Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

バッハ「インヴェンションとシンフォニア集」

2016年10月27日 19時13分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 バッハの曲で持っているCDを順次聴いている。この曲は私の持っているCDの中で、多分秋の夜長にしみじみ聴くには一番いい曲だと思う。バッハであるから、当然クラヴィア用の曲であるが、ピアノの演奏もなかなかいいと思う。なお、シフはハンガリーのブタペスト出身で現在ヴァイオリニストの塩川悠子の夫である。
 録音は1977年、日本での録音である。購入した時期は覚えていないが、CDの記載からは2002年6月以降であることは確かなようである。
 アンドラ―シュ・シフのピアノ演奏のCDは他に持っていないと思う。

   

本日の講座「味覚や香りを伝える絵画」

2016年10月27日 16時51分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の講座は「心で感じる名画」(講師:中村宏美氏、5回)の第2回目「味覚や香りを伝える絵画」。
 味覚・香りをキーワードにした西洋と日本の絵画作品14点を取り上げた講座。
 西洋画では、紀元前のポンペイ遺跡にモザイクで描かれた魚類の作品からダリの作品まで。日本の絵画では若冲から現代の作家までを取り上げた。

 なかなか刺激ある興味深い解説を聞くことが出来た。


ちょっと慌てている

2016年10月26日 23時42分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から退職者会の会報づくり。11月号の最初の入稿を28日と決めたもののまだ、1割も出来ていなかった。頭の中のカレンダーと実際のカレンダーに1週間ほどのズレがあったのだが、気がつかなかった。

 毎日の予定はキチンとこなしていたし、ニュース作成の日程も頭の中に入っていたのだが、双方が重なって認識しておらず、昨日になって慌てた。どうも頭の中の時間の進行に、時々齟齬が生じる。同じ日程に二つのことが入っているのに、それが重なっていると認識していないことが時々ある。現役時代も二つの日程が重なっていていわゆる「ダブルブッキング」ということを幾度かやらかしてしまったことはある。手帳に記した日程のほかに、手帳に書こうとして忘れたまま、記憶だけで予定を入れるとこのような失敗を起こすことがあった。
 しかし現役時代にはたいてい1週間前にはそれに気がついて、ゆとりをもって修正することが出来た。しかし最近は1~2日前になって慌てることが多い。今回はニュースの原稿作成だから講座出席時間以外の時間にこなせは問題はないので、他の方に迷惑をかけずに済んだ。不幸中の幸い。

 明日はみなとみらい地区での美術に関する講座。これも是非聞きたい講座である。
 講座終了後は急いで帰宅して、本日同様金曜日夕方までに根を詰めてニュースの作成に精を出さなくてはいけない。


「邪馬台国時代の東日本-近年の考古学の成果」

2016年10月26日 22時14分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


本日の古代史セミナー9月講座は、横浜市の三殿台考古館館長の古屋紀之氏の「邪馬台国時代の東日本-近年の考古学の成果」。古屋紀之氏の講演は確か2回目だと思う。
 丁寧な資料開設などがあり、話もよくまとまっており、とてもわかりやすい。
 土器の編年から弥生時代末期から紀元2~3世紀にかけての南武蔵(東京都南部から神奈川県東部にかけての地域)の土器の変遷から見た考古学的な考察を語ってもらった。
 2時間、たっぷりと集中して聴いていた。また聴く機会があればぜひ参加したい話である。以前の聴いた内容もまた触れてもらい思い出すことが出来た。本日の講義内容は、今後非印刷物として刊行してもらいたい気がする。

バッハ「管弦楽組曲第1番~第4番」

2016年10月26日 20時20分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日に続きバッハの曲、管弦楽組曲の第1番~第4番。演奏はトン・コープマン指揮のアムステルダム・バロック管弦楽団。録音は1997年。一昨年2014年12月30日にこのブログで取り上げたと思う。
 秋の夜にしんみり聴くにはふさわしくはないと思うが、時にはこのような華やかな曲を聴くのも悪くはない。華やかな曲といっても、あまりけばけばしくはないし、大仰でもない。私のイメージでは「バッハらしい抑制の取れた華やかさ」という感じである。私なりの「抑制の取れた」という表現の定義はいつかじっくりと述べてみたいと思う。私になりのこだわりの言葉である。

