Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

田部井淳子氏の訃報

2016年10月22日 22時44分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 田部井淳子氏の訃報がニュースで配信された。77歳。残念である。登山が好きな人にとっては有名な方である。女性登山家としてだけでなく、テレビなどでも登山愛好家への適切なアドバイスをよく聴かせてもらった。福島県の三春町出身で3.11震災以降も病気をおして登山を通した支援活動をされていた。高校生を連れた富士登山の模様もテレビで見ていた。
 スポンサーに頼らない登山を励行されていたと聞いている。どのように費用をねん出されたのかはわからないが、そのような独立不羈の人というイメージがあり、エベレストの女性初登頂のニュースに接してからだが、それとなく注目をしていた。

 本日は午後の講座終了後寄り道せずにそのまま歩いて帰宅した。4時半の少し前には家に着いた。中学・高校の時も寄り道せずに帰宅したという記憶はほとんどない。大学生の時もなかったと断言できる。現職で仕事をしているときは、定年前2~3年だけだったように記憶している。それも両手で数えられる程度の回数。就職してからは37年間で10回未満というのはあまりに少ないと思う。妻には申し訳ないことをしたと思っている。実は退職後も講座のある日はすぐには帰っていない。ただし、夕食には間に合うようには帰っている。

 早く帰ったからと云って何か有効なことをするわけではない。妻が喜びそうなこともせずに、手足を洗った後はボーっとしていたにすぎない。喫茶店でボーっとしているのと変わらない。コーヒー代はかからないが‥。
 これが休養と云えば休養にあたるのかもしれないが、たまには目的を持たずに何もしないでいることを日常生活の中でやってみるのもいいかもしれない。

 とはいっても結局は夕食後からはさまざまな事務作業をいくつかこなしている。やはり何かしていないと落ち着かない性分である。

 さて、これからさらに若干の作業をしてから、就寝予定。日付が変わる前に寝る習慣は獲得できるだろうか。一応2日は続いたけれど‥。
 

バッハ「イタリア協奏曲外」(By小林道夫)

2016年10月22日 17時41分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      


 バッハの「イタリア協奏曲BWV971、フランス風序曲BWV831、外半音階的幻想曲とフーガ、コラール3曲」を収めているCD。チェンバロは小林道夫。2006年のみなとみらいホールでの録音。
 たまたま棚から持ってきて過去の記事を検索したら、昨年の10月22日にこのブログで取り上げたCD。ちょうど1年経った。「気分がざわざわしているときに聴くと落ち着く」と昨年は記載した。本日は特にそんな気分ではないが、昨日無伴奏のヴァイオリン協奏曲を聴いたので、何となくチェンバロの落ち着いた音が聞きたくなった。
 三菱一号館美術館の内覧会の時に撮影した写真を見たり、チラシを見ながらこの曲を聴いている。ルノワールや梅原龍三郎の画の雰囲気とバッハの雰囲気は無関係というかほとんど接点はない。2006年横浜のみなとみらいホールでの録音。
 以前は「半音階的幻想曲とフーガ」のフーガの部分に惹かれた。本日はどの曲が心に残るだろうか。

本日は雨宮処凛氏の講演

2016年10月22日 10時41分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の講座は「社会の希望-困難の中から」と題した5回連続講座の2回目。作家の雨宮処凛氏による「この20年で破壊されてきた労働や生活、広がる困難や生きづらさについて」。

 三菱一号館美術館の感想と、鈴木其一展の後期展示の感想、特に夏秋渓流図屏風と風神雷神図襖、蔬菜群虫図などについてまとめなければいけないのだが、頭の中の整理ができていない。順番からすると其一なのだが、内覧会に参加させてもらった以上こちらの感想を先にしないといけない。今日明日には形にしたいものである。



地震の被害が少しずつ明らかに‥

2016年10月21日 23時14分49秒 | 天気と自然災害
 鳥取県の震度6弱の地震、次第に被害が明らかになりつつあり、避難者も多いようだ。熊本に続き、地域におおきな傷跡をのこしている様子がわかる。今のところ死者の報道はなく、人的な被害が少ないのが救いである。
 ワイン工場の瓶が大量に割れて、ワインが流れ出した被害がテレビで放映されていた。農業被害はこれから徐々に明らかになっていくと思われる。こちらの被害が最小限であってほしいものである。

