またもアメリカにおける人種差別映画であります。もうそろそろ辟易している感もあるが、話題作なので見ることにした。
この映画は事実に基づいたノンフィクションを原作としているらしい。クレジットでその表現がいかにもったいぶった言い方をしているのにあれっと思う。いつもとは違い、あっさりしていないのである。そしてこの作品の評価も僕は結局そこに行き着くのである。
二人の刑事が声班と人物班とを分けてKKkに潜入してゆくくだりはハラハラし通しだが、こんなにうまく騙せるものなのか、いくら何でも会話をしてゆくうちに、ボロが出るのではないだろうとか思いながら見続ける。
でもそれは全く違うところから露見しまうのだが、でもこれが本当ならKKKは電話番号一つ探求できる機能を保持していないということになる。また、あのテロを刑事たちがどうして気づいたのかもあまり描かれていないので、僕には何か不信感が残る。
そう、でもしかしこれらはすべて事実だったと映画では言ってのけるのである。そう言われれば、僕には何をも言うことが出来なくなるが、でも映画的には変である、と思う。
それより、僕にはあの超名作と聞き及びしグリフィスの「国民の創生」が実は人種差別の坩堝であるという見方をされていたことにかなりショックを受ける。
まだまだ映画的修行が足りません。痛感しました。
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