピアノ五重奏曲(Pf,Vn2,Va1,Vc1)」としたものである。
 第1楽章がヘ短調、第2楽章が変イ長調、第3楽章がハ短調→ハ長調、第4楽章がヘ短調という構成である。ブラームスらしいと私は感じるのだが、第2楽章を除き短調主体でしかもどちらかというと内省的なかつ悲劇的な性格が強いといわれるヘ短調、ハ短調である。内省的とか悲劇的といわれてもわかりにくいのだが、うまく他の表現の仕方がないのでここは勘弁してもらうしかない。
 とはいえブラームスの晩年の曲想に比べれば情熱的な要素が強い。第1楽章は華やかさを感じるとともに、どこか悲劇的な演劇の展開を予測させるような前奏曲にも聞こえる。出だしの部分を描写音楽とすれば、寒い低い曇が空を覆った薄暗い日を思い浮かべるといいかもしれない。ときたま日が当たる華やかさもあるが、日の当たらない人気のない、戦前の都会を低空で飛ぶ燕の視点も同時に思い浮かべる景色である。明るく華やかな情景がしかし最後まで解放されることのない景色が続く。ブラームスのもつ華やかさと抑制的な面が同時に存在している。五重奏という厚みのある響き、重層的な響きに惹かれる。
 第2楽章はしっとりとした味わいを感じる。じっくりと聴きたい曲である。低空の空の旅から室内に視点が転じて、少し温かみを感じるが、晴れやかな装飾は無い。火鉢の傍で静かに暖をとりながら中原中也でもめくってみたい気になる。
 第3楽章は不安をあおるような劇的な出だしである。スケルツォが激しい起伏の曲で、のびやかなトリオを中間部に持つと定義すればだいたいその線に沿った作りである。嵐の前の雲の激しい動きと、思いのほかの静かな一瞬を私はいつも思い出す。出だしの不安をあおるような小刻みな弦の刻みが大変印象的である。30代初めのブラームスの若い情念を感じるという評もある。「30代初めの情念」とは何かといわれると私もわからないが、自分の当時を振り返って、自身に対する苛立ちと将来に対する不安・不満が渦巻いていた自分を思い出すしかない。20代に感じる不安や傲慢や苛立ちともまた違うが、その違いを考え始めたら収拾がつかなくなりそうである。そんなことを考えているといつの間にか曲が終わっている。
 第4楽章は、うって変わって暗い出だしからはじまる。しかしこれが不思議な全体からは浮いた感じがする。アレグロ・ノン・トロッポの小刻みな音型に十二音階技法に基づく現代音楽やラテン音楽の要素に通じる「何か」を強く感じる。この「何か」は分析したことがないのでよくわからないが、聴くたびにそれを思いつく。どこか不思議な、それでいて幾度も聴きたくなるフィナーレである。




本日・明日、薄着は禁物

2016年03月09日 22時04分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は特に寒く感じた。昨日が暖かったせいもあるが、昨日の暖かさが頭の片隅に残っていて、ついいつものとおり薄着で出かけてしまったのが原因。ほとんどがビルの中で過ごしたので支障はなかったものの、帰りがけに冷たい雨が降る中を歩いて、薄着を大いに反省させられた。多分風邪のぶり返しにはならないと思う。
 明日も曇り空で夜には再び雨が降るらしい。気温も最高気温が12℃と本日よりも寒い予報が出ている。

 退職者会ニュースの校正刷りが印刷所より送信されてきた。一部手直しをしてもらって先ほど印刷についてゴーサインを出した。今回は予定よりも早めに校正刷りにこぎつけることが出来た。来週中に印刷が終り、組合の会館に配送になる予定。

 実は昨日講座の帰途にもウォーキングをしようと思っていたのだが、講座終了後に「屋須弘平展」を見ていたら、友人から連絡があり急遽新宿まで出かけた。「屋須弘平展」は来週また講座のある時に見たいと思っている。
 それでも歩いた歩数は1万9千歩。目標には届かなかったが、それなりに運動にはなった。本日もまたウォーキングをしたかったが、仕事が長引き、さらに雨ということで断念した。明日は出来るであろうか。
 明日は特に予定はない。午前中はCD三昧、午後はウォーキングと読書、夕方には図書館への図書返却が出来ればいいのだが‥。

