Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

不審なカメラマン?

2022年10月26日 22時38分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

      

 本日、帰宅途中で撮影してみた。酔っていたので、ブレてしまっていたのが1/4ほどもあったのでそれらは削除。情けないものである。ススキ、オシロイバナの黒い実など。一応秋の風情のつもり。
 酔った人間が、草花をのぞいていると不審に思われるらしく、通りがかった数人がとてもきつい目でにらんでいったように感じた。私の思い過ごしかもしれないが・・・。
 一眼レフカメラならまだしも、スマホのカメラでは確かにあまりいい印象はないと思う。
 隣接するマンションの住人からしたら、家の中をのぞかれていると誤解をしたかもしれない。


沖縄そばと泡盛

2022年10月26日 21時09分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 市電保存館の見学ののち、すぐ近くにある沖縄料理の店で沖縄そばと豆腐チャンプル、ゴーヤチャンプル、そして泡盛で2時間ほど。とてもおいしくいただい。
 他のお客さんには迷惑だったが、13名で賑やかな時間を楽しんだ。先週のバス旅行での岳南電車での体験などの反省も含めて、おおいに盛り上がった。
 どうも鉄道や市電などの懐かしい交通施設というものに、「オジサン」たちはワクワクして気分が昂揚するのであろうか。そういう自分もそれなりに楽しんでいた。

 しかし昼酒は効く。帰宅のバスの中で寝入ってしまい友人に起こしてもらい、帰宅後すぐに手足を洗ったのち、布団の中で夕食時まで熟睡した。


横浜市電保存館

2022年10月26日 20時40分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

            

 本日は退職者会のイベントの一つとして、横浜市市電保存館を訪れた。特にたくさん歩いて健康増進という取り組みではなく、退職者会の会員にとっては懐かしいものに触れる機会である。
 私も1964年の4月から7月半ばまで、短い帰還ではあったが、横浜駅東口から不動下という電停まで市電を通学で利用した。5系統と11系統であった。
 夏休みになる直前に根岸線が桜木町駅から磯子駅まで延伸・開業して利用しなくなったはずである。
 当時の運賃は定期利用ということもあり、記憶にないが、根岸線もずいぶん安かったと思う。
 当時花園橋という電停が現在の横浜スタジアムの近くにあり、朝の通学時突然運転席から火が上がり、煙が出る事故があった。若い車掌に誘導されて後部ドアーから車外に避難した記憶がある。その電車をどのようにして運搬したか記憶にはないが、後続の市電に乗り換えて不動下までいつものように通ったことは覚えている。
 市電はそれから乗車した記憶がない。本日58年ぶりに乗ろうとして、入口のステップの段差の高いことに驚いた。現在あちこちにある都市施設内の階段の段差の倍近くあったのではないか。当時まったく気にしないで乗降していたが、本日は杖を突いてやっとのことでこのステップを乗降した。当時はバリアフリーという概念もなく、高齢者はとても苦労して乗降したと思った。
 また説明では他都市よりも軌道の幅が広かったといわれ、現在も運航している他都市には横浜の市電を譲ることが出来ないとのこと。小学生の低学年の時に馴染んだ函館の市電と比べてとても車内が広かった。
 もうひとつ懐かしかったのが、市電の前後に掲げられた系統番号についている広告。ここに掲げた写真にもある「ヴィオラ靴クリーム」を見たとき、思わず「懐かしい」という声を出してしまった。乗車していた市電はこれほど新しい型ではなかったと思うが、この5という系統番号と広告をどうしても撮影したくなった。

 この系統図をよく見ると路線は横浜市の中南部に偏っていて、北部・西部には無く、さらに東部も臨海部に1系統があるだけであったのがわかる。私が現在住んでいるところのすぐそばにも市電は通っていたが、中・高生の頃はほとんど利用することがなかった。


本日も眼精疲労

2022年10月25日 18時55分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 14時過ぎまで退職者会ニュースの紙面づくり。2本ほど新たに記事をかいた。1本はトップ記事ではないが、今号で一番長い記事。本日中にもう1本くらいは記事を作ってみたいものである。
 記事を作ってから、割付でいろいろといじくってようやく形にした。しかしこれからあと4本の記事をつくるので、割付の微調整はまだ必要である。おもて面と裏面の記事の入れ替えも考えなくてはいけないかもしれない。
 印刷会社に約束した入稿日は11月1日なのでまでゆとりはある。明日は退職者会のイベントがある。この報告までが今回のニュースの範囲。

