Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

世界で孤立する道

2020年03月21日 21時07分37秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 日本のオリンピック委員会や組織委員会、そして日本政府、東京都はどこまでも「オリンピック予定通り開催」で突っ張るつもりなのだろうか。世界的にも時期の見直しなどの意見が国レベルのオリンピック委員会や各国の競技団体からも批判を受けはじめ、しかも国内の競技団体からも批判が出ている。
 この間の「東京」オリンピックにこだわる政治家や組織委員会などを見るにつけ、選手や競技に携わる人の健康や意見を聴く場も設けず、組織委員会などの期間会議についても報道されず、観客の安全・安心も具体的な対応策が何も出ていない。
 よもや観客は諸外国の人を排除して日本人だけと考えていたり、特定の国の競技者を排除することを画策したりすことはよもやないとは思うが・・。それはオリンピックの精神に反するものである。
 「選手ファースト」ではなく「経済効果ファースト」「政治家・組織委員会の面子ファースト」であることを自ら暴露している。
 端的に言ってしまえばインパール作戦や、戦争末期の非戦闘員を巻き添えにした無責任状態といっても過言ではない。
 司令する人は掛け声は勇ましい。しかし第一線の人間の安全・安心、あるいは公平・公正な選考に赤信号がともっていることを考慮しようとする人もいない。日本は世界でも裸の王様である。
 以前にも記したが、何か物事を推進する場合、さまざまな場面や状況を考慮しながら、そして新しい事態や批判・意見に耳を傾けながら進むのがベストである。後退・撤退、方向転換、収束などのことも常に考えるべきである。
 ものごとは達成するよりも、出来なかったときの撤退のほうが難しいのである。撤退を最小限の疵で乗り切ることで、未来にむけた社会の蓄積に転化することができる。
 そんな思想・思考を捨て去ってしまって精神論でがむしゃらに一点突破しようとすると、それは敗北を認めないまま、国民に多大で壊滅的な被害をもたらし、丸裸でお手上げした上で、まだ敗北を認めようとしなかった大日本帝国指導部と同じである。
 登山でも、天候が悪いとき、体調が悪いとき、撤退する勇気を持てという。それは何も登山にかぎったことではない。どんな事業でも同じである。撤退すれば次があるのだ。
 過ちを認めようとしない姿勢、周囲の状況把握をせずに願望だけで判断する姿勢、下部に責任を押し付けようとする姿勢・・戦後75年経って何も進歩しない日本がそのまま残っている。

 もはや、日本は独自では何も決められない、決めようとしていない、と判断されるばかりである。開催国としての意見具申が「予定通り」ばかりでは何とも情けないではないだろうか。

 


気分も天気も晴れ間

2020年03月21日 18時15分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 自宅に戻り再度古い血圧計と新しい血圧計を交互に使用して数値を比較した。家で計測してもやはり10以上は違う。
 いつもよりずっとゆっくりと歩いてきたとはいえ、ウォーキング後なので、低く数値が出た。最高血圧はほぼ正常値、最低血圧は正常値の上限ギリギリ。血圧計を変えても最低血圧が高めなことに変わりはない。

 実は昨晩は、ふらつきなどの症状が薬の副作用の可能性はあるものの、いろいろな想定をして、現在服用している薬の一覧などをコピーし、緊急連絡先などを印刷し、妻に渡した。風呂に入るときもリビングに待機してもらっていた。

 本日は午前9時過ぎから家に帰宅する16時過ぎまで、妻と一緒に歩いた。病院、そして血圧計の購入から公園の散策、喫茶店での一服、3つのスーパーでの食材の購入と、7時間以上も一緒に出かけていたことになる。
 何となく気恥ずかしいものでもある。
 


体調回復・・新しい血圧計を購入

2020年03月21日 17時13分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 起床後新しい降圧剤を服用しなかったら、ふらつきなはなかった。血圧も少し高めだが、心配するほどのことのない範囲で治まった。

