随分とシビアなテーマで、大杉漣の遺作にふさわしい秀作となった。それにしても、2時間考えさせられます。映画を見ながらこれほど考え続けることもまた珍しい。そして実に分かりやすい作品であった。
死刑囚6人との対話。いつお迎えが来るか分からない彼らには明日はない。時間もない。人間として極限の時間が続く。けれど梗塞感のある時間だけが存在する。彼らとの対話の映像カットがうまい。途切れず、ワンシーン風に撮っておりすこぶる新鮮だ。
彼ら6人+教誨師は取りも直さず我々一人一人の分身である。生と死の皮一つの狭間は何も死刑囚だけの時間ではない。死を考えるということは生を思うということであり、今生きている我々自身の究極のテーマなのである。
「生きることには意味はない。今生きている(I was born.受動態であるということ)から、これからもただ生きてゆくだけ。(こんなセリフでしたっけ)」 心に残りましたネ。そうだと思います。
その中でも、地上に現れたかのような悪魔的人間・高宮との対話は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の大審問官を想わせる。その大審問官でさえ、最後は教誨師に抱擁を求める感動的なシーン。頑なな心が融解するこの作品の白眉であろう。
そして、一方洗礼を求めて一番従順だった進藤が教誨師を含めた我々人間への痛烈なメッセージ。冷水を浴びた感がした。
ラスト、大杉漣が道路のあぜ道で車から降りるとふと一人になってしまう感覚に襲われる。人間という不可解で納まり切れない存在感を象徴したシーンだと思ったが、一方でまるで大杉漣の行く末を暗示させるようで強烈な印象が残った。
後々残る秀作だと思う。
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