バッハ「無伴奏ヴァイオリンパルティータ」

2016年10月21日 20時30分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 午前中に続いていた無伴奏ヴァイオリンソナタに続いてパルティータを聴いている。多くのCDはソナタとパルティータを交互に演奏している。このグリュミオーのCDのようにソナタ3曲をつづけ、ついでパルティータを3曲続けるのは少数派のようである。ただしどちらが正しいのか、私にはよくわからない。
 どちらかというと私はソナタ3曲よりもパルティータの3曲の方が変化が際立っており、好みだと思っている。しかしソナタもまた捨てがたい、いやとても気に入っている。そしてセバスティアン・バッハはヴァイオリンという楽器にとても精通していたのかと思う。パルティータ第2番の5曲目が有名なシャコンヌである。第3番の第3曲のガヴォットも有名である。
 なお、録音はソナタが1960~61年にかけて、パルティータは1961年の録音と記されている。

   

鳥取県で震度6弱

2016年10月21日 17時23分33秒 | 天気と自然災害
 14時7分の鳥取県で発生した最大震度6弱の地震は、マグニチュード6.6、深さ11キロと発表されている。西北西-東南東方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型(速報)という。
 気象庁の記者発表時の資料は【http://www.jma.go.jp/jma/press/1610/21a/kaisetsu201610211540.pdf】に示されている。この資料では鳥取県では
1943.9.10にM7.2、同じく10.31にM5.7、1983.10.31にM6.2、2000.10.6にM7.3
を観測している。
 地震の多発地帯ではあったと思われる。1943年の地震では死者が1000名を超えたらしい。戦争中ということで詳しい実態把握ができていない可能性が高いと思うのは私だけだろうか。戦時というのは、災害の被害も隠されたり、あるいは救済に手が回らずに被害がより拡大されることもあると思う。
 また浅い地震なので、動いた断層の上に位置する家屋などは大きな被害も想定される。

 今回の地震、たまたま横浜駅のすぐ傍のビルの9階にある喫茶店に居た。私は地震の揺れには感じなかったが、「妻が地震みたいだよ、揺れを感じる」といって同時に天井にぶら下がっている照明器具を指した。たしかにぶら下がっている器具が揺れていた。私は鈍いのか体には感じなかったが、しばらくその器具を見ていた。20名ほどいた客と数名の店員のうち気がついたのは私どもともう一組の計4人。スマホの情報を見ると横浜では震度1となっていた。12階建ての大きな建物の9階、揺れはゆっくりであった。

 災害時の瞬時の情報把握はブログよりも、メール・ツイッター・フェースブック等の方が早いようだし、手軽のようだ。ただし事実に基づかない情報や、噂や憶測、悪意に満ちた情報、無責任な憶測などを遮断したり、見極めることも大切である。この手の悪意が野放しとなっているのはあまりに見にくい。社会の劣化がここまで進んでいるのか、と暗澹たる思いに駆られる。

 家まで歩いて帰る途中にツイッタ―の情報を手繰ってみたが、大きな人的な被害、がけ崩れなどの大きな自然災害はとりあえずはなさそうでほっとした。しかし倒壊家屋もあるようで予断は禁物。これから被害の情報が入ってくる可能性もある。
 また熊本地震の時のように、同規模ないしそれ以上の地震が誘発されたり、本震が起きる可能性も念頭に置く必要がある。

バッハ「無伴奏ヴァイオリンソナタ」

2016年10月21日 11時37分15秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は半ば休養日。昨日の三菱一号館美術館の内覧会の感想をまとめることと、退職者会の来月のニュースの編集日程を作成しようと思っていたら、買い物の荷物持ちの命令が下った。
 バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータを聴こうと楽しんでいたのだが、出かけるということなのでソナタ3曲でいったんは中断しなくてはいけなくなった。これは続けて聴きたい曲なのだが‥。このCDは一昨年の年末に取り上げて以来聴いていなかった。
 出かけるまであと40分ほど。せめてニュースの偏執日程を作って印刷所に送信するまではしておかないとまずい。ちょっと慌てている。

   

「月展」(松涛美術館)