 午前中にいつもの内科で受診。一昨日・昨日と血圧が高めで不安定であったこと、脈拍が多かったこと、ふらつきがあったことなどを相談。まず病院の血圧計で計測すると、正常値の範囲でしかも少し低いくらいであった。次にいつも我が家で使っている血圧計で計ると、上も下も高めに計測されることが確認できた。特に上も下も数値が10以上も高めであった。
 医師の所見では、新しい降圧剤で低くなり過ぎたことで、体が逆に血圧をあげようとして、不安定に高く推移した可能性が強い、ふらつきもその一環、と言われた。先週処方した追加の降圧剤の服用は中止、さらに20年以上も使っている血圧計は新しい方が良いとも云われた。

 確かに新しい薬を服用しないと、気分が悪くなるわけでもなく、ふらつきもなかった。昨日と比べるととても気分が楽であった。
 土曜日、しかも金曜日が祝日での土曜日は病院は混雑するとのこと。土曜日は避けた方がいいらしい。

 天気も上々なので、妻に付き添われて横浜駅近くのイタリアンの店で昼食、そしてさっそく家電量販店で4000円ほどの新しい血圧計を購入した。
 購入後は食材を購入し、さらに私が一昨日訪れた公園で、咲いているシャクナゲ、サクラ、コブシなどを見て回った。シャクナゲは3本あり、咲いているのは1本、残り2本はまだまだ蕾が固い。咲いている1本は早く咲き過ぎているのだろう。
 


桜の季節が本格化

2020年03月20日 22時07分33秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 今年は桜の咲くのが早い。

★咲くまへのさくらの音をさぐりをり   加藤楸邨
★さくらさくらわが不知火はひかり凪   石牟礼道子
★田にあれば桜の蕊がみな見ゆる     永田耕衣

 第1句、桜がいつ開花するか、というのは今では、天気予報士の大切な仕事のひとつのようになっている。だが、桜の木を巡りながら「いつ咲くか」と実際に見て回るのもまた楽しいものである。実際に樹木に抱き着いて水をあげる音を聴くという行為も癒しのひとつとして行われる。水の流れを実際に聴かずとも、一本一本の木を丁寧に観察して回るのも「音をさぐる」行為と解してもいいのではないか。

 第2句、水俣病の汚染は不知火海にひろがり、人間を破壊したばかりでなく、人のつながりもずたずたにした。しかし陸の上では桜は見事に咲き、不知火の空は明るく風も心地よい。海面も凪いで光っている。工場排水の害とは裏腹なかつての豊かな海、そして現在の海の状況、過去と現在の自然と人の時間の落差がことのほか強調される。ここでは、桜も光りも凪も、かつての豊かな自然とそれに依拠した人の営みの豊かさの象徴であり、同時に再生の縁でもある。
 石牟礼道子の句では「祈るべき天とおもえど天の病む」は忘れられない句である。

 第3句、「花を見て人を見ず」とよく言われるが、本当だろうか。桜の木の下で宴会をしている人を見ると、多分桜の花よりは、お酒と会話を楽しんでいる。そのことは否定しない。春が来たのを実感として、暖かい陽射しと春の風、そして桜の雰囲気を体で受け止めて、自身の活力にしようとしているのである。桜は口実になっている。それはそれで悪くない。都会では桜花よりは「人」が主体なのだ。
 だが、一方で日頃から自然そのものや、人工物とは言え畑や田んぼなど自然に囲まれて働く人にとっては、桜はその一部である。花全体を見ることもあるが、しみじみと桜花を見上げると蘂も見える。桜のほの赤い色は蘂の色なのだ。
 「田にあれば」と「蘂がみな見ゆる」のつながりがフラッとである。何の起伏も断絶もなく、それでいて意表をついている。満開の桜に蘂を発見した視点の根拠が「田にあれば」というのが、都会では発見できない、と裏では主張している。多分時間の流れも都会とは違うのだ。


引続き安静中

2020年03月20日 19時44分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 15時過ぎからベッドに入って読書タイム。夕食前に起き出して血圧を測定したら就寝前よりも高い。夕食後もほとんど変わらず。朝から少しふらつき。
 昨日新たに追加された降圧剤の副作用に「めまい・ふらつき」が列挙してある。この副作用の可能性もあるが、同時に血圧が高く持続しているのも気になる。明日は土曜日なので、朝のうちにこの薬を処方してもらった病院に行きたいと思う。付き添いを妻に依頼した。