「ハーメルンの笛吹男」(阿部謹也)読了

2016年03月09日 20時40分17秒 | 読書


 さて、「ハーメルンの笛吹男-伝説とその世界-」をようやく読み終えた。読み終わるのにとても時間がかかった。その原因は最近読書の能力が視力の減退もあり衰えたが、それ以上に読み飛ばすのがもったいないと感じたことも挙げられる。それがおもな原因で時間がかかったと云える。じっくりと話の展開を味わいたかった。同時に石牟礼道子の解説にとても惹かれた。
 ルネッサンス美術を理解するのにその前の時代、ヨーロッパ中世についてもう少し知識があった方がいいのではないか、と考えてたまたまBunkamuraのショップに阿部謹也の著書が幾冊か並んでいるのを見て、さっそく古本屋で幾冊か手に入れた。本来ならばルネサンス期の時代を開設した書物を読むのが当然だとは思ったが、このような回り道というのも読書の楽しみである。ヒエロニムス・ボスなどの作品を見ると中世の時代を色濃く引きずっている人びとの暮らしぶりなどが気にかかってしまう。そんなことで読み始めたが、阿部謹也の著書、また引き続き読んでみたいと思う。
 阿部謹也と石牟礼道子、二人の優れた文章を同時に目をとおすことが出来たのは楽しかった。とりあえず読み終わったという報告だけをして、感想ないし気に入った個所の引用はまた後日にしたい。

      

写真展「屋須弘平-グアテマラ140年のロマン-」

2016年03月09日 09時56分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 昨日講座が行われた会場のアースプラザ3階で写真展「屋須弘平-グアテマラ140年のロマン」を開催していた。
 屋須弘平という人の名は初めて目にした。チラシによると屋須弘平(1846-1917)は仙台藩の蘭学医の長男として現在の一関市に生まれ、江戸で医学・天文学を学んだという。1874年の金星の太陽面通過のメキシコ観測隊の通訳を務めた後、天文学者をめざしてメキシコに渡り、後グアテマラに移住してアンティグラ市で写真術を学び写真館を開設したカメラマン。1976年のグアテマラのアンティグア市の大地震の際に写真原板数百点が発見され、写真家としての功績が明らかとなった、と記されている。
 1891年グアテマラの人と結婚、洗礼名ファン・ホセ・ヘスス・ヤスとして生涯を送り、1917年にグアテマラで死去。
 まず横浜の野毛山にある金星の太陽面通過の記念碑の存在に関係のある通訳をした人が仙台藩出身で、しかも天文学を志してメキシコに行ったということが私の興味を大いにそそった。
 さらに天文学から写真家に転身したということにも驚き、高橋是清の要請でペルーの銀山開発にかかわったりしたという経歴もあるとのこと。

 本日は時間が取れず、わずか5分で会場内を一周しただけであった。来週もう一度講座受講のためにアースプラザに行くので、その時にじっくりみたいと思う。詳しいパネル表示がある。しかし受付の人に問い合わせたが、図録やパネル表示を収録したパンフレットは無いという。次回カメラをもってそれらを撮影したいと思っている。写真撮影が可能であることを願いたいものである。しかしこれだけの展示でパンフレットがないというのはさびしいものがある。

「御所市秋津・中西遺跡の全貌」(米川仁一氏講演)

2016年03月08日 17時14分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日の古代史セミナーは「空白の4世紀に出現した巨大遺跡群-奈良県御所市秋津・中西遺跡の全貌-」と題して奈良県橿原考古学研究所の米川仁一氏の講演。
 秋津遺跡の方形区画施設と他の地域の「豪族居館」との比較から、その特異な構造に着目して、古代祭祀との類似点に着目。さらに秋津遺跡のあるいわゆる5世紀代の「葛城王朝」の存在地域である点に注目。それに先行する遺跡との視点を提出されたと思われる。
 それ以上を言及する能力は私にはないが、キチンとした論証をさぐりながらの大胆な仮説は刺激的でワクワクするものである。

本日の講座は「御所市秋津・中西遺跡の全貌」

2016年03月08日 10時52分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 本日の講座は「空白の4世紀に出現した巨大遺跡群-奈良県御所市秋津・中西遺跡の全貌-」。講師は奈良県橿原考古学研究所の米川仁一氏。
 ホットな報告を期待している。

 朝のうちは霧がかかり、薄暗かったが、9時過ぎから晴れ渡り、温かい陽射しとなっている。この分では天気予報どおり20℃超えの予感がする。
 講座の会場まで歩くと往復で丸1日かかるので、往復の途中で合わせて1時間少し歩いてみる予定。多分汗がかなり出そうな気配である。