2016年10月21日 01時35分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の午後第一番に渋谷区立松涛美術館では「月-夜を彩る清けき光」を見てきた。三菱一号館美術館の内覧会の前である。ずっと以前にここを訪れていたのではないかと思っていたが、そんなことはなかったようだ。
 域は井の頭線で渋谷駅の次の「神泉」駅で降車し、お昼を食べてから松涛美術館にたどり着いた。さまざまな月を貼り付かせた作品を見てきた。私は歌川広重の「名所江戸百景」のシリーズ中、特に「永代橋佃しま」「月の岬」「よし原日本橋」「月に雁」の4点が気に入った。また「武蔵野図屏風」、「砧打図」(富岡鉄斎)、尾形乾山の「定家詠十二カ月和歌花鳥図角皿」も惹かれた。
 広重の風景画は東海道五十三次を含めそれなりに見ているが、「月に雁」を除いて「月」という視点でまとめてみた記憶はない。いづれも情緒溢れる作品で、これからは広重の風景画を見る時にはこの視点を忘れずに鑑賞しようと思った。図録や解説書などで幾度もみている「月に雁」ではあるが、実際に見ると雁が手前に浮き出ているように見える上に、夜空の藍、月の形、雁の首の長さ‥とてもバランスよく配置されていることにあらためて惹かれた。
 いづれもポストカードなどはなく、残念な気がした。図録も1500円と安かったものの今回は遠慮した。

 久隅守景の「瀟湘八景図」と海北友松の「洞庭秋月図」は11月の展示である。広重の作品でもいくつも後期に展示されるものがある。60歳以上が半額ということもあり、他の美術展のついでにでも再訪したいと思う。なお、川瀬芭水の月もすばらしいのだが、川瀬芭水は1点も展示されていなかった。あれもこれもというわけにはいかないが、私としてはちょっと寂しかった。

 建物もユニークで、中庭の一階からは噴水が沸き上がっていた。今回の企画、私にはとても嬉しい。このような切り口の企画展をこれからも期待したい。


「拝啓ルノワール先生-梅原龍三郎に息づく師の教え」ブロガー内覧会

2016年10月20日 22時57分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 三菱一号館美術館で行われた「拝啓ルノワール先生-梅原龍三郎に息づく師の教え」ブロガー内覧会に参加してきた。
 日頃からルノアールに惹かれることはあまりない。梅原龍三郎の風景画も人物画も私の感覚からは遠い存在のように感じている。両者とも大きな評価を得ている。間違いなく私の鑑賞には欠落している視点、気がつかない優れた点があるのは間違いがないと思う。
 それをわかるようになりたい、という思いと、今更わからなくてもいいや、という思いがいつも交互に立ち現れる。今回は前者の思いの時に偶々内覧会の募集通知が届いたので即座に申し込んでみた。
 両者ともに職人の世界から出発した点は似ているのかもしれない。また解説でもふれられていたが、両者の共通点や技法上の師弟関係はあまりはっきりしていないようだ。ただ梅原はルノワールに世話になったことについてはとても大切にしていたことは理解できた。
 図録は購入しなかったが、展示をみた感想がうまくまとまれば、来週中にはアップしたいと思う。

暑い陽射し

2016年10月20日 10時58分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 北海道では雪が降り、東京は28℃という予報。沖縄では30℃を超える予報が出ている。

 昨日は23時前に風呂にも入らず寝てしまった。読書はわずか3ページにも満たなかったような気がする。3時半ころに目が覚めたものの、シャワーの音を立てるのもはばかられたので、いったんパソコンでニュースなどをチェックしたのち、4時半過ぎに二度目の睡眠。これも気持ちよく眠れた。結局いつもの8時ころに起こされるまで熟睡。
 朝食後、緑内障の点眼薬が切れたので眼科へ行った。午前中はいつも混雑しているが本日の待っている人は4人ほどで助かった。眼圧はこの3カ月ほどかなり低い値となっており、落ち着いているらしい。いろいろ薬を変えたりしたが、なかなか下がらずにいた。暫くはこの薬で推移を見守るしかないようだ。
 ついものが二重に見えることの相談を忘れてそのまま帰宅してしまった。また次回の来月か再来月に相談することにした。

 ベランダの室外機の上にセキセイインコの籠を放置してしまった。餌を取り換え、籠の掃除をしたのち、日かげに移すのを忘れてしまった。2時間以上日向においてしまった。室外機なので金属の照り返しも厳しかった。気がついた時には羽を広げていかにも厚そうな様子であった。慌てて室内取り込み、葉っぱにたくさん水のついた小松菜を与えると、葉に体を擦り付けていた。可愛そうなことをしてしまった。