 本日の最高気温は16時の14.1℃で横浜では12月初旬の平均気温に相当するらしい。外にほとんど出ないうちにこの時間になってしまったので、体をまったく動かしていない。余計に寒く感じている。

 15時過ぎに「名画の生まれるとき」を読み始めたが、パソコン作業で眼が疲れていたこともあり、そのまま寝てしまった。読書はわずか5頁ほどであった。気休めのつもりで眼精疲労用の目薬を1滴。

 明日は8時45分に家を出ないと集合時間に間に合わない。本日よりは気温が上がるようだ。


シベリウスピアノ作品集3

2022年10月25日 14時39分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日の作業のお供として聞いていたCDは、渡邊規久雄によるシベリウスのピアノ作品のリサイタルの3枚目。演奏は2010年9月。「5つのロマンティックな小品(作品101)」「10の小品(作品58)」「13の小品(作品76)」の3つの作品集。第1巻、第2巻とは違って作品集をそれぞれ全曲並べている。
 本集の最初の曲「ロマンス(作品101から)」は第1巻にも収められている。特徴のあるメロディーで私はとても気に入っている。

 本日のような底冷えがして、枯葉が舞う天気の日にしみじみと聞くにとてもふさわしい曲が並んでいる。私のシベリウスという作曲家に抱くイメージはこのピアノ作品集に規定されてしまっている。

 


霜降

2022年10月25日 11時13分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 外は寒々しい。太陽が厚い雲にかくれ、11mの乾燥した北風に、枯葉が舞っている。欅の葉も落ち始めた。
 先週あたりからプラタナスの枯れ葉がバサバサと落ちてくるようになった。私はこの乾いた音と茶色の大きな塊で晩秋から初冬への移行を実感する。
 二十四節気の秋の最後の「霜降(そうこう)」は23日から11月6日までとのこと。4℃を下回ると霜が降るらしいが、横浜ではそこまでこの時期には気温は下がらない。

 妻の日記によると昨年は10月19日にリビングルームにストーブを据えたとのこと。今年は昨年よりも5日ほど遅かったことになる。昨年ももっと遅い時期にストーブを出したように思っていた。
 本日からはリビングルームに置いた小さなガスファンヒーターをパソコンルームに据替え、リビングルームは大きめのものを押し入れから出してきた。


新聞の原稿づくり

2022年10月24日 21時42分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 退職者会ニュースの記事を2本ばかり作ってはめ込んでみた。1本は長めのオリジナル。もう1本は作ってもらった記事を修正して貼りつけた。断然後者のほうが楽である。残りはあと6本の記事。これより6本のうち3本の記事にはめ込む写真を貼りつけて本日の作業は終了としたい。
 記事というのは、記事本文と見出しと写真で作る。記事は現場に行った会員に作ってもらえているのが、とてもありがたい。写真も同じである。見出しは私が作らないといけない。見出しの大切さ、作る要領というのは経験と、その都度の批判・指摘を身につけていくしかないようだ。写真も一応はセンスが必要であるが、これも経験で身につけるしかない。デジタル写真が当たり前になったずいぶんとこれも楽になった。
 最後に割付のセンスも問われる。これも経験で体得してきたつもりである。

 本日は18℃が最高気温。11月上旬の気温というから、特に寒いわけではないが、これまで暖かだったので、寒く感じる。リビングルームの室温が20℃を下回ったので、30分ほどガスのヒーターを点けてみた。すぐに温かくなり20℃を超えた。すぐに電源を切った。やはりとても温かい。いったんストーブに頼ってしまうと、ずるずると使ってしまう。
 明日は本日よりも4℃ほども低く、雨も降るらしい。出かける予定はない。新聞の編集作業を進めたい。

 


秋の風情

2022年10月24日 21時17分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 昨日の鎌倉古道ハイキングでは秋の風情にたっぷりと浸った。私の周囲では柿はまだ色づいていないが、農専区域ではすっかり色づいた柿を見つけた。すでに鳥が啄んでいた。
 初めて知ったのは、槙の木の実。赤い部分(花床)と緑の部分(種子)に分かれ、実に目立ち、一度眼にしたら忘れられないものであった。赤い部分は食べられるとのこと。ただし緑の部分には毒が含まれるといことも知らなかった。そして雌雄異株ということも初めて知った。
 槙の木は横浜市の銘木・古木の指定があった。私の住む近所にも1本指定されている木がある。 


