Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「坂田一男」展の感想

2020年01月27日 13時39分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 私は坂田一男の作品に初めて接した。そしてその作品に対すると、目が離せなく作品がいくつもあった。見つめていると安心できるのである。
 抽象画というのは、言葉で語るのは難しい。常に見慣れた「世界」ではなく、画家の内部だけで見える世界、画家にとっては意義のある秩序であり、構成ではあるが、それが見る者、鑑賞する者にとっては異質である。人の数だけ別の世界や秩序がある。どこで共鳴するか、が鑑賞のポイントと思われる。しかし抽象の作品は画家の孤の世界に引きこもってしまうベクトルの力は強い。
 内側へ内側へと向かうベクトルを鑑賞者に向っていくベクトルへ変容していこうとする作者の表現意識が問われる。鑑賞者もまた作者の内側へ向かうベクトルと鑑賞者に向ってくるベクトルの合成されたベクトルから、作者固有の振動を読み取ることも必要になる。そこに共感と共振が見つかれば、鑑賞の糸口に立ったことになる。これは意識と無意識とにかかわらない。共鳴すればいいのであろう。
 だが、まったく言葉を拒否しているわけではないとも思う。どこかに糸口がある。どうも今の段階では坂田一男の作品からはそれが見つけられない。それでも惹かれた作品、気になった作品、見ていて飽きない作品を羅列するしかないようだ。

    

 左から、年代不詳 デッサン三人の兵士(上)、1921-33 デッサン(下)、1936 コンポジション、1949 コンパス、1955 メカニックエレメント、1956 力学的構成。

 解説に次のような文章があった。
「1933年、坂田一男は帰国するが‥日中戦争から多併用戦争へと突入する時局の中で、画家として抽象的思考を持続した‥。戦争は文明も自然も、そして人間性そのものをも破壊しつくす‥人為によるカタストロフである。それは坂田の絵画に、抽象化された構造としてすでに内在していたものでもあった。‥時局に応じた空間的葛藤が破綻することは、構造的に通じっていた。‥この時期‥二つの刮目すべき主題が出現する。ひとつめは手榴弾である。手榴弾の外装が破壊されたとき、外部の空間はもはやそのままではありえず、崩壊するだろうか。破壊されずに画面に留まっている手榴弾の内部に保たれているのは、外部空間に抵抗する、外部空間とは異質な空間の自律性である。ふたつめは冠水である。1944年に‥瀬戸内海に面する埋立地にあった坂田のアトリエが冠水した。‥坂田はその後の制作で、この冠水の影響を画面の構造として取り込んだ絵画の制作を開始するのである。」

 わかりにくい文章であるが、短くすると通じるところもある解説である。カタストロフとしてのあの戦争下、どのように画家が時局の圧力に抗して抽象画の制作を続けることが出来たのかを作品だけをとおして語ることは無理がある。画家個人の内発的な根拠だけでは外部からの統制(画材の供給、翼賛画の制作強制‥)にどう対処したかは論じられない。
 しかし手榴弾という内部に破壊の意思を持つものが静寂の中におかれ、外部の世界と壁一枚を接して対峙するという指摘は同意できる。

   

 参考として展示されていた坂本繁二郎の作品とモランディの作品との接点を自分なりに直感した。前々からモランディと坂本繁二郎の陶器などの容器と箱型の容器の描き方に接点があるように思えていたが、両者の具象画が抽象的な絵画と通じるものをあらためて認識した。坂本繁二郎の作品の魅力を広げたように思った。

 器物の内側には外部世界とは異質な世界が閉じ込められている。例えばガラスの器、それも底が厚いものを上からのぞくと、底のガラスには外部の世界が異様にゆがめられて閉じ込められている。この異様な渦巻くような世界が、外部に流れ出たり、ひょっとしたら宇宙の開始のようなビックバンで外部の世界に衝撃を与えたら、どうなるのか。それを見つめる作者も鑑賞者もその存在自体の存在が危うくなる。
 ゆっくりと流れ出たり、爆発したり、時間によって衝撃の度合いは違うものの、破壊としては同質でもある。
 破壊の前の静かな均衡、破壊の後の想定不能な現実、それを予感させてくれる作品であった。