 三年前に知人が仕事中に脳梗塞を発症した。昨年末には長年の友人が病院で脳梗塞を発症、さいわいにというべきかその種の専門病院だったので、処置がスムーズで今ではもう仕事に復帰しているとのことであった。
 身近にこのような事例があると心配になる。家族に負担をかけてしまうのは心苦しい。今回は薬が合わない可能性があると思うが、降圧剤を増やしたにもかかわらず高い値で持続していることが気になる。

 しかし50歳になるまでは血圧は低い方であった。高血圧の心配などしたことがなかった。50代になってから徐々に上がり、50代半ばには降圧剤を服用するようになっていた。しかしずっと一日1錠の薬で安定していた。最高血圧125、最低血圧80くらいをずっと維持していた。
 最近急に高めにしかも不安定に推移するようになった。


安静中

2020年03月20日 14時34分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝からあまり気分が芳しくない。血圧も不安定気味。本日は家にいて安静中。天気がいいので外に出たいのだが残念。
 読書にも集中できず、気力もない。

 このような日、50代までは自覚したことはなかった。この3連休、大人しくしていろという体の信号であろうか。
 ただし月曜日は退職者会の幹事会で朝から夕方まで組合の会館に詰める予定。

 


何と21℃越え

2020年03月19日 23時08分54秒 | 天気と自然災害

 夕方から風が一段と強くなり、15時半には最大瞬間風速が15.3mとなった。さらに気温も21.3℃と上がり、今年の最高気温であった。しかし20時頃には本降りの雨となった。現在は風も雨もやんで、雲間から夜空が見えるようになった。雲は白く、低い。まだ不気味さが残る雲である。
 本日の夜のウォーキングは中止。

 明日までに400字ほどの文章の依頼が先ほどメールにてあった。明日はこの宿題を終わらせてからいつもの行動パターン。いつもの喫茶店で読書タイム。
 明日も20℃を超えるらしい。風も本日のように強いとの予報。


辛夷(こぶし)

2020年03月19日 21時27分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連



★晴ればれと亡きひとはいま辛夷の芽   友岡子郷


 横浜では辛夷の花はもう散り始めている。辛夷は蕾が赤子の拳に煮ているから漬けられたというが、幹事がどうして辛夷になったのかという説明に出くわしたことはない。
 辛夷の花弁は地面に落ちるや否や一部が茶色に変色してしまう。しかしそれまでは白いハンカチが春の風になびくように震えている。
 この句、「亡き人は」「いま辛夷の芽」というように輪廻転生の解釈で良いのだろうか。そうすると何かつまらない。私は「はればれと亡き人はいま」に「辛夷の芽」を配したものだと思っている。「亡き人」がどうしているのだろうか。きっとこの世に恨みも名残もなく、フッと爽やかにこの世から飛び立ったのだと思う。後に何も残さず。この春の辛夷の芽吹く時期の青空のように晴れ晴れとした気分なのだろう、と想像できる。そんな亡き人だったのではないか。
 作者は「亡き人」についてもっとも良き理解者であったに違いない。そんな友人関係を大切に生きたいものである。

★風の日の記憶ばかりの花辛夷      千代田葛彦

 春、辛夷の咲くころは風が強い。何の変哲もない句、だが風の日と、辛夷の花と青空の関係と、この時期の風の感覚が同時に蘇ってくる。


一人で花見

2020年03月19日 18時19分56秒 | 山行・旅行・散策

 風は強いものの暖かい日であった。午後横浜駅近くの公園のベンチで陽の光を浴びてボーッとした時間を過ごした。若いカップルや、ベビーカーを押す母親、フットサルで汗を流す人、のんびりティータイムとしゃれこむ人、一服しに寄っていくサラリーマンなど適度に人がいた。広い公園は明るい陽射しを受けてサクラ、シャクナゲ、コブシなどが美しかった。
 1時間ほどしたら、風が強まったので、近くの喫茶店へ。地下街には入らずに再び歩いて帰宅。

                              


