時折挿入される楽曲シーンが場を持たせる。結構直球で夫婦愛・家族愛を見ているので観客としては気の抜けるシーンも欲しいのだ。
考えたら二人のそれぞれの職業は個性的である。女はタトーを施す職人。自分の体にも今までの男性遍歴が残るタトーが掘られている。それは服からはみ出ていていかにもの女性風ではある。
男性はアメリカの自由を愛するのらくろパンジョーマン風だ。
どんな男・女でも当たり前の恋は経験する。考え方が違っていても、生き方がまるで相容れなくとも、恋の熱を奪うものではない。逆に違いがあるから沸騰する恋もある。
そんな二人に子供が授かる。意外と普通の生活を始めることができた二人は一時の幸せに没頭する、、。
けれどここから人生は厳しさを二人に教える。
子供が突然病魔に侵される。
子供でも死を意識する。
父親が語ってくれた星の光を確認する。「星は遠いところから光を放つから、ここに届いたときはもはやその星が存在するかどうか分からないのだよ。」(光年の意味)
そして、窓ガラスにぶつかって死に絶えた鳥の死をとても哀しむ。自分のことを予感している。
娘の死後、女は迷って窓辺にいる鳥を娘の姿だと一瞬思う。そして窓ガラスに鳥がぶつからないよう絵を貼る。しかしそんな単純なことでも夫婦はもめる。
そのまま妻を抱き締めるだけで僕はいいと思ったんだが、何と夫は妻と口論する。自我が出始める。こうして二人にそもそも持っていた相違が前面に出現する。お互いを思いやる気持ちがなくなっていく。
こうして永遠だと思われた二人の愛はかくも簡単に崩れゆく。
と、単にそれだけの映画なんだ、と言ってしまえばそうなんだが、描き方が実にリアルである。
最後の方では女は名前まで完全に変えてしまうのである。けれどうわべを変えても心に沈殿する現実が変わるわけでもない。女は現実に耐えられなくなり自分を喪失する。
きついドラマだと思う。ふと、東日本大震災で家族を亡くした夫婦が多くいると思うが、多少みんな同じ思いでいるのではないか、と思う。子供を亡くすということはやはり夫婦の危機でもあるのだ。
人間、特に家族を亡くした夫婦のあり方、をじっくり凝視した秀作だ思います。冒頭にも書いたが、でも本当に時々謳われる軽やかなブルースカイに僕は救われた。これがなかったらただ重苦しいドラマだったろう。
しかし、映画館を出た僕の頭は垂れている、、。
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