横浜では濃霧注意報が継続中

2016年03月07日 22時59分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 16時30分位に大雨警報が解除となり、さらに大雨注意報が18時30分位に解除となった。現在は濃霧注意報が継続中である。
 横浜のそごう美術館で開催している院展の会場を後にしたのが17時と遅かった。会場内には1時間30分ほどいただろうか。美術展でゆっくり、しかし行ったり来たりすると結構疲れるものである。腰にはそれなりに負担はかかったようで、昨日からは痛みはなくなり、だるさが残っていたのだが、駅構内を歩いているときに少し痛みがぶり返した。
 家まで歩くのはまずいと思い、地下鉄を利用して帰宅。家にもどる坂道ではさいわいに痛みは出てこなかった。
 本日も温いお風呂で温めてすぐに寝るようにしたい。
 明日は本郷台駅まで出向いて講座を受講する予定。雨は上がるようなので、腰の調子が良ければ往復で60分ほどはそれなりの速度で歩いてみたい。4月の中旬までには少々長目のウォーキングに挑戦するつもりで、現在コースを検討中である。それまでにはこの腰痛を対峙したい。そのためにはまずは減量に励まないといけない。

 本日の衝動買い
☆「奇想の系譜」(辻惟雄、ちくま学芸文庫)

「再興第100回院展」感想

2016年03月07日 21時38分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 最近は行くこともあまりなかったが、たまたま無料招待券をもらったのを機会に院展に行ってみた。「無料」につられるというのは恥ずかしいものではあるが‥。
 チラシを見て、裏面の「森の住人」(西田俊英)の作品に惹かれた。チラシで見るよりも実際の作品は確かに大きなインパクトを受けた。楕円形の明るい画面の形態に依存しているような感じがしないでもないが、モノクロに近いトーンに惹かれた。中央上に描かれている猿が私にはちょっと違和感があった。この猿に依存した画面構成はどこかもったいないと思った。猿がいなくてもこの濃密な植物の群生だけで緊張ある画面が作り上げられるのではないか、と思った。



 その他惹かれた作品は、ポストカードになっていた作品3点がある。上から「行間のよみ」(宮廻正明)、「海霧」(清水達三)、「不忍」(手塚雄二)の3点。特に上の2点は画面全体に緻密な緊張感みたいなものを感じた。構図上のどの要素も動かすことが不可能な位置におさまっているように思えた。特に「海霧」にその緊張感を強く感じた。
 ポストカードはなかったが、同じような感想をもった作品として、「陽射し」(加藤裕子)、「静日」(日塔さえみ)がある。「陽射し」は地下道の階段の硬質な質感に惹かれた。「静日」は窓枠効果の構図だが、中心の人物ではなく枠に相当する木造家屋の格子状のきっちりとした質感にこだわった描写が新鮮であった。
 もう1点「宙(そら)と共に」(郷原和子)にも惹かれた。桜(?)、鯉、池の水、空、波、雲が境界を喪失したように連続している画面が新鮮に目に映った。


ショパン「マズルカ全曲」(アシュケナージ)

2016年03月07日 13時25分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 マズルカについてウィキペディアの解説は要約すると、
★マズルカは4分の3拍子を基本とする特徴的なリズムを持つ、ポロネーズと並んで有名なポーランドの民族舞踊およびその形式(舞曲)。第1拍は付点リズムが多く、第2もしくは第3拍にアクセントがある。マズルカの他に似たものとして、より速いテンポの「オベレク」、ゆっくりとしたテンポの「クヤヴィヤック」など、地方により多様な名称のものがある。19世紀のポーランド貴族のあいだで流行し、ショパンは諸地方の舞曲の要素を統合し、芸術作品として昇華させた。