 正午過ぎに出かけるつもりだが、本日は半袖と薄いズボンの方がよさそうである。夜には冷えるといっているが、それでも21時にはまだ21℃の予想である。

休肝日&休養日だったが‥

2016年10月19日 22時27分39秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は休肝日&休養日。休養日とはいっても退職者会のホームページに3本の記事をアップした。このブログの記事を2つアップ。パソコンの前に座りっぱなしとなった。図書館から借りてきた「わが心の歌-望郷のバラード」の返却日は11月1日。まだ余裕があるが、早いところ読んでしまいたいと思っている。本日は読む時間がなかった。これから30分ほどの読書タイムを確保した。
 他にも読みかけの本が多数ある。早く読んでしまいたいと、結構焦ってはいるが、焦ってもどうにもならない。全部読まなくともつまみ食いでよいのだが、性格的にそれができない。

 明日は晴れ、最高気温の予報は26℃だが、これよりも高くなる可能性もあるようだ。明日は午後から出かける。「月」展と久しぶりに三菱一号館美術館に行く予定。内覧会に応募したら当たった。「拝啓 ルノワール先生― 梅原龍三郎に息づく師の教え」展である。
 「月」展は券をもらった。三菱一号館美術館は内覧会ということで、ともに入場料はかからない。ルノワール、梅原龍三郎はともに私は敬遠している。食わず嫌いは良くないと、意を決して参加申し込みをした。私の頭からはいつもすっぽりと抜け落ちてしまう。見直すいい機会になればうれしい。せめてどうして敬遠してしまうのか、その理由がわかればいいのだが‥。


「鈴木其一展」後期展示(その2)

2016年10月19日 17時02分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 鶏の作品というと今は若冲がまず思い浮かべられる。私も同じである。やはり若冲の鶏の作品をはじめて見た時の驚きは忘れられない。若冲は鶏をじっくりと見て、写生したといわれている。
 しかしその描かれた姿態は決して日ごろ鶏が見せるポーズとは違う。歌舞伎の訳者のように大向こうを張ったような、「どうだ」と云わんばかりのポーズである。芝居がかっていて、そして自己顕示欲十分な性格だったのだろうか?伝記や解説からはそのような性格は伝わってこないので、よくわからない。
 若冲の鶏は好きであっても長時間眺め続けたり、見る回数や時間によっては、疲れてしまう。一度見るとしばらくは作品から離れて他の作品を見たくなる。若冲でいえば水墨画が見たくなる。あるいは広重などでいえば東海道五十三次などの作品に気持ちが向かってしまう。
 しかし其一のこの「鶏に菊図」は、若冲を念頭に置いているように見受けられるけれども、1mを大きく超える画面の割には、控え目な印象で、若冲ほどのアクの強さは感じられない。同じ赤系統の色も控え目である。鶏よりも番の鶏を取り巻く白い菊のアーチの方が主役である。雄鶏の腹から尾羽まで、雌鶏の尾羽の濃い緑も印象深いが、赤も茶もくすんでおり、わずかに深い青い色がアクセントとなっている以外は、鳥全体として大人しいし、時間が停まっている。顔も若冲ほど個性的な顔をしていない。
 どちらかというと私が鶏を見てホッとするのはこちらの作品だとおもう。あまり動きは感じられず、其一にしては地味な配色である。しかし白にしろ、たらし込みを使った葉にしろ、羽の色にしろ、微妙な色のグラデーションは念入りに仕上げられている。部屋に飾って普段見ている分にはこちらの方が落ちつくのは間違いがない。
 解説では大名・豪商に注文作品らしいという。控え目な構図と配色は注文主の意向だった可能性はある。

   

 次は「瀧上白衣観音像」。私が着目したのは観音よりも観音が乗っている龍。前期展示の時に昇龍図を取り上げたが、その時に直立して躍動感があって、いかめしい緊張した顔つきの龍に惹かれたが。今回は観音の読書に支障がないようにおとなしく乗り物の役に徹している龍に親近感を持ってしまった。乗っている観音が揺れないように気を使って運転しているドライバーのようでもある。そしてそんな対比が、どこかホッとする作品である。色彩と構図の緊張感あふれる会場にあって、どちらかというと後期展示の仏画のコーナーはホッとする空間であった。
 同時に同じ水墨画である「昇龍図」と「瀧上白衣観音象」とを比べると、今回の「瀧上白衣観音像」は静的な情景である。「昇龍図」は天に昇る躍動感あふれる作品。違う種類の緊張感や動きを描く力というものに驚いている。
 そして両者の雲の様子が、風神雷神図屏風とも大きく異なっていることにも気がついた。昇龍図の雲はその形から龍の影でもあるらしく、どこかおどろおどろしい。