崋山と火山、変換と返還

2020年03月19日 10時51分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 3月17日の記事の表題「渡辺崋山」(日曜美術館) のつもりが「渡辺火山」となっていた。何と恥ずかしい。ツィッターやフェイスブックと連動しており、そちらには「火山」のま表示されている。本文は「崋山」となっている。私のチェックミスである。娘からはいつも「誤変換ばかりでなさけない」と馬鹿にされている。何とも言い訳が出来ない。

 だが、あえて言い訳をしたい。私はマイクロソフトIМEを使っている。いつものように先に本文を書いて最後に表題をつくった。ここの最期の変換で間違いが生じた。
 ずっと同じ変換をしているのに、突如として別の変換候補がトップに出てきてしまう頻度が高い。文章を作っている私は当然前の変換候補がトップに出てきていると思い、そのまま確定するのである。
 私が最後に点検しなくてはいけないのは重々承知をしているが、この動作には首を傾げている。

 今回の文章の「変換」についても、「誤変換」の次の「変換」についてははじめ「返還」が最初の候補に出て2番目の候補「変換」を選択した。今回は試しにいづれも助詞は使わずに変換した。
 2回目は「変換」がトップになった。ところが「変換候補」という熟語を2回続けたあとに出てくる「変換」については「返還」が第1候補に戻ってしまった。

 学習機能にどこか欠陥があるのではないだろうか、と恥ずかしながら申し添えたい。今回の文章、誤変換がないか、ヒヤヒヤしている。

 


「森友」・・幕引きは納得できない

2020年03月18日 22時19分37秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 帰宅途中で週刊文春の今週号を購入。むろん近畿財務局で森友問題の起案文書を作成し、無念にも亡くなった赤木敏夫氏の「手記」に目をとおすため。

 私は、政令指定都市で道路・下水・公園の管理の末端に在籍していた。国の管理する国道や河川を除いて、公図上の道路敷、水路敷、それらに付属する青地などの管理は政令指定都市が行い、払い下げ事務も政令指定都市が窓口である。その払い下げ等の担当課とは同じ局に属し、道水路管理を行う私達の部所とは極めて密接な関係を持っていた。
 この払い下げ事務にはさまざまな人が絡んで来て、難しい案件も多く、横やりもずいぶん経験した。担当課は苦労の多い職場の一つである。多分現在も。そして私も仕事上、財務事務所との付き合いも多かった。
 だからあの森友事件はとても他人ごとではなかった。あのような事件が再発されることのないように当時から関心を持たずにいられない。

 私も担当者だったら、あんな横やりがまかり通るなら、そしてそれを管理職が強要してきたらどうしたか、いろいろ考えてみた。私なりの抵抗の仕方、振舞い方があったと思う。しかしそれらは結果論でしかない。
 末端の職員を、それも誇りをもって業務に携わってきた人間を、自死に追いやる政治を私は許すことはできない。またそのような職場にはしたくない。

 私は労働組合の役員経験者として、そのような職場環境や上司の在り方がとても許せない。労働組合が果たすべき役割は大きいと思う。政治案件だからといって行政の基本がゆがめられることがあってはならない。労働組合はそこもきちんと監視すべき役割を持っている。

 週刊誌など読むことのない私が購入したのである。これからじっくりと読むことにする。


血圧の薬が増えた

2020年03月18日 20時05分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど帰宅。午前中はいつもの内科、昼からはみなとみらい地区に所用があり、妻と合流。午前中の病院に持って行くのを忘れものを持ってきてもらった。昼食と用事を済ませてから妻は買い物。私は午前中に行った病院にもどり、再度血圧の推移表を見せて診察をしてもらった。

 その結果、ときどき高くなる血圧に対応するために、もう1錠薬を追加したほうがいいといわれた。試しに4週間薬を増やして状況を見極める、とのことであった。朝の起床時2錠、夜の就寝前に1錠の服用になった。

