先日、かの松竹ヌーベルバーグの一人大島が亡くなった。今彼の作品群を思い出しているのだが、結構多作であることに驚く。しかし、2000年になって以来作品はとどまっている。僕は彼の監督作品24作中、半分の12作を見ていることになる。
けれど驚くなかれ、みんなが誉めている「戦場のメリークリスマス(1983)」は未見である。「愛のコリーダ(1976)」で世界的に注目されて以来の大島作品は実は僕はあまり好きではないのだ。
で、彼の作品はどうなんだと言われると、日本ではATGの1000万円映画というと大島が筆頭だったように思うし、今思い返すとデビュー作の「愛と希望の街(1959)」を随分褒めたし、それ以降やはり1960年代の「絞死刑(1968)」、「新宿泥棒日記(1969)」、そして政治体制の総括をした「東京戦争戦後秘話(1970)」、「儀式(1971)」は映像的にもすこぶる立派で感心したものだった。
その後、例の「愛のコリーダ」に行っちゃうわけだが、どうも大島監督には悪いが、性を取り上げていて大らかさが感じられなかった。密室での行為が延々と続き、何か映画における美というものをほとんど感じないまま映画館を後にしたことを覚えている。遺作となった「御法度(1999)」はもう大島も終わりかなと当時思ったぐらい「らしさ」がなくなり幻滅した覚えがある。
では、彼の作品でどれが一番好きですか、と質問されれば「新宿泥棒日記」と即、答える。これは新宿紀伊国屋書店を舞台にした実験映画風の作品なのだが、横尾忠則の棒読みセリフとかが逆に新鮮な息吹を起こしていた。横山リエが書店の本を高く積んでそれを抱きかかえるシーンが今でも印象に残っている。詩情あふれるエモーションが感じられた。
大島は政治というものを映画の輪郭にはしているが、情念のほとばしりというものをずっと求めていた映画作家だった、と思う。その部分が鮮烈に出ていたのが1960年代の作品だと思うのだ。
けれど松竹ヌーベルバーグ残りの 、吉田喜重、篠田正浩が映画から遠ざかっている現状を想えば、本家フランスのヌーベルバーグであるゴダール、ロメール等頑張っている姿は、やはり肉食等生活の違いがあるのだろうか、、。日本では新藤兼人というまれにみるエネルギッシュな人もいたけれどね、、。
ところで、大島作品は私もあまり好きではありません。
私の理由は、噂に漏れ聞く性と暴力の過激な描写が、私の好みに合わないことによります。
それで、たった2作しか見ていないのです。
その内の1本が、セント様が未見と仰っている「戦場のメリークリスマス」です。この作品は、世評に惑わされることなく、私自身の考えで、反戦の名作と思います。
と言った訳で、これ以上コメントを差し上げる言葉が出てきませんので、これにて失礼致します。
この大島の記事は本当のことを言えば、アスカパパ様のブログにお邪魔して、大島のコメントを読ませていただいてから、僕もと思いまして書いちゃいました。
映画を作っているときとテレビのバラエティー番組で日常をごまかしているときの大島とは、かなりの差がありました。
やはり本当のところは映画を作りかったのではないでしょうか。
今は昔の仲間と天上で映画論を交わしているでしょうね、、。
それでは、また。
セント