フランスの北海岸、イギリスと最も接近しているカレという街。10キロぐらいの距離だがドーバー海峡が流れも激しく両国をシャットアウトしていている。カレといえばカレーの市民で有名な場所だ。イギリスの包囲軍による降伏交渉の際、町の人質となった6人の勇気ある人々の話だ。
6人が包囲軍に出頭すれば(処刑を意味する)町の人々は救われるという話である。そして6人は苦悩しながら志願し、出頭した。自分を犠牲にして誰かを救う。まるで宗教の根本の教えのような尊い実話である。我々もブリジストン美術館でいつも彼らに出会う。有名なロダンの彫刻である。
映画はクルト人の若者である。カレまでイラクから歩いてきたという。そして恋人のいるロンドンに渡るためいろいろ画策する。列車での密航に失敗し、強制送還が、イラクが戦時中であるという理由でカレにとどまることになる。そして目の前のド-バー海峡を渡るためになけなしのお金で水泳を習うことにする。
何となく話の展開が分かってくる題材だが、フランスが難民問題、外国人労働者の膨大でフランス人の失業が問題視していることぐらいしか分からない僕は、最初どこの国の話か辿りつくまで苛々した。言葉がフランス語だからフランスかなあとも思ったが、あの自由の国フランス、第二次世界大戦時でも国民がレジスタンスに燃えた国というイメージからは程遠かったので、なかなかストーリー自体に馴染めなかった。
けれどこの映画の題名は「WELCOME」である。自由の国フランスを象徴している言葉である。しかし、クルト人にはスーパーさえ入れなくしてあるし、クルト人をかばうと法律で処罰されるという。それどころか、近隣住人からの密告制度まで存在するという。あの、世界初めての市民革命による自由の国を立国したフランスとは到底思えない政治体制である。
と、この映画は僕が述べているような政治的アジテーターを熱弁することはしない。状況をそれとなく説明するだけだ。そして若者はあくまで恋人に会いたいからドーバー海峡を泳ごうとしているのだ。政治的亡命でもない。ただ単なる密航だ。
しかし、ロンドンにいる恋人は10日後に結婚式が迫り、現実を注視している。もはや熱情だけで生きていけないことを彼女は知っている。クルト人救済のボランティーをしている妻に気を引くために若者に手助けしていた水泳コーチも、そのうち息子とまで思うようになってくるが、父親として本気でドーバー海峡遠泳をやめさせることはしない。
結構、淡々と醒めた映像でこのドラマは紡がれていく。感情的なシーンはほとんど皆無だ。抑制が効いているセリフ。厳しい海峡の波。素人に毛の生えた若者が暗い波間を泳いでゆく。しかし、、。
感情移入が少ない映画だからか、それほど涙を誘うようなシーンはない。しかし、その若者だけがあっけなく命を落として、それでもみんなはまたいつもの輪の中で生きていく、といったラストは、今のフランスの現状をよく物語っていると言えよう。
冒頭のカレーの市民に戻るが、自己犠牲という言葉はもう死語なのかもしれない。若者のとった行動も自己犠牲ではない。ただ自分の気持ちのまま、恋人に会いたいという思い一筋で取った行動だ。あれほど自由を尊んだフランス人も、今やちょっと前の東ドイツの密告制度に敷かれている。
あの、レジスタンスはフランス人だけのためのレジスタンスだったのか、と言いたい気持ちも募ってくる。だが、この日本人である僕でさえ、今のフランスの実情を知ることもない。ましてや、日本での難民受け入れはニュースで知るのみで、他人事である。あの、「WELCOME」と上辺だけは自由主義者の隣人たちと僕らが何ら変わらないことを知っている。
何ともやりきれない映画である。でも、この映画を見ること自体が重要であるとも思えるのである。そして、ずっと、いつまでもドーバー海峡の波の荒さと冷たさが僕の脳裏にこびりつく、、。
6人が包囲軍に出頭すれば(処刑を意味する)町の人々は救われるという話である。そして6人は苦悩しながら志願し、出頭した。自分を犠牲にして誰かを救う。まるで宗教の根本の教えのような尊い実話である。我々もブリジストン美術館でいつも彼らに出会う。有名なロダンの彫刻である。
映画はクルト人の若者である。カレまでイラクから歩いてきたという。そして恋人のいるロンドンに渡るためいろいろ画策する。列車での密航に失敗し、強制送還が、イラクが戦時中であるという理由でカレにとどまることになる。そして目の前のド-バー海峡を渡るためになけなしのお金で水泳を習うことにする。
何となく話の展開が分かってくる題材だが、フランスが難民問題、外国人労働者の膨大でフランス人の失業が問題視していることぐらいしか分からない僕は、最初どこの国の話か辿りつくまで苛々した。言葉がフランス語だからフランスかなあとも思ったが、あの自由の国フランス、第二次世界大戦時でも国民がレジスタンスに燃えた国というイメージからは程遠かったので、なかなかストーリー自体に馴染めなかった。
けれどこの映画の題名は「WELCOME」である。自由の国フランスを象徴している言葉である。しかし、クルト人にはスーパーさえ入れなくしてあるし、クルト人をかばうと法律で処罰されるという。それどころか、近隣住人からの密告制度まで存在するという。あの、世界初めての市民革命による自由の国を立国したフランスとは到底思えない政治体制である。
と、この映画は僕が述べているような政治的アジテーターを熱弁することはしない。状況をそれとなく説明するだけだ。そして若者はあくまで恋人に会いたいからドーバー海峡を泳ごうとしているのだ。政治的亡命でもない。ただ単なる密航だ。
しかし、ロンドンにいる恋人は10日後に結婚式が迫り、現実を注視している。もはや熱情だけで生きていけないことを彼女は知っている。クルト人救済のボランティーをしている妻に気を引くために若者に手助けしていた水泳コーチも、そのうち息子とまで思うようになってくるが、父親として本気でドーバー海峡遠泳をやめさせることはしない。
結構、淡々と醒めた映像でこのドラマは紡がれていく。感情的なシーンはほとんど皆無だ。抑制が効いているセリフ。厳しい海峡の波。素人に毛の生えた若者が暗い波間を泳いでゆく。しかし、、。
感情移入が少ない映画だからか、それほど涙を誘うようなシーンはない。しかし、その若者だけがあっけなく命を落として、それでもみんなはまたいつもの輪の中で生きていく、といったラストは、今のフランスの現状をよく物語っていると言えよう。
冒頭のカレーの市民に戻るが、自己犠牲という言葉はもう死語なのかもしれない。若者のとった行動も自己犠牲ではない。ただ自分の気持ちのまま、恋人に会いたいという思い一筋で取った行動だ。あれほど自由を尊んだフランス人も、今やちょっと前の東ドイツの密告制度に敷かれている。
あの、レジスタンスはフランス人だけのためのレジスタンスだったのか、と言いたい気持ちも募ってくる。だが、この日本人である僕でさえ、今のフランスの実情を知ることもない。ましてや、日本での難民受け入れはニュースで知るのみで、他人事である。あの、「WELCOME」と上辺だけは自由主義者の隣人たちと僕らが何ら変わらないことを知っている。
何ともやりきれない映画である。でも、この映画を見ること自体が重要であるとも思えるのである。そして、ずっと、いつまでもドーバー海峡の波の荒さと冷たさが僕の脳裏にこびりつく、、。
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