 ピアニストの楠原祥子氏のホームページによる解説が、私にはわかりやすく、優れたものにおもえた。
★ショパンのマズルカとポロネーズ。対照的とも言える2つの舞曲は、ポーランドの土から生まれて最高の芸術まで出世した、もっとも幸運な民衆の旋律である。ポロネーズは男性の威厳や誇りを象徴し、力強いリズムが活気をもたらし、女性はかたわらに添えられた優美な花となる。
 しかしマズルカは違う。繊細で気ままと言えるほど変幻する気分は、むしろ女性的に表現され、ある時は憂愁の色濃く、たよりなく、寂しげで、時として高慢で、そして苦悩し、傷つき、すると今度はうぬぼれて、媚をうり誘惑の手を伸ばす。と思えば、恋慕にはにかみ、想いを隠そうとする。
 情熱と涙と汗にまみれた人間の営みの中にある、どんなわずかな心の動きもショパンは見逃さなかった。それらを和声の明暗を使って、光をあて影を落とし、色合いに変化をつける。現実と幻が次々現れるかのようだ。人の心に潜む、実と虚の二面性も聴こえてくる。陽気にステップを踏んでいるのに、足元の影に、不安や別れの悲しみがにじんでいる。踊りのリズムにのって、涙がつたう。その奥には蔑みが姿を見せる。入り組んだニュアンスのゆえに、マズルカを遠ざけてしまうことがあるが、マズルカは自分の心そのものだと想えばいい。いわば私自身なのだ。ショパンの時代も今も、変わることがない人間の心を、あるがままに微妙なひだまで映し出している。
 違うものがあるとすれば、それは、ショパンがポーランド語を使ったことだ。つまり、ショパンの肉体に流れる血を生んだ、母なる土地の声やリズムを用いて、音でつむいでいった。あえて難しい言葉を使わず、親しき友に話すような語り口で、燕尾服に盛装せず普段着でくつろいで、日記のように生涯書き綴った55曲のポーランド舞曲…それがショパンのマズルカである。
★ショパンのマズルカが、どれほど芸術化されたものになっているか。リストが”虹色の手”と評したその作曲技術とセンスによって、土から生まれた時の姿とは似ても似つかないものになった。ショパンのマズルカから民族性を感じ取ることはできるが、逆に、土着の旋律からショパンのマズルカを想像することなど、まず不可能だ。田舎の歯が数本しかないおばあちゃんの口ずさむ歌と、ショパンのマズルカは、路傍の石ころと、まばゆくカットをほどこしたダイヤモンドほどにかけ離れている。

 楠原祥子氏は楽曲の分析的な解説があり私にはとても参考になる。
→【http://home.att.ne.jp/banana/fpshoko/home/i-dvd200402.htm

 このCDは購入した時には一度は聴いたが、そのままになっていたと思う。マズルカという楽曲形式についてポーランドの舞曲に由来するということしか知らなかった。本日初めてこの形式についてネット検索をして上記のような解説に行き当たった。楠原祥子氏の解説は演奏家だけに私にはとても魅力あふれる解説である。ここに引用させてもらったのは一部で、ショパンの曲を取り上げながら解説を施してくれている。まだ全体を読みこめていないが、是非ともできるだけ理解したいものである。
 もともとの形式を借りながらも大胆にショパンならではの改変、昇華を行っているようだ。ポロネーズよりもショパンはこの形式になじんだのではないだろうか。土着の芸能を世界性を獲得する芸術にまで昇華するということの作曲家の作業と表現意欲、そしてそれを分析する作業、いづれも私にはできないがとても魅力を感じる営為であると思う。

                 

横浜には大雨(土砂災害)警報

2016年03月07日 11時18分15秒 | 天気と自然災害


 横浜市内には昨晩から大雨・洪水・雷注意報が発令されていた。24時過ぎには遠くで雷鳴がし始め、2時ころには音で目が覚めるほどの雨が降った。明け方5時過ぎに大雨注意報が警報に変わり、再び雷鳴がした。さらに10時過ぎには濃霧注意報も加わった。
 現在は大雨(土砂災害)警報、濃霧・洪水・雷注意報となっている。
 11時のXRAINの画面ではかなり強い雨域があるようだ。

 濃霧注意報だから風はないので、時々遠くで鳴る雷鳴さえなければ静かで落ち着いた日となるのだが‥。


雨の日曜日

2016年03月06日 22時01分34秒 | 天気と自然災害


 さいわいにも私の雨の予感は外れて、今晩はあまり強くはならないようだ。国土交通省XバンドMPレーダネットワークのXRAINの画面によると、静岡県の海岸沿いから東京湾、そして霞ケ浦にかけて長い雨の区域が連なっている。この帯が若干南北に振れながら南西から北西に向かって雨の区域が移動している。前線としては停滞している。
 さいわい今のところ横浜市内ではそれほど強くなっていない。

 本日はショパンのポロネーズ、買い物、そして若干の読書で終日過ごした。
 明日も予定はないが、横浜駅まで出かけたい。しかし雷を伴う雨という予報もあり、その場合は引きこもり生活であろうか。

 早めに読み終わりたい本はたくさんあるのだが、やはり目が弱くなっているのか、読書能力が著しく衰えているのか、なかなか思うように進まない。緑内障の進展は止まっているので持題はないが、目の疲労はたまっているようだ。その原因は、このブログの記事をつくるためにパソコンの画面を見過ぎていることだとは思う。うまくいかないものである。

