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ジェネラル・ルージュの凱旋 (2009/日)(中村義洋) 80点

2009-04-08 10:49:18 | 映画遍歴
医療へのさまざまな問題提起を内包しつつ、脱力系軽妙タッチで秀逸ミステリーに仕上げた中村義洋の手腕は鋭く、彼の作品はどれもそうだが、人間へのいとおしさに満ちていることに気付く。

その緩やかなテンポがいいんだな。竹内結子は主役というより観客と同一のまなざしで出来ごとを追う。慢性自殺患者の救済というちょっとした本業の紹介はあっても、彼女の視点は僕たち観客と同化している。阿部寛も2作目ではトーンを落とし、掛け合い役に徹している。

となると、俄然堺雅人が前面に出てきてまさに独り舞台となる情況を呈している。ちょい役でも目立ってしまう彼が全篇奮闘すると色合いもきわどくなるはずだが、自制できる彼の演技力はちょうど良いポジションを取っている。

この映画の主体はそののどけき春のようなタッチに相対するように提示されているさまざまな問題提起である。病院経営と医療との矛盾。特に、医師不足、救急車の受け入れ不足、そして僕に重く残ったのは救急の際の患者への判定の色カードについてであった。

黒と判定された患者は医者の治療を受けることなく、廻りの死者とともにいくら家族が騒ごうが死に行くしかないということ。これはつらかったなあ。大惨事では助かる人を優先にすればそういうこともあり得るということなのだろうが、ちょっと唐突で後々印象に残ってしまった。

ミステリー自体はそもそも犯人探し物ではないので、それは付け足しのようなものだが、被害者が取るに足らない薬品納入者であっても、多少は残っていた良心でダーティ医療関係者を告発しようとしたということもほんのり暖かさが残る味わいとなっている。

細かく突っ込みたいところもいろいろある映画だ。そもそも堺雅人が行っていたという業者との癒着が何だったのか(本当に背任といえるようなものであったのかどうか)不明瞭だ。

また、画策していた尾美としのりも無罪放免というのも釈然としないし、貫地谷しほりの役柄の設定が一体全体なんだったのかまるで分からないなど、いろいろ突っ込みはあるものの、医療の問題提起をさらりとエンターテインメントに昇華させたその映画作りは賞賛に値する。

演出はもとより、全体の心地よい巧妙ミステリータッチに大いに貢献した音楽の力もこの映画の場合大きいと思う。小説でも、映画でもコメディほど難しいものはないのであります。メジャー系でここまで鍛錬された映画を僕は買いたい、と思う。

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