 さらに私が会場を一巡して気付いたことが二つあった。ひとつは矩形の形や形象、背景の矩形は安定の嗜好が感じられ、曲線によって囲われた不定形の形は安定から不安定への暗号と感じた。私はどちらかというと矩形中心の安定した作品の方により惹かれた。これから起こる破壊と爆発の予感が私の心が共鳴した。
 もうひとつは、デッサンにふと現れる人や蜻蛉などの虫用の形象、木の幹に見える形など生物。しかしこれがデッサンから完成された作品になるのはあまり見られない。戦前の「兵士」を描いたデッサンも次第に人間の兵士は角張ったロボットのように変化し、そしてその完成形と思われる作品は見当たらなかった。ことは展示されなかっただけなのか、作品そのものがなかったのか、分からないままである。
 「兵士」は生きた人間を、内部には破壊につながるエネルギーや不条理を内包するものとして把握することで、生きた形が失われていくように思えた。そんな解釈が出来るかもしれないが、晩年の木の幹や蜻蛉、人間の形象にまだ敷衍するのは無理がありそうである。

 ここまでが今回の展示を見ての感想である。これからも頭から離れずにどこかでこだわってみたい画家である。

   

   

 


坂田一男展の感想は‥

2020年01月26日 23時30分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 坂田一男展の感想をつくり始めた。まだ画像を取り込む段階で、視点も定まらない。抽象画というのは言葉で感想を述べるのは私にとってはとても難しい。感覚的に轢かれる、面白かった、で終わってしまうことが多い。もともと「言葉」を拒否したところから絵画はあるし、とりわけ抽象画というのはそういうものなのだとあきらめている。
 例えばミロやカンディンスキーやクレーの作品を言葉で解説しても、作品の構成や見た目をなぞるだけの言葉しか有効ではないと思う。「さびしい画面」だとか「沈鬱」だとか「明るい空気」「踊るような画面」「リズムのある色の配置」等々、どれもむなしい言葉でしかない。

 ということで今晩はアップすることは出来ず、明日以降になってしまった。

 


ベートーベン「チェロソナタ」

2020年01月26日 14時37分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 午前中は美術関係の本を整理。本と図録を収納した。私の部屋の本棚の四分の一以上を占めている。図録が重すぎる。当分図録の購入は無理のようだ。詩・俳句関連と未読の棚を整理すればだいたいが片付く。
 半日単位で3回くらいであろうか。

    

 本日はベートーベンのチェロソナタを聴きながら作業。チェロはヨーヨー・マ、ビアノはエマニュエル・アックスで1981年から1985年にかけての録音。
 私は第3番、第4番、第5番が好みである。第3番の出だしもいいが、今回は特に第4番が気に入った。チェロとピアノのバランスもいい。


二日酔いにはならなかったが・・

2020年01月26日 10時53分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日は一昨日の日よりも酔っぱらってしまってダウン。控え目にしようという決意はあったのだが、二次会に誘われて、泡盛のロックを2杯飲んだのが敗因。幾度も繰り返す「おおいに反省中」。二日酔いにはならなかった。午後は予定なし。本棚の整理をぼちぼちと‥。

 午前中は団地の中での屋外作業の予定があった。しかし1ミリ程度の弱い冷たい雨が昨晩から続いて中止。雨の区域はゆっくりと北から南へ移動している。まもなく雨は上がりそうな気配である。予想最高気温は8℃。ようやく冬らしい気温になった。 

 

 

 


これにて就寝

2020年01月25日 20時34分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 19時を過ぎてから帰宅。予定していなかった二次会に行ってしまった。それは自分の意志の問題なのだが、何となく人のせいにして、帰宅と同時に寝てしまった。先ほどようやく起きてきた。
 本日は難しいことは考えられない。これにて就寝。


本日も新年会

2020年01月25日 10時25分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 最低気温は明け方5時の6.7℃、これは3月下旬並みということらしい。しかも西の方はどんよりとして東寄りの空はところどころ雲に切れ間があり太陽が短時間顔を出すことがある。例年の冬の空模様とはおおきくかけ離れている。
 友人の一人は転勤したことのある九州北部の日本海側の冬のようだと言っていた。友人は私のように太平洋岸で暮らしていたので、その地のどんよりと曇った日の続く冬に違和感を感じたそうである。
 本日は曇りのち晴れ、最高気温は10℃の予報。大寒とは思えない暖かさである。

