この映画の構成でまず驚いたのはパート2にはめずらしい前作の焼直し作品だということだ。それ以降では決してない。(もちろん前作で建設中だった東京タワーはすでに建っているが、、)
だから、淳之介の親元問題も茶川の素朴愛もパート2でまたもやリフレインすることになる。ところがトモエの「君の名は」ごときメロドラマや淳之介の給食費問題だのどちらかというとずっこけ気味の挿話もあったが、堀北真希の成長振りが素晴らしく、彼女の微笑だけでこの映画の素晴らしさを味わうことができる。実に彼女はこの映画の芯となっている。
でも、ラスト近くこの二つのリフレインが見事に収束するヤマ場はこうなることが分っていてもやはり号泣してしまう。ナチュラルにただ昭和を愛おしく撮っている映画だが第2作は自然である。CGも大げさでなくさりげなく自然だ。見せようとしていないところが憎い。1作目に比べると全体的に抑えて昭和を見ている。
その視線はでもやはり正しいと思う。1作目の焼き直しであるからこそ同じ手法は取れないのだ。だから漫画っぽい見せ場も今回は少なく、泣かせの部分も意外や少ないのだ。でもその分、ラストのやっと咲いた幸せは感動的だ。美しい。
もう、みんな、現実には起こり得ない幸せはこういう国民的行事(チケットを買うのに平日なのに30分並びました。)のなかでこそ生まれるのだ。
1作目ほどの感動はだからこそ起きないけれども、それでもカラカラの僕の心に昭和へのいとおしさと人への熱いまなざしを感じ取り明日生きていく潤いを十分感得しました。
やはり観客が満席で心をひとつにできる映画というのは今めずらしいと思う。その意味でも国民的大映画になったと思う。
だから、淳之介の親元問題も茶川の素朴愛もパート2でまたもやリフレインすることになる。ところがトモエの「君の名は」ごときメロドラマや淳之介の給食費問題だのどちらかというとずっこけ気味の挿話もあったが、堀北真希の成長振りが素晴らしく、彼女の微笑だけでこの映画の素晴らしさを味わうことができる。実に彼女はこの映画の芯となっている。
でも、ラスト近くこの二つのリフレインが見事に収束するヤマ場はこうなることが分っていてもやはり号泣してしまう。ナチュラルにただ昭和を愛おしく撮っている映画だが第2作は自然である。CGも大げさでなくさりげなく自然だ。見せようとしていないところが憎い。1作目に比べると全体的に抑えて昭和を見ている。
その視線はでもやはり正しいと思う。1作目の焼き直しであるからこそ同じ手法は取れないのだ。だから漫画っぽい見せ場も今回は少なく、泣かせの部分も意外や少ないのだ。でもその分、ラストのやっと咲いた幸せは感動的だ。美しい。
もう、みんな、現実には起こり得ない幸せはこういう国民的行事(チケットを買うのに平日なのに30分並びました。)のなかでこそ生まれるのだ。
1作目ほどの感動はだからこそ起きないけれども、それでもカラカラの僕の心に昭和へのいとおしさと人への熱いまなざしを感じ取り明日生きていく潤いを十分感得しました。
やはり観客が満席で心をひとつにできる映画というのは今めずらしいと思う。その意味でも国民的大映画になったと思う。
やはり今回もいちいち涙してしまう。
昭和の暮らしの優しさと丁寧さがちゃんとありましたね。
ヌートリアさん同様昭和への愛おしさがわたしも伝わりました。今では何でもデジタルで作る時代にちょっとうんざりしてましたが、こういう映画ではその背景も本物のように思えて来るから不思議ですね。
実際のこの頃の東京を知っている人にはどう感じるのか、
興味はありますが、いつの世も夕日が綺麗に見えるのは幸せな証拠。これだけは変わらない,,,でいたいものです。
4,50分前にチケットを買いに並んだんですけれど、30分はしっかり並んでました。平日に、こんなこと珍しいとしか言いようがありません。
その意味でも国民的映画になったようでうれしくも思います。
それでも、細かいところに昭和の匂いをふんだんに入れた作品です。ミシンで洋服を作るだの、ランニングシャツで(しかも汚そう、、)部屋にいる人たち(無論、僕も今でも夏はそうです。)、何よりも何かあったら近所から人がぞろぞろ出てくるような長屋的雰囲気はまさに昭和前半ですね。
この映画は完結編でしょうけれど、もっと違う「3丁目の夕日」を見たいものです。
では、また。