      

きのこ汁

2016年10月25日 22時33分06秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日の夕食はきのこ汁としてみた。近くのスーパーに買い物に行ったとき、きのこが並べられていた。種類は多くなかったが、ヒラタケ、ぶなシメジ、大なめこが安かった。この3種に家にあるエリンギを加えて4種のキノコを用意した。
 加えた野菜はサトイモ、ニンジン、ハクサイ、ダイコン。トリのササミを加えて醤油味を基本に塩を加えて作ってもらった。
 やはりきのこ汁を食べないと秋の気分にはならない。本当はクリタケ、シイタケ、マイタケなども入れるといいのだが、結果的には量が多すぎて余ってしまうので、無理である。
 もう一品も万願寺唐辛子とエリンギの炒め物としたので、キノコ尽くしとなった。気分的にはとても充実した夕ご飯となった。

★立ち上る記憶ほこり茸の前      久永小千世
★生国の昼へ蹴り出す煙茸       柿本多映

 松茸はなかなか購入することは出来ない。ある人からいいことを教わった。松茸の吸い物にエリンギの茎の部分を松茸のように切って入れるといいのだという。食感が松茸によく似ているのだそうだ。松茸御飯にも応用できるとのこと。ひょっとしたら土瓶蒸しにもいいかもしれない。面白いので我が家でもやってみたい、と思う反面、そこまで高価なものを食べる必要はなく「食わねど高楊枝」と負け惜しみの世界に親しんでいる方が親しみも湧くような気もする。
 さてどうしたものか。

★紙のごとき松茸椀に旅なかば     中山純子

 薄い松茸が一枚入った椀を供されたのであろうか。「旅なかば」と処世訓のごとき言葉が口をついて出たのか、「いつかは」という決意が出たか。距離だけの「旅なかば」なのか、旅の時間的な「なかぱ」を指しているのか。「道なかば」ではなく「旅なかば」というのはどういう意味なのであろうか。次々と突っ込むことが出来る。それが手柄なのか、余計なことは考えない方がいいのか。

「鈴木其一展」後期展示(その3)

2016年10月25日 20時04分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 後期の展示にあった蔬菜群虫図。解説ではおおよそ次のように記されている。

「胡瓜、茄子、蛇苺を配置し、雀や赤蜻蛉、玉虫をさりげなく散りばめる構図は、若冲の動植綵絵にも類例(池辺群虫図)がある。中国からもたらされ室町以降流派を超えて描かれてきた。抱一にも類例がある。茄子・胡瓜のいずれも蕾から大きな実まで連続的に描く点は注目される。朝顔図屏風にも通じる要素で、植物の生態のリズムや輪廻を示唆する。」

 若冲の作品というのは「池辺群虫図」を指すものと思われる。若冲の作品との類似点は、深い緑の大きな葉である。また若冲の薄い緑色の瓢箪型の身の代わりに胡瓜と茄子と苺という実が配されている。