 本日は昨日とどうよう退職者会のあるブロックの新年会に呼ばれている。昨日とは顔ぶれは当然違うが、多分4人ほどは同じ顔触れ。昼からの集まりである。昨日はたくさん飲んだので、本日は控えめに、おとなしく‥。

 散会後に酔った顔で横浜駅の混雑を通り抜けるのは少しばかり恥ずかしい。

 


5回目の新年会

2020年01月24日 22時59分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど帰宅。20人ほどで楽しく3時間近くを過ごした。気心の知れて、見知った顔ばかりなので、一緒に呑んでいて楽しい。会話も弾む。
 むろんはじめて会う人と楽しく呑むのもうれしいものである。同時に長年の付き合いの人とわだかまりをつくらずに長い付き合いを継続することもまた楽しいものである。若い頃は気心が知れると、つい言いたいことを一方的に行ってしまって気まずくなることも多い。この歳になれば、自己主張も大切であるけれど、同時に自分を抑えながら大人の付き合いに徹することの大切さを優先したい。

 暖かい夜であった。5千歩程歩いて汗ばんできた。ダウンのコートを脱いでしまいたくなったが、我慢。

 明日は正午から、別のブロックの新年会に呼ばれている。こちらもまた楽しい会である。


文書廃棄をしながら‥

2020年01月24日 14時26分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 書類の整理がようやく終了。2013年から2017年度までの退職者会の書類を廃棄。個人情報のあるものは別途大量処理できるシュレッダーで裁断する必要がある。この作業は別途。いくつかの分野の本棚の整理にようやく着手。本日はここまで。

 書類を保存ファイルから取り出しながら、現役時代の文書廃棄月間の大掃除のような書類廃棄作業のことを思い出した。毎年市の監査事務局の監査、国や県の会計検査がないと判断された時点で、年度末までに廃棄対象の文書の廃棄作業を行う。だいたい年度初めに実施したと思う。10年、5年、3年、1年経過の書類が書類倉庫から山のように出てくる。
 今、国の文書廃棄で問題なのは「1年未満」の文書であるが、この「1年未満」というのはその年度の文書で監査が行われる年度末を経過したものを廃棄するものである。だから1年未満というのは「即廃棄」とは違う。あくまでもその年度内に監査が行われる可能性があれば、廃棄は出来ない。原則年度末を越えて、新年度になってから廃棄である。

 国の文書管理が如何にひどいものであるか。政治家の無知や、隠蔽指示、「忖度」によって文書管理規定があってないようなものだと知らされ、唖然としている。これでは文書管理事務は成り立たない。国の在り方を見ていると呆然とし、そして国の根幹が壊されていく、という危機感が湧いてくる。


まだ収まらない本棚

2020年01月24日 09時54分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の夜は退職者会のあるブロックの新年会。いつも美味しい日本酒を出してくれるところで開催するので、誘ってくれるのがとてもありがたい。午後から区役所まで出かけて所用を済ませてから、参加予定。

 午前中は部屋の片づけを少々。退職者会の関係の書類、昨年・一昨年分を除いて廃棄処分に回す。

 本を整理したとはいえ、残った本と棚をあらためて観察すると、処分したのは所有していた本の半分程度であった。残った本を綺麗に整理しても、本棚は隙間なく埋まってしまう。
 これから増えるであろう本のことを考慮すると、横積み、あるいは手前と奥の前後に並べないといけない。処分の量をもっと増やすべきであった。

 しかしこうしてみるとよく床が抜けなかったものだと感心している。
 


「老いのかたち」(黒井千次)

2020年01月23日 23時19分53秒 | 読書



 毎日のように横浜駅地下の書店をのぞいている。単行本は高価なのでたいがいは文庫・新書のコーナーと離れてはいるけれど美術書のコーナーを必ず回る。新刊の情報を仕入れ、立ち読みに徹している。書店には申し訳ないが、購入するときは神奈川大学の生協におもむいて、会員特典を利用して1割引きを利用させてもらっている。生協の店頭になくても一週間もしないうちに取寄せてくれる。
 本日は横浜駅の書店の新書コーナーで黒井千次の「老いのかたち」(中公新書)を手に取ってみた。読売新聞に月1回連載しているエッセイをまとめたもの。続編として「老いの味わい」「老いのゆくえ」も出ている。