インフルエンザワクチン接種、新型コロナワクチン予約

2022年10月24日 20時39分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日のハイキングの結果、両足の太腿の筋肉痛となった。最近は毎日のようにこの太腿の前側の筋肉が痛んでいる。いつもより少し痛みが強いが、歩行に支障があるわけではない。ただし歩きはいつもより少しゆっくりとなってしまう。
 インフルエンザのワクチン接種(一人2,300円)ののち、妻と横浜駅西口に出てコーヒータイム。百円ショップにて単三と単四の電池を購入して帰宅。
 BA.4とBA.5に対応した新型コロナワクチンの接種は11月7日(月)に決定。親も含めて3名分、病院ですぐに登録してくれた。同日・同時刻ということで、3人とも副反応が強く出た場合、ちょっと心配であるが、1日くらいは寝て暮らしていても問題は無いと想定。
 今度で5回目となると何となく接種慣れで、緊張感が薄い。手続きも病院でしてくれるので、余計に緊張感がないようだ。便利と親切を、緊張感と引き替えにしたようなものかもしれない。

 


楽しかったハイキング

2022年10月23日 21時56分09秒 | 山行・旅行・散策

 実に楽しい午後のハイキングであった。最近の毎日のウォーキングの歩数の7000歩の倍にあたる14000歩余りも歩いた。ゆっくり歩いたくれたので、膝に異常は感じないで歩きとおすことが出来た。
 15年ぶりの港南区の古道歩き、それなりに景観が変わっているところ、変わっていないところ、見つけるのが楽しい。また思い出すのに時間がかかったのは致し方のないところだが、自分の記憶力が曖昧であることがちょっぴりショックでもあった。
 古い港南区が残っている景観、新しい町並みとして作られた港南区、マンションの並ぶ地区、戸建ての並ぶ住宅地区、農専区域の広がる地区、商業地区など港南区のさまざまな貌を縫うようにして歩くことが出来た。メインは武相国境沿いの道、鎌倉古道の下の道である。
 最後に辿り着いた場所は、私が長年勤めていた場所。一番悲しいのは、自分が23歳から33年間も勤めた建物が解体され、更地になってしまったこと。建物が建ってすぐに引っ越して開所に携わった。組織は別の場所に丸ごと移転し、機能はそのまま残っている。しかし敷地と建物の利用計画から備品のひとつひとつに、樹木の1本1本に思い出があった。サラリーマンの宿命かもしれないが、寂しいものである。
 解体され更地になった場所の写真、撮影する気力が湧かなかった。数か月前にも地下鉄の駅のホームから見下ろして、感慨深いものがあった。もう少しして気分が落ち着いたら、新しい建物が立つ前に、更地であるうちに撮影しておきたい。

 こういうハイキングを企画をしてくれた友人に心から感謝である。


本日の楽しみ

2022年10月23日 11時19分29秒 | 山行・旅行・散策

 12時直前に家を出るまでの閑、昨晩に続いて「名画がうまれるとき」に眼を通している。間もなく正午。久しぶりにJRにて港南区まで出向く。だいぶご無沙汰している区内を2時間か3時間で歩くと思われる。

 楽しみな企画である。地質年代の講義や、中世・近世の道の歴史についてもいろいろと議論と実地での検証ができる。頭の体操にも、地学の復習にも、歴史の勉強にもなる。


「名画がうまれるとき」 その1

2022年10月22日 23時27分19秒 | 読書

   

 「名画の生まれるとき」(宮下規久朗)を読み始め、本日は第1章「名画の中の名画」の「名画のはらむ新解釈」を読み終えた。カラヴァッジョ《聖マタイの召命》の中に描かれているはずの「マタイ」とはどの人物を指すのか、という議論と最近の解釈についての解説である。
 私は端から左端の人間が聖マタイと思いこんでいたし、これからもそう思い続けると思うが、なかなか単純ではないらしい。しかもキリストと見られる人物が指さすしぐさも何となく力が入っておらず、キリスト自身もペテロの影に隠れて影が薄い。
 キリスト自身も召命に自信が持てていないのか、聖ペテロを中心とした初期キリスト教会の操り人形であったキリスト、という物語が当時からあったのかもしれない、という解釈もできる。元徴税吏であったという聖マタイという話も、徴税吏のいた場所から誰かが召命を受けた、という落ちをまことしやかに話している人にもあったことがある。
 いろいろな解釈があるということは、このカラヴァッジョの作品が「本当のことを描いている」ような迫力に満ちている証左でもある。