 なお、前期展示作品の「虚空蔵菩薩像」も忘れられない作品であった。こちらの作品は作品の背景の噎せ返るような青、そして菩薩の頃もは赤と緑。このような色彩の氾濫に付随する緊張感にびっくりした。隣にあった「釈迦三尊十六善神像」も善神が所狭しと密集していたが、それ以上の緊張感があった。
 静かな祈りの空間を演出するというよりも、人を威圧するような空間をもたらすような配色である。現在ファインバーグコレクションとなっており、解説を読んでもどのような依頼で作成したかわからない。このような威圧するような効果を生んでいる色彩、その目的は何だったのだろうか。虚空蔵菩薩はこのような色合いで荘厳される菩薩なのだろうか。虚空蔵菩薩は「虚空のごとく無量の智慧や功徳を蔵する菩薩」(岩波仏教辞典)と云われる。
 そのような虚空蔵菩薩の在り方とは別に、其一という人は、現代の言葉を使えば色彩の心理学的な効果ということについて、自覚的だったのではないか、と思った。

間宮芳生「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」(by天満敦子)

2016年10月19日 12時54分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 朝から天満敦子の演奏で、間宮芳生「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」を聴いている。3楽章の曲で全体としては21分30秒に満たないきょくであるが、ヴァイオリンの様々な音色・技法がぎゅっと詰まっている感じの曲である。
 第1楽章の出だしはガチャガチャッとして最初は少し違和感を持つ。私は最初に聞いた時これはちょっと趣味ではない、とすぐに聴くのを止めてしまった。その後「我慢」して聴いて面白いと感じた。
 間宮芳生自身の解説がCDの解説冊子に収録されている。それによると第2楽章伊豆諸島青ヶ島の死者を蘇生させる歌「ディラポン」に由来するとのことである。私には地下から発せられるうめき声のように聞こえた。うめき声がメロディーに昇華しようとして昇華しきれないもどかしさが最初の出だしから感じられる。私はこの第2楽章が最初に気に入った。
 第3楽章は第2楽章との差を感じない。続きのようにいつも聴いている。確かに音は細分化され、テンポも速くなっているが、聴き取る世界は同一のようだ。最後に方で作者のいう「鳥の声」といわれるとちょっと戸惑うが、高音の音型はとても印象的である。
 スラブの情念を追い求めるような天満敦子のヴァイオリンの音色と、間宮芳生の曲との共通性は何なのかと問われると答えることは到底できない。しかし私の気持ちに入り込んだことは確かである。

   

「現代日本のヴァイオリン音楽・抄」(Vln.天満敦子)

2016年10月18日 23時33分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先ほど帰宅。二日続けて外で飲んでしまった。昨日は焼酎2杯とホッピーをお変わり付きで1本、本日は生ビール2杯と日本酒1合。本日の方が少ないアルコールですますことが出来た。明日は休肝日としたい。

 退職者会のホームページに熊野古道の旅の報告集を左規模とアップした。これでこの旅にまつわる一連の業務はとりあえず終了することが出来た。ホッとしている。

 帰宅後聴いているのは「現代日本のヴァイオリン音楽・抄」(Vln.天満敦子) 。現代音楽はほとんど聞かないが、我が家にはある数枚の内の一枚がこれ。
 間宮芳生「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」はいい。
 天満敦子の著書「わが心の歌-望郷のバラード」を図書館で予約していたが、本日手にした。その中でこのCDにも言及している。
 詳細の感想は後日。




講座「奇想の天才画家たち」(辻惟雄)

2016年10月18日 21時53分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の講座、とても期待はしていた。「奇想の系譜」「奇想の図譜」の著作を踏まえた上での講義内容と早合点していたのは私の勝手な思い入れであったようだ。本日は若冲の年譜に従っていくつかの作品の見どころを駆け足で紹介してもらった。
 むろん私の気がつかなかった指摘や、すでに知っていてもあらため指摘されて思い出した点など貴重な時間を過ごすことが出来たことはありがたかった。しかし新しい視点への手掛かりはなかったような気がする。むろん私が未熟でいろんなヒントを言ってくれていたにもかかわらず、私が気がつかなかっただけかもしれない。
 次回以降は、蕭白、国芳を取り上げることになっている。今一度期待をしたい。