 明日は何の音楽を聴こうか、今のところ結論はない。

横浜では強い雨となりそう

2016年03月06日 17時57分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 腰の痛みは筋肉の痛みから、筋肉のダルさに代わってきた。腰の筋肉に鋭い痛みがあったものが、鈍痛に代わってきた。これまでの経験から判断すると一応峠は越えたと思う。ギクッとなる恐れを抱きながら恐る恐る過ごしているよりは、ずっと楽になった。
 夜寝る前に無臭の湿布薬を塗る。朝目覚めて後、10時ころに湿布薬を貼る。夕方には張ったものははがさないと赤くあざとなる。これを繰り返している。
 本日は天気が夜から崩れるとのことで、崩れる前に買い物を済ませようと14時過ぎにスーパーに出かけた。しかし帰りがけに雨が降り始めた。やむなくタクシーで帰宅した。ワンメーターだったとはいえ、傘も持たずに出かけて失敗をしてしまった。
 つい先ほどから弱い雨が降ってきたが、「レインアイよこはま」を見ると南西の鎌倉付近から強い雨が降っている区域が北上してい。かなり強い雨となりそうである。
 明日は終日雨模様の天気予報となっている。最高気温は14℃、本日よりは低いらしい。

 定期購読を申し込んでいた国立近代美術館ニュース「現代の眼616号2-3月号」が先ほど届いた。ジョアン・ミロの絵画詩のひとつ「おお!あの人やっちゃったのね」と昨年の「てぶくろ|ろくぶて」展についての論考があり、香月泰男の作品も取り上げている。こんばんはこれを読みたい。

ショパン「ポロネーズ全曲」(アシュケナージ)

2016年03月06日 13時24分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ウィキペディアの解説を要約すると次のようになる。
 「ポロネーズは、フランス語で「ポーランド風」の意で、マズルカと並んでポーランド起源のダンスまたはそのための曲の形式(舞曲)。テンポがゆっくりな4分の3拍子で、もとはポーランドの民族舞踊であったが、ひとつの様式となってヨーロッパで流行。典型的なポロネーズは荘重でゆったりした4分の3拍子で、第1拍が16分音符で細分されているのが特徴であるが、初期のものは必ずしもこれに従わず、2拍子のものもある。現在のリズムが定着したのは古典派の時代である。ダンスは三拍目の最後に挨拶をして締めくくられるため、三拍目の初めの拍(弱拍)で終結するのが特徴」。



 さらに「ヨーロッパ各国の宮廷に取り入れられ、フランス宮廷からポロネーズの名が広まった。また純器楽曲としても作曲され、初期のもので有名なのがJ.S.バッハの作品(ブランデンブルク協奏曲、フランス組曲、管弦楽組曲など)である。さらにベートーヴェン、ウェーバー、シューベルトらも作曲した。また、舞曲ではない「ポロネーズ風」という表記を付けた曲も多い」
 これらの宮廷音楽として洗練されたものとは別に、ポーランドの政治的な独立運動と連動して作られてきたポロネーズがショパンの手でヨーロッパ音楽として再生されたと云われている。ショパンのアイデンティティーとしてのマズルカと並ぶ様式である。
 解説によれば、この当初のショパンのアイデンティティーとしてのポロネーズは第3(軍隊)、第4、第6(英雄)ということになるらしい。一方で対極にあるのが、第5、第7ということである。印象からすると第1、第2も同じ部類かもしれない。
 ワルツもまた舞踏会用と、ワルツという形式を借りた演奏会用独奏曲に分類されるというが、同じことがポロネーズにも当てはまると解釈していいのだろうか。
 確かに私は外に向かって人の気分をひとつにまとめようとするような舞踏会用ワルツと同様な気持ちで第3(軍隊)、第6(英雄)を聴いた。第4がどちらに当てはまるかは悩ましい。
 私は初めて聞いた時から第5、第7に惹かれている。特に第7というのはポロネーズという形式から大きく飛躍して、それこそ演奏会用独奏曲として大きな飛躍をもたらしたように感じている。
 私の気分は、第2→第4→第5→第7という流れがショパンの表現の基本的な発展過程で、第1、第3、第6は政治的な意識が先行した脇道のような気もする。ただし第1、第3、第6の親しみやすい表現、人の気分を駆り立てる表現というのを否定しているつもりはない。それはそれでひとつの音楽のジャンルであることに変わりはない。そしてそれらを含めて全体がショパンの音楽である。
 なお、解説によれば第8~第16までは若い頃の習作である。ただし早熟なショパンにとっては18歳(第9、第10)、19歳(第16)のころの作品は十分に成熟した表現をしているはずである。ポロネーズとしての習作ととらえればよいかもしれない。
 このCDはこれまでと同様にアシュケナージによる全集版からの編集。録音時期は1976年から85年にかけて約20年にわたっている。