 最初のエッセイは「父という時計」という題。父親の年齢と自分の年齢を重ね合わせて「老い」を語るところから始めている。なかなかいい着眼で、わたしもかねてからそんなことを日々思っていた。引き込まれるようにして定価でこの一冊を購入した。
 全体をとおして読んではいないので、わたしなりの評価はまでできないが、おおいに惹かれている。実は、黒井千次という作家の名前は知っているが、作品を読んだことがない。今回立ち読みをして、1932(S7)年生まれということを知った。2005年というから73歳ころからこの連載を開始している。

 文章は私には読みやすく、いい文章だと思った。視点にも惹かれている。今読んでいる「ゴヤⅣ」と併行する読書として紐解くことにした。
 「ゴヤⅣ」も早くまとめたい。急ぎで済ませた本の処分も一段落したし、手術も終わったことでもあり、徐々に読書のスピードをあげたいものである。

 


現在のものの見え方

2020年01月23日 20時02分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 白内障手術の結果、視界は大きく改善された。薄い紙をとおして見ているようなぼやけた感じが無くなったのはありがたい。数メートルから十数メートルまでは裸眼で問題なく判読できる。今までよりもいい。遠距離はこれまでの眼鏡をかけるとよく見える。
 ただし右目に頼っている。左目で良く見えるのは十数メートル先までである。ここは今後の矯正のポイント。
 しかし近いところがなかなか鮮明にはならない。暗いところではほとんどピントが合わない。明るいところならば、それなりによく見える。しかし食品の成分表などの細かい文字は明るくても鮮明には見えない。目を近づけてもピントが合わない。缶詰や瓶詰の表示を裸眼でも眼鏡をかけても読むことが出来ない。ここが矯正の一番大事なポイント。

 現役のころ、60歳ちかい高齢者が大きな拡大鏡を利用して書類を読んでいるのをいつも見かけていた。その切実感を私は今味わっているのであろう。

 2月の中旬以降、視力が安定したら眼鏡の調整を再度行うつもりであるが、どのような矯正が可能なのか、とても気になる。


半分の本が消えた

2020年01月23日 11時45分56秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 先ほど古書店の方が来て、本を引き取ってくれた。900冊を大きく超える本を、段ボールに入れ車に積んでもらった。博物館などの古いパンフレット類やボロボロの文庫本など50冊ほどは、値もつかないだろう、と廃棄のつもりで積んでいたが、それも引き取ってくれた。

 古書店というのはなかなかつらい肉体労働でもある。理解しているつもりでも、実際に見ると商売としては大変。これから持ち帰って一冊ずつ値をつける作業、分類作業もある。書架におさめたり、他の古書店との取引もあるであろう。私なら多分、作業の途中で、読み始めてしまって、仕事にならないのではないか。あるいは好きな本・興味のある本には値を高くしたりするということになりかねない。客観的な評価が出来なくなりそうである。

 「好きなことを仕事にする」というのは、実は大きなデメリット、マイナス要因が潜んでいる。本が好きだから本屋さんに勤めたい、古書店を開業したい、というのでは多くの場合は仕事や商売にはならない。「仕事」と「好きなこと」は別々の方がいいと私は昔から思っていた。

 私は、好きだから「理学部」に進学したけれど、それを生涯の「仕事」にすることには前向きにはなれなかった。自分の将来については不安ばかり。教科書や解説書を講義に沿って読むことはしたけれど、「どうやって生きて行くか、生活していくか」とは違うと思っていた。高校のときも、学生時代も「生涯やり遂げるものは何か」が想定できなくて、常にもがいていた。
 就職先がなくて困り、地方公務員の事務職として就職した頃、「地方公務員にしかなれない、地方公務員にでもなる」といういわゆる「『でも・しか』地方公務員」という揶揄のキャンペーンが社会現象にまでなった。
 しかし私は「でも・しか」という動機は悪くないと思った。「仕事」として自分のしていることを客観視できるのはそういう人たちである。ヘタな特権意識や、その世界に閉じこもってしまうよりはずっといい。(地方)公務員のそれまでの閉ざされた社会を変える可能性があるとも思った。

 冷たい雨の中、働いてもらっている姿を見ながらふと、そんな昔の自分を思い出した。それも自分の50数年関わってきた頭脳の中身を「廃棄」するような事態に直面しながら。何とも不思議な感慨である。