 相違点は当然多くあるが、特徴的なのは胡瓜と茄子と苺に蕾から花、初期の実から熟れた実までが表現されている点。解説では時間の経過が含まれていると表現されているが、一つの株にさまざまな形態が混在するので植物に着目する限り、一概に異時同図とはいい切れないと思う。しかし変化に着目していることは確かであろう。
 さらに大きな違いは、若冲は蛙の生態に着目している。同じ蛙を幾体も描き、さらにお玉杓子を描いている。卵やお玉杓子の形体変化は描いていないので、二つの形態のみである。一応蛙の形体変化という時間軸は描いてるが、時間の推移という意識は希薄だと思われる。さらに蝶と蜻蛉、蝉を除いて蛇、蜥蜴、蝸牛、百足、家守、蜘蛛などどちらかというとあまり歓迎されないものの占める割合は高い。おそらく釈迦三尊像を中心とした浄土世界という宗教的な救いの世界のひとつでもあるのが、其一の群虫図との差であると思われる。
 其一の群虫図は三種の植物のほかは雀をてっぺんに描き、食物連鎖の頂点に雀を配置している。動物は若冲の蛙のようにいくつもの固体は描いていない。若冲の群虫図がいわゆる虫が中心であることに比して、其一の作品は植物の諸相が中心的な主題であるといえよう。
 また両者ともに赤蜻蛉が描かれているが、其一の方が赤蜻蛉は目立つ。この赤蜻蛉1匹で虫の現われ方の季節的な変化を象徴させているのだろうか。
 さらに根や土がこの作品では省かれている。朝顔図屏風と同じである。支えの笹も宙に浮いている。根なし草のようでもあるが、細かい苺の葉の描き方で、安定感を確保しており、どこか不思議な印象を受ける。
 私は其一の作品の特徴はその配色の妙であると思う。苺の赤を底辺に4つ並べ、赤蜻蛉の赤を上位に1点のみ置いてバランスを取っている。
 また茄子の実の藍と花の薄い紫が下半分を覆い、上辺に胡瓜の黄色い花が対照的に配されている。頂点には食物連鎖の頂点である雀が白い腹を見せて配置されている。茄子の実のヘタの周囲の白、茄子の花の白い縁取り、胡瓜の花の縁の白と、白味が上に行くにしたがい強調されているように見えるのは私の錯覚だろうか。
 若冲の色の配置の特徴は、白い花と白い蛇と蛙の白い腹。そして葉の深い葉と実の薄い緑、この3種の色が円環を為している。これも面白味があるが、色のバランスという点では私は其一の色彩感覚の方が好みである。
 さらに朝顔図屏風や藤花図で触れたが、蔓の絶妙な配置が空間の広がりをより大きく見せていると思う。

 あくまでも私の好みでいえば其一の方がより計算しつくされた画面に見える。デザイン性に富むだけでなく生命力に満ちている。それはデザイン性と相反する概念に思えるにもかかわらず、其一の作品は生命感や躍動感も横溢するように見てしまう。




瞬間湯沸かし器取り換え

2016年10月25日 14時14分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の午後からは講座がある、と昨晩記したがスケジュール帳を見間違えていた。酔った目には火曜日と水曜日の区別がつかなかったようだ。
 朝はまだ少し酔いが回っていた。
 18時半過ぎに横浜駅で模様替えした居酒屋に入って日本酒を2合を飲んだ。以前はあまり人が入っていなかったが、改装後は多くの人が入っていて賑やかであった。経営者も変わったように見えた。
 店員の声が威勢が良すぎるのと、人が多くなった分だけ喫煙者が隣に座る可能性が高くなったり、というデメリットがあるものの焼き鳥を中心とした料理は美味しかった。お酒の種類も格段に豊富になった。
 狭いので禁煙席と喫煙席を区別するのは難しそうなので、客の少ない時を見計らった利用するしかないようだ。

 さて、瞬間湯沸かし器の調子が悪くなり、水量をかなり強くしないとガスに点火しなくなってしまった。シンクの底に水が当たるとシンクの外までお湯が跳ね返る勢いなので、使い勝手が悪い。しかも点火後に水量を弱めて使い勝手のいい水量にするとガスが消えてしまう。これでは使えない。
 いくつかの店を探したが、結局東京ガスの代理店の看板を出している近くの店が工事費でも一番安く設置してくれることがわかった。もう17年も使っているので、取り換えもやむを得ないと判断した。
 早速14時から設置工事に来てくれるという。やむを得ないとはわかっていても、しかし予定外の4万円の出費に妻は少々不満顔。とはいっても真新しい湯沸かし器への期待もあり、複雑な表情である。