 薬を増やすことは、好ましくないのだろうが、週に2日ほど高い日が続く。周期的な上下が私も気になる。お酒とは無関係に上下している。


情けない忘れ物4件

2020年03月18日 18時18分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 いつもの内科に赴いたが、昨日ちょっと覗いた内科同様に患者は一人だけ。いつもは10人近く待っている患者がいるのだが、やはり新型コロナウィルスの影響なのだろう。
 考えようによっては軽症の「風邪」症状の人は、家で静かに過ごしている可能性もあるのだろうか。あるいは無理して出勤させられているのだろうか。
 「風邪」症状が出たら、仕事にはいかず、家で養生する、ということがこの事態を契機に社会に拡がるならば、それはそれで悪いことではない。何しろ日本のブラックな出勤の在り方は世界中で呆れられているのだから。

 本日、私は自分にがっかりしたことばかり。まず初めに、この一カ月の血圧の測定値の一覧表を持って行くのをわすれた。昨晩1時過ぎまでかけて入力して寝る前に打ち出したにもかかわらず、ファイルに入れたのにリュックに入れなかった。机の上に放置したままであった。
 次に、今使用している自宅の血圧計が、正確かどうか病院で見て貰らう約束を先月していたのに、持参するのを忘れた。医師に指摘されて慌てた。これは次回持参することにした。
 さらに、市民病院での血液検査の結果も持参するのを忘れていた。これは今度4月1日に市民病院で再度血液検査があるので、それを持参することにした。
 もうひとつは携帯電話の電池の容量が残り10%以下になっていたにも関わらず、自由電池を持って行かなかった。充電の点検を忘れて出かけてしまった。

 この物忘れ4件について、落ちこんでいる。以前から用意をしたもの、さらには昨晩一生懸命入力作業して出来上がったばかりのものを忘れたのである。携帯電話の充電忘れにもガッカリ。 


つれづれに・・

2020年03月17日 22時22分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は横浜駅近くの喫茶店で読書タイム。ここは安いチェーン店だが広く一階にあり、周りがガラス張りでとても明るい。椅子と椅子の間は広くはないが、今の時期空席が目立つ。外にも椅子とテーブルが並んでいるので、天気がよく暖かいときはそちらに座る。最近外の席も禁煙になったので、とても快適である。ビル風がときどき気になる。
 本日はそれほど暖かくはなかったので室内を選択。1時間ほど、「ゴヤⅣ」の続きと、スマホでツィッターを眺めていた。

 16時過ぎに眼科へ。同じビルにある内科には私はかかっていないが、いつも混雑しているこの内科、まったく人がいない。これもコロナウィルスの影響なのだろうか。眼科も5~6人程度の人しか待っていなかった。いつもより少なめだったかもしれない。検眼も診察もマスクをしたまま。

 美術館・博物館が国・公立を筆頭に軒並み休館となり、私はだいぶストレスが溜まっている。頑張って開館している民間の美術館はさまざまに工夫をして入るようだが、どうも見に行きたい企画がない。しかしもうすこしこの状態が続くならば、開館している美術館を応援するつもりで、見学に行ってみたい。行けば惹かれる企画や気に入つた作品、思いがけない作品に出会えるはずである。今月末になったら検討してみたい。


眼科へ

2020年03月17日 20時15分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は白内障手術後に続けている点眼薬が無くなりかけたので、眼科へ。検眼をしたのち、眼圧を測ると左右共に高くは無いとのことで、緑内障の点眼薬は処方されなかった。次に白内障手術のあとの点眼薬はもう1ヶ月継続するということで、処方箋をもらった。
 次に視力の矯正のための眼鏡の処方箋を所望した。検査の結果、現在の眼鏡は右が少し過矯正で、左が少しだけ乱視の矯正が弱いと指摘された。
 眼鏡店が無料で直してくれる期限までまだ2か月近くあることを踏まえ、もう少し視力が変る可能性もあるので、4月半ばに再度検眼してみようと言われた。
 4月半ばには、視野検査も行いたいとも言われた。

 眼圧が低くなったというのは私としてはありがたい。緑内障の進行が取りあえずおさまっていることと理解しても良いようだ。現在の眼鏡の過矯正はあたっていると思った。右目が眼鏡を掛けていると少し緊張しているのが自分でもわかる。実際にどのような見え方になるレンズになるのか、少し時間をかけて比較するのが、良いとのことである。

 明日は降圧剤の処方をしてもらうために内科へ、そして本日の処方箋と合わせて薬局へ行くことにした。