過去の自分が消えた心境

2020年01月22日 21時55分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日の朝は古書店が本を引き取りに来る予定。雨でも来るとのことである。結局引き取ってもらう予定の本は、文庫・新書が475冊余り、単行本は430冊、併せて905冊となった。廃棄も60冊以上ある。果たしていくらで引き取ってくれるやら。引取の値段は明日ではわからないらしい。運んでから査定をして後日値段を伝えに来るそうである。

 リビングルームにある本棚は、はみ出しかけていた本は無くなり、きれいに並べることはしたけれど、まだ横積みにしていたり、奥と手前に重ねたいたりしている。本来の収納予定数くらいは収めてある。私の部屋の本棚では、埴谷雄高、白川静、中井久夫、美術書、俳句関係、一人の画家を特集した美術展の図録、そして退職者会の資料の棚についてはあふれている。
 それ以外は一応ほぼ空っぽになった。とてもさびしい気がしてきた。高校・大学卒業以来の本もかなりあったがほとんど引き取ってもらうことにした。

 なんだか自分の頭の中を構成しているさまざまなものが消えてしまったような錯覚におちいる。そして物心ついて以降のこれまで60年近くの自分が消えてなくなったような寂しさもある。
 そういった意味では「終活の一環」という冗談もあながち外れてはいない。


白内障手術は経過良好

2020年01月22日 18時21分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 白内障手術はどうやらうまくいったらしい。検査の結果は問題なしとのこと。分かってはいてもホッとするものである。ただし右目は手術後眼圧が低くなるという望外の結果をもたらしてくれたが、今回左目については残念なことに、眼圧は下がっていないといわれた。これは引き続きこれまでのかかりつけの眼科で治療を継続するしかないようだ。
 眼科は再度来週に診察の予約が入った。

 血液内科については、特に血液の数値に変動はなく、次回は4月初めとのこと。それまでの薬を処方してもらった。医師から「次回までの日数ギリギリで良いか」、と聞かれたので、「災害時や予約の日に来られない」ときのことを考えて7日分だけ余分に処方をしてくれるように依頼し、了解してもらった。


「富士山宝永噴火」(神奈川県立歴博)

2020年01月22日 09時13分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日「第34回道展」の帰路、同じく馬車道にある神奈川県立歴史博物館に行った。
 開催していたのは「特別陳列 古文書が語る富士山宝永噴火-神奈川県域の被災と復興-」展。



 1707年12月16日(宝永四年11月23日)にはじまった宝永噴火は16日間続いた。
 新井白石の「折たく柴の記」にも江戸での降灰の様子が描かれている。今回の展示は、チラシにもある噴火の様子を描いた絵図のほか、被害を受けた村々が幕府や領主・地行主に当てた救済を求める書面が解説付きで展示されている。
 丁寧にも各文書の釈文集が無料で配布されており、興味深い。
 中でも幕府の対応の手遅れ、遅い現地確認などが明らかになっている。神奈川県域(旧相模国、武蔵国南部)への降灰の量なども展示されている。
 さらに「天地返し」という畑の上に降り積もった火山灰を旧来の土壌と入れ替える具体的な方法は、いくら文章で説明されても理解できなかった。しかし今回図解で示され、はじめて理解できた。
 狭い展示スペースであったが、興味深く見ることが出来た。
 この噴火では今の横浜では40センチほどの降灰があり、人力以外の方法はないために火山灰の撤去はなかなか進まず、復興は進まなかったことが窺える。米の収穫は終わっていたが、農民が食料としてきた麦がほとんど灰を被り、深刻な食糧不足や川の水位の上昇-堤防の決壊や浸水などを招いたという。



 今も昔も災害時にこそ、為政者の能力と復興への迅速な対応が求められるのだが、初動でつまずくと人災へと転化してしまう。政権運営者にとっては災害対応はその能力の試金石である。
 なお、展示では触れてはいないが、この宝永噴火の49日前に南海トラフ地震(М8.6~9.0)があり、地震直後から富士山近辺で地震・地響きなどの前兆現象が続いていた。

 この噴火による経済的な損失は多大だったことが充分にわかる。横浜の保土ヶ谷宿でも帷子川の水位が上がり、川舟が保土ヶ谷宿まで遡行できなくなり、芝生村に船着き場をつくりそこから陸路で荷を運んだということを以前に講座で教わったことがある。東海道から開港場までの道の分岐点辺りだと理解している。