バッハ「チェンバロ協奏曲集」

2016年10月25日 13時07分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日はバッハの「チェンバロ協奏曲集」。チェンバロと指揮はトン・コープマン、アムステルダム・バロック管弦楽団。1988年から1990年にかけての録音と記されている。バッハのチェンバロ協奏曲は14曲が残されているとのことであるが、そのうちの5曲をおさめている。
 バッハのチェンバロ協奏曲はBWV1052~65までの番号が付されている。14曲の内訳は、1052~59までの8曲はチェンバロ1台用、1060~62が2台用、1063~64が3台用、1065が4台用。
 収録されている5曲の原曲を記すと、
1052 ニ短調 ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
1054 ニ長調 ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調
1055 イ長調 オーボエ・ダモーレ協奏曲 イ長調
1056 ヘ短調 ヴァイオリン協奏曲 ト短調
1065 イ短調 4つのヴァイオリン、弦楽と通奏低音のための協奏曲
 特に1054は原曲がヴァイオリン協奏曲第2番として有名である。ヴァイオリンを習った方は必ず演奏したことがあると思う。
  今回聴いていてBWV1054以外に同じく1055の第3楽章が印象に残った。弦楽器のの軽快な動きが他の曲と少し違う印象を受けた。

 このCDは購入した時に聴いたはずだが、その後聴いた記憶がない。何とももったいないことではある。

   

いよいよ年末商戦‥

2016年10月24日 22時06分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 世の中はすっかり年末モード。書店でも、百均でも、家電量販店でも年末用の商戦が始まっている。特に手帳やカレンダーがワゴンなどに山積みとなっている。
カレンダーや手帳は購入する必要はないのだが、思わず手に取ってみた。ビジネス用はそれなりに値段が高い。たぶんハードな使い方に耐えるように頑丈なのであろう。
 カレンダーは猫や犬が描かれているものに人だかりがしていた。月の満ち欠けや惑星の動きなどを明示してあるカレンダーもあったが、意外と使い勝手は良くなかったと思う。自分の好みに合ったカレンダーや手帳を探し出すのはとても大変である。それが年末の楽しみだ、という人があるかもしれない。


 

幽霊の出現かと思った‥

2016年10月24日 09時31分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は結局2時半に就寝した。寝る前に洗面所にいたら突然人のすり足とすすり泣くような音と声が家の外から聞こえた。こんな時間に何かと思い小窓からのぞいたものの人影はない。目を凝らすと道路の建物に一番ちかいところに白い大きな塊がある。思わず子どもがうずくまっているのか、と驚いた。
 しかし折からの強い風を受けて、アスファルトの上を移動していった。その動くときにすり足のような音と、むせび泣くような音を出していた。朝回収に来るプラスティックを入れたゴミ袋が正体であった。小窓から覗くと子どもがうずくまっているように見えたのだが、見方では幽霊に見えたかもしれない。
 少々慌てたが、正体がわかるとすぐに落ち着ける。寝間着のまま、一応外に出てその袋をゴミのステーションにもどし、ネットと重しで外に出ないようにした。どうも隣りのゴミのステーションでもネットをかけずにその上に放り投げてあったものらしい。折から強風注意報も出た位の風で運ばれてきたもののようだ。
 しかし人騒がせなゴミである。家の前がゴミのステーションなので時々掃除をしたり、ネットの外のゴミをネットに入れ直したりする。その時は、自分のゴミがはみ出したりして慌てて直しているように見られるのではないか、という心配が頭をよぎる。詰まらないことを感がてしまう。団地の管理組合で団地内の清掃やゴミステーションの管理をお願いしている業者はいるが、24時間体制ではない。せっかく前の晩から用意してもらってあるネットなのだから、是非利用してもらいたいものである。
 

「沖縄 ことばを失うこの一カ月」(大石芳野)

2016年10月23日 22時05分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 世界平和アピール7人委員会のホームページに以下の文章が掲載されている。「沖縄」がおかれている今の状況が何に起因しているのか、私たちは真摯に受け止めたい。受け止めないことには、起きていることを評価できない。多くの方に考える縁としてほしい。私も勉強したい。

