イーストウッドの個人的遺書というべき映画といっていいのではないだろうか。
シンプルな作りで余分なものはそぎ落とされている。まさに一人の男の遺書である。
妻に先立たれた葬式から始まるファーストシーン。どこにでもいそうな頑固爺さん。家族とも妥協しない。孫さえ拒否する。自分でさえ東欧系のアメリカ人なのに、ブラック、イエローを忌み嫌う。恐らくアメリカでも多数を占める頭の固そうな老人の一人だ。
彼が愛そうとしない家族、隣人たちは恐らく現代社会の生の現実をメタファーしていると思う。現実に目を背けてきた老人だ。彼らと言葉を交わす気持ちは一切なくただ自分の殻にこもっている。ある意味日本でも今急速に増えているという引きこもり症候群の若者と同一だ。
ただその彼も、隣家の家族とのふとした触れ合いから、人生最後の大仕事をやってのけようと思うようになる。前半はシドニー・ルメットの「質屋」。後半は黒澤明の「生きる」を髣髴させる。
だが、ハナシがシンプルすぎるのである。余分なものをそぎ落とした挙句、膨らみまで少々なくなった感がする。人生を描くのであれば正々堂々正面から描くべきではなかったか。だが、イーストウッドは寓話の形を採った。
不思議なことにこの映画は泣けない映画だ。ラストは自己犠牲という人間の行いの中でも一番尊い無償の行為である。にも拘らず気持ちが高揚しない。何故か、、。
一つはモン民族の不良に対して行う老人のはめ方について。自分の命を犠牲にするのは勝手だが、彼らをはめてまでするそのやり方は疑問。
二つは家族崩壊といってもほとんど老人のせいでそうなった気もするが、家族に対する雪解けの愛というものを感じられなかったこと。
三つはたいしたことではないが、(この映画の題名だから気になるんだが)タオに車を譲ったこと。何故か彼が微笑んで車を運転する様子は不思議と真正直に喜べない自分がいる。(家族との確執が僕に影を落としているのかな。)
前述したが「質屋」「生きる」とは人生を直視しないこの映画の立脚地からはかなりの相違があるように思える。この映画はある意味では男の自殺を描いている。そう、ある男の単純な一つの生き様を示した映画だということなんだ。あくまでも一つの寓話である。
冒頭の妻の葬儀と対照的な老人の葬式で終るこの映画はやはりさすがイーストウッドはうまいとうならせるものがある。しかし、人間への考察という意味では前作「チェンジリング」などここ最近の一連の映画の方が質は高いと僕は思うのであった。
シンプルな作りで余分なものはそぎ落とされている。まさに一人の男の遺書である。
妻に先立たれた葬式から始まるファーストシーン。どこにでもいそうな頑固爺さん。家族とも妥協しない。孫さえ拒否する。自分でさえ東欧系のアメリカ人なのに、ブラック、イエローを忌み嫌う。恐らくアメリカでも多数を占める頭の固そうな老人の一人だ。
彼が愛そうとしない家族、隣人たちは恐らく現代社会の生の現実をメタファーしていると思う。現実に目を背けてきた老人だ。彼らと言葉を交わす気持ちは一切なくただ自分の殻にこもっている。ある意味日本でも今急速に増えているという引きこもり症候群の若者と同一だ。
ただその彼も、隣家の家族とのふとした触れ合いから、人生最後の大仕事をやってのけようと思うようになる。前半はシドニー・ルメットの「質屋」。後半は黒澤明の「生きる」を髣髴させる。
だが、ハナシがシンプルすぎるのである。余分なものをそぎ落とした挙句、膨らみまで少々なくなった感がする。人生を描くのであれば正々堂々正面から描くべきではなかったか。だが、イーストウッドは寓話の形を採った。
不思議なことにこの映画は泣けない映画だ。ラストは自己犠牲という人間の行いの中でも一番尊い無償の行為である。にも拘らず気持ちが高揚しない。何故か、、。
一つはモン民族の不良に対して行う老人のはめ方について。自分の命を犠牲にするのは勝手だが、彼らをはめてまでするそのやり方は疑問。
二つは家族崩壊といってもほとんど老人のせいでそうなった気もするが、家族に対する雪解けの愛というものを感じられなかったこと。
三つはたいしたことではないが、(この映画の題名だから気になるんだが)タオに車を譲ったこと。何故か彼が微笑んで車を運転する様子は不思議と真正直に喜べない自分がいる。(家族との確執が僕に影を落としているのかな。)
前述したが「質屋」「生きる」とは人生を直視しないこの映画の立脚地からはかなりの相違があるように思える。この映画はある意味では男の自殺を描いている。そう、ある男の単純な一つの生き様を示した映画だということなんだ。あくまでも一つの寓話である。
冒頭の妻の葬儀と対照的な老人の葬式で終るこの映画はやはりさすがイーストウッドはうまいとうならせるものがある。しかし、人間への考察という意味では前作「チェンジリング」などここ最近の一連の映画の方が質は高いと僕は思うのであった。
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