 そんなことを考えさせてくれる一節であった。


軽くハイキングの試運転

2022年10月22日 21時26分53秒 | 山行・旅行・散策

 夕食後、退職者会ニュースの原稿づくりを少しだけ再開した。3つの記事を仕上げ、別の記事の写真を4枚ほど貼りつけた。これにて本日の作業は終了。しかしまだまだ完成にはほど遠い。

 明日は友人と横浜市内で1万歩程度のハイキングに挑戦。まだまだ恐々の試運転の段階である。天気は良いようで、最高気温も25℃とひょっとしたら汗ばむ程度。膝の痛みが出ないように祈るだけでは迷惑もかかるので、一応2回分の鎮痛剤は持参する。リュックもできるだけ軽くしていきたい。むろん杖は持参。
 終了後は軽く居酒屋で寛ぐ予定。皆退職者会のようには呑まない仲間である。
 


本日の講座と本日からの読書「名画の生まれるとき」

2022年10月22日 18時39分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 午前中は神奈川大学の講座を受講。「「沖縄 1972年」考 返還・復帰・再併合」の3回目「経済からみた「復帰」」というテーマで屋嘉宗彦法政大学名誉教授(元法政大学沖縄文化研究所長)の講演であった。
 経済学の観点からの視点も新鮮で、押さえておきたい無いようであったが同時に、沖縄の開発計画を第一次から第五次までの全国総合開発計画との関係で述べていた。1970年代初頭、新全総に対する批判を学生時代に教わり、議論したことを思い出した。
 沖縄の開発計画に対してもこういう視点が最近は見受けられないことに気がついたことも本日の収穫。沖縄を巡る議論を検証する視点として大事にしたいと思った。
 惜しむらくは、資料が配布されず、パワーポイントの画面だけということで、筆記が間に合わず、記録が整はなかったこと。とても残念であった。



 さて、本日から読み始めたのは「名画の生まれるとき 美術の力Ⅱ」(宮下規久朗、光文社新書)。
 この本を購入するか、書店で迷っているとき、たまたま佐藤哲三の作品のページが開いた。この手の入門書・解説書のような場合に佐藤哲三が登場するのは珍しいのではないだろうか。私は洲之内徹の本で佐藤哲三を知り、2004年の回顧展を見てさらに虜になって、現在に至っている。
 戦中から戦後にかけて新潟県で農民運動家としても活躍し、晩年は神原平野に特有のタモノキとみぞれの情景をさかんに描いている。本書には44歳という若さで亡くなってしまう死の前年の「みぞれ」(1953年)がこの本には大きく印刷されていた。
 それに感激し、すぐに購入手続きをとった。言及は多くはないが、取り上げてあるだけで嬉しかった。

 


読了「画聖 雪舟の素顔」

2022年10月22日 07時31分46秒 | 読書

      

 「画聖 雪舟の素顔 天橋立図に隠された謎」(島尾新、朝日選書)を読み終えた。



「慧可断臂図」の達磨の衣の線はマーカーで引いたよう。こんな太細のない線は「気韻生動」を旨とする水墨画の線の常識を覆している。上目づかいの顔はほとんどキャラクターデザインで、しかも完全なプロフィール(横顔)。ユーモラスに見えながら、笑えそうで笑えない不思議な迫力がある。そして、主人公であるはずの達磨は、周りの岩に飲み込まれそうで、足も手も縮こまり衣の墨色も薄い。雪舟による新たな達磨像への、そして水墨表現への朝鮮なのである。拙宗時代の達磨から四十年、禅の人物画もこのような破格へと行き着いている。」(第5章 豊後と美濃への旅)


「破墨山水図」は、雪舟によるほとんどダメ押しのような自己プロデュースだった。‥後世に残された「本人のことば」が「雪舟神話」のもととなったことは繰り返すまでもない。すでに山口の老大家として不動の地位を築き、中国での成功譚も知られるようになった上での京都へのメッセージ。画風も都の趣味を意識して、柔らかく瑞々しいものにしている。雪舟は、若いころの挫折感を生涯引きづっていたようだ。あえていえばこの絵と自題は、天下も狙える西国の大大名のもとで成功した画家の、京都へのちょっとした逆襲であり、その胸の内にはまだ都への思いが生きていた。」(第5章 豊後と美濃への旅)