 沖縄 ことばを失うこの一か月     大石芳野

 言葉を失う…という言い方があるが、甘えないでちゃんと表現しなくてはと思う。けれど、どう言葉に表したら自分の気持ちを伝えられるのか途方に暮れるときがある。まさにいま、私はそう感じながら廊下を行き来して言葉を見つけようとしている。こうした気持ちに陥っているのは、沖縄の人たちが短期間のうちに見舞われた事態を考えると、単にヒドイ!というだけではすまない。沖縄ばかりでなく私を含めた日本全体に深く関係していると思うからだ。
 先ず、「辺野古違法確認訴訟」の判決が三権分立ではないことだ。多くの人たちが苦言を述べているように、福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判長はソウル、台北から沖縄の距離を挙げて米海兵隊が駐留する地理的な優位を挙げ(九州各県との距離には触れないで)、辺野古が唯一だとの判決を下した。唯一の根拠は述べずに県側の主張を完全に退けたのだった。まるで、沖縄県民は日米同盟の犠牲になって当然だと言わんばかりだ。
 翁長県知事は判決内容に「大変あぜんとしている」と強い怒りを述べた。判決は、「国が説明する国防・外交の必要性について、具体的に不合理な点がない限り県は尊重すべきだ」と国が県を下僕とするかのような断言をした。司法の中立性の失墜は住民の生命や人権、生活が蔑(ないがし)ろにされ、民主主義を破壊することに繋がりかねない。沖縄の問題だと思いきや、実は私たちの身近な問題でもある。この不安と怒りをどう言い現わしたらいいのか。
 こう憂えていた矢先、米軍攻撃機AV8Bハリアーが復帰後19回目の事故を起こした。国頭村辺戸岬沖に墜落したが、事故原因が解明されていない。これで安全とは言えないだろうに10月7日に飛行の再開となった。飛行訓練に関する説明さえもないのだから住民の憤りと悔しさはいかばかりだろうか。
 さらに追い打ちをかけるように、基地と振興策はリンクすると言ってひんしゅくを買った鶴保庸介沖縄担当相が、今度は選挙と振興策のリンクを発言した。地元紙は「目の前にニンジンをぶら下げて選挙応援を促すというのは下品極まりなく、振興費をポケットマネーのように扱うのも担当大臣としての適性を欠く。(中略)鶴保氏には、沖縄振興の旗振りにふさわしい品性と慎重な言動を求める」と報じている。
 9月~10月の1か月間だけでも沖縄で起こった事態は日本人として恥ずかしい限りのことだ。なぜ今もって沖縄はこうも虐げられたような扱いを受けているのだろうか。距離的に遠いからなのか、それとも、米軍に「戦利品」として27年間も統治されたからなのか、それとも薩摩藩に侵略されて以来の差別なのだろうか。
 沖縄が抱えているさまざまな難問や苦悩は結局、私たちにも降りかかっていることなのだが、多くが他人事だと高をくくっている。けれど安穏とそうこうしているうちに、民主主義は崩れかねない。崩れる時の速さは台風並みだ。


→【http://worldpeace7.jp/?p=925

 大石芳野さんのプロフィールは、世界平和アピール7人委員会ホームページで以下のように記されている。

大石 芳野(おおいし よしの)
写真家。1943年東京生まれ。フリーランスとして40年余りドキュメンタリー写真を撮り続けている。日本大学客員教授。写真集に『夜と霧は今』、『沖縄に活きる』、『HIROSHIMA半世紀の肖像』、『カンボジア 苦界転生』、『ベトナム 凜と』、『アフガニスタン 戦禍を生きぬく』、『コソボ 破壊の果てに』、『子ども 戦世のなかで』、『<不発弾>と生きる〜祈りを織るラオス』、『それでも笑みを』、『福島FUKUSHIMA土と生きる』他。受賞:土門拳賞、紫綬褒章、JCJ賞(日本ジャーナリスト会議)ほか。

「わが心の歌-望郷のバラード」(天満敦子)

2016年10月23日 19時48分22秒 | 読書


 昨日読み終わった本は「わが心の歌-望郷のバラード」(天満敦子)。

「人生に同じ“時”は二度と流れない。瞬間、瞬間を大切に、必死に生きていかなければ、私達の生まれた意味はない。」
「大切なのはレッスンを受ける側の姿勢-精神的な姿勢だと思う。つまり受講する側にも吸収する力が要る。「飢えてる」状態を常に意識する。」
「試行錯誤の末、‥ウジューヌ・イザイという二十世紀初頭に帝王といわれていたヴァイオリニストが持っていた二本の「サルトリー」に出会ったの。片方が古典用でもう片方がロマン用で、形も違っている二本で、「ペア・ボウ」として有名な弓。この弓を持ちはじめてから、私のストラディヴァリウスがまた神様に近くなった。見てても惚れ惚れする。私が力任せに弾くもんだから、付き合っている楽器屋の社長がヒヤヒヤしてる。天満に持たせたら弓がへし折れるって。」

 天満敦子の豊かな音量で、弓が弦にぴったりと張り付いたように、ねっとりとした音色の美しさの秘密が語られている。私もこのような音でひけたら本望だと思う。ヴァイオリン弾きのひとつの理想であるが、意外とこのような目標よりも、細くとも繊細でヒバリのように空に響く音を目標にする人が多い。本当のヴァイオリンの音はどちらなのだろうか。

「拝啓ルノワール先生」(三菱一号館美術館)

2016年10月23日 15時04分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 ルノワールと梅原龍三郎という画家はこれまでも触れずにきた。どうもこの両者には惹かれる作品があまりない、というのが私の中の共通点である。
 梅原龍三郎はバリに渡り、ルノワールに面会の上で師と仰ぎ、対話と実作から多くのことを学んだ、という。会場ではルノワールの「パリスの審判」とその梅原龍三郎の模写が並んでいる。また梅原龍三郎のさまざまなルノワール由来の言葉、ルノワールの言葉が抜き書きのように記されている。

 また梅原の収集家としての面も評価されていて、ルノワール、ルオー、ドガ、ピカソ、ブラックの収集作品が並んでいる。これもまた魅力ある展示である。

   

 まず惹かれたのが、梅原龍三郎の「横臥裸婦」という作品。ヴァン・ドンゲンの影響を受けているとのことである。このように梅原はルノアールを師と仰ぎつつも、実際はルオー、マティス、ドガなどの影響が強いようだ。会場で撮影した展示風景とネットで掲載されていた「横臥裸婦」の画像を掲載してみた。
 ルノアールはおおような性格だったようで若い画家を受け入れ、交友が広かったようだ。梅原はその輪の中に入り込んでさまざまな影響を受けたことがわかる。直接の技法上の師弟関係というよりは、異郷の地での後見人のような存在と云えたかもしれない。

      

 しかし梅原は「パリスの審判」以外にも、ルノワールのブロンズ像「ヴェールを持つ踊り子」を「薔薇とルノワルのブロンズ」などとして模写というよりは、素材として別の作品へと昇華しようとしている。また薔薇の諸作品も帰国時にルノアールから送られた薔薇の作品を素材として梅原の独自世界へ昇華しようとしていることは理解できた。

 今回の企画展示、私なりのルノワール像や梅原龍三郎像をつくり直すきっかけになれると嬉しい。

   

鳥取県の地震

2016年10月23日 11時44分47秒 | 天気と自然災害
 鳥取県の地震、22日午後10時までに震度4を6回、震度3を20回、震度2を44回、震度1を97回観測したという気象庁の発表があったようだ。重傷者も幾人かおり、一部損壊の家屋も300戸近いとのことである。避難者の数は1500人とも1800人ともいわれている。次第に被害の実態が明らかになりつつある。私は特に都市基盤・ライフラインなどの諸施設や家屋被害、農業被害が私には気になるところである。
 同時に熊本地震の時もあったように、政府の高官が自治体の対応の足を引っ張ったり、悪意あるデマを流す人がいたり、ボランティアの熱意が昂じて空回りする時に調整ができない事態が現出することなど、人為的な二次被災が拡大することが、現地を混乱させ、復興の足をひっぱる。
 緊急的な支援と長期的な支援の区別、そして混乱を最小限に食い止めること、多くの智慧と熱意、支援できることと押し付けではなく見守ること等々の課題を教わる機会があった。阪神淡路の震災以降さまざまな人の努力でノウハウが蓄積されている。
 私はこれまでやってきたことからすると、各自治体の行政支援の在り方に関心がある。労働組合の支援の在り方にも当然関心があるし、関われることがあるかもしれない。人それぞれのかかわり方があると思う。どんなにささやかなこどても関われることは何か、と考えることから始まるような気がする。まずは現地の友人に電話やメールで声をかけることから始まることを3.11やその後のさまざまな体験談を聴きながら知った。
 少しでもスムーズな復興が果たせることを祈りたい。