冒頭に戦争は麻薬のようなものである、と字幕が出る。さて、何なのかい、と観客は構えてしまう。このことに拘泥してしまう。そのうちそんな言葉の意味も忘れるほどサスペンス(と言っていいのかな?)の連続が続く。目が画面にくぎ付けになる。秀作なのである。
アメリカは今、徴兵制を廃している(兵役登録の義務はあるらしいが)。志願兵が大多数であるらしい。そして最近の不況下で、若者の志願兵は増加の一途であるという。当然、家族がいる若者たちである。親がいる人、小さな子供がいる人。
はるか離れた日本から、彼らの顔つき、そして表情を見る。泣いたり心配しているのは家族だけで、本人はしっかりとした表情をしている。
とても麻薬云々とは思えない。
そしてこの映画を見る。
冒頭の爆弾処理による破壊の状況、そして軍曹の残念死。まず彼ら爆発物処理班としての日常的な戦争を観客に映像化して見せる。カメラが素晴らしい。いかにもイラクにいるかのようだ。隅々まで映像に映る人間。まさにそこに住んでいるイラク人と何故か闖入してきたアメリカ兵。そういう視点が鮮やかだ。
冒頭の話に戻るが、イラクに送られた戦士たちの家族は彼らがどのような日常を生きているのかを固唾を飲んで見守っている。それに答えたのがこの映画の趣旨だろうと思う。
だが、ショッキングな戦争は麻薬だ、とのメッセージが冒頭に出る。過酷な生を生きている彼らの日常を、ふかふかの席でポップコーンを頬張り、この映画を見ている人もいるのだろう。でも彼らは毎日生と死を賭けた任務を過ごしている。
爆弾処理任務は通常の任務より過酷だ。映画を見ていてこの対比が僕の胸を吹き荒れる。同じ日常でも、死が同居する環境とそうでない日常を過ごせる人たち。ましてや、過酷な死と隣り合わせの日常を商業施設で観賞できる家族たち、そして観客たち、、。
新しく赴任した軍曹は873件の爆弾処理をやってのけたつわものだ。だいたいいい加減そうな風貌なのに、自分の達成した記録だけはきっちりと覚えている軍曹。何気ない部分だが、そこに僕は彼の狂気を感じる。
子供には人間的なまなざしを向けるヒューマンな部分もあるのだ。だが、その彼もアメリカに戻り家族と過ごすと、何気ないスーパーマーケットでさえ虚構の世界に見えてしまうのだ。彼の生きる場所はもはや麻薬患者のごとく戦場しかないのである。
あまり身勝手な軍曹についていけない同僚の黒人兵、そして戦争そのものに日常的なストレスを感じている若き白人兵士の描写も分かりやすくていい。通常の戦士を代表するような描写だ。軍医が絵にかいた餅のような話しぶりなので、実際軍医をジープに乗せたらたまたま戦闘があり戦死してしまうシーン。まさに死は日常なのである。
思ったより、戦闘シーンが多いばかりの映画でなく、戦地に赴くものの心を描いた作品である。僕はやはり女性監督の視線があると思った。死が隣り合わせる戦地で生きることの意味を問うたものではない。戦争そのものが人間を麻痺させてしまう過程をじっくりと描いている。
軍曹は短い休暇でのアメリカでの日常を過ぎると、また爆弾処理班として今度は長期でイラクに赴任する。彼は戦場そのものが日常と化してしまっている。それは狂気ではない。まさに生活であり、彼の日常であり、彼の人生なのである。爆発物のないところでは彼は生きられなくなっている、、。
内省的な映画である。心の映画である。兵士の家族はアメリカで日常を生きる。さらに離れた日本人たる僕たちも映画を見ている間は彼らを見つめているが、映画館を出ると頭を垂れながらも凡庸な日常に戻る。
秀作である。戦争映画という範疇を超えた心の映画だと思う。
アメリカは今、徴兵制を廃している(兵役登録の義務はあるらしいが)。志願兵が大多数であるらしい。そして最近の不況下で、若者の志願兵は増加の一途であるという。当然、家族がいる若者たちである。親がいる人、小さな子供がいる人。
はるか離れた日本から、彼らの顔つき、そして表情を見る。泣いたり心配しているのは家族だけで、本人はしっかりとした表情をしている。
とても麻薬云々とは思えない。
そしてこの映画を見る。
冒頭の爆弾処理による破壊の状況、そして軍曹の残念死。まず彼ら爆発物処理班としての日常的な戦争を観客に映像化して見せる。カメラが素晴らしい。いかにもイラクにいるかのようだ。隅々まで映像に映る人間。まさにそこに住んでいるイラク人と何故か闖入してきたアメリカ兵。そういう視点が鮮やかだ。
冒頭の話に戻るが、イラクに送られた戦士たちの家族は彼らがどのような日常を生きているのかを固唾を飲んで見守っている。それに答えたのがこの映画の趣旨だろうと思う。
だが、ショッキングな戦争は麻薬だ、とのメッセージが冒頭に出る。過酷な生を生きている彼らの日常を、ふかふかの席でポップコーンを頬張り、この映画を見ている人もいるのだろう。でも彼らは毎日生と死を賭けた任務を過ごしている。
爆弾処理任務は通常の任務より過酷だ。映画を見ていてこの対比が僕の胸を吹き荒れる。同じ日常でも、死が同居する環境とそうでない日常を過ごせる人たち。ましてや、過酷な死と隣り合わせの日常を商業施設で観賞できる家族たち、そして観客たち、、。
新しく赴任した軍曹は873件の爆弾処理をやってのけたつわものだ。だいたいいい加減そうな風貌なのに、自分の達成した記録だけはきっちりと覚えている軍曹。何気ない部分だが、そこに僕は彼の狂気を感じる。
子供には人間的なまなざしを向けるヒューマンな部分もあるのだ。だが、その彼もアメリカに戻り家族と過ごすと、何気ないスーパーマーケットでさえ虚構の世界に見えてしまうのだ。彼の生きる場所はもはや麻薬患者のごとく戦場しかないのである。
あまり身勝手な軍曹についていけない同僚の黒人兵、そして戦争そのものに日常的なストレスを感じている若き白人兵士の描写も分かりやすくていい。通常の戦士を代表するような描写だ。軍医が絵にかいた餅のような話しぶりなので、実際軍医をジープに乗せたらたまたま戦闘があり戦死してしまうシーン。まさに死は日常なのである。
思ったより、戦闘シーンが多いばかりの映画でなく、戦地に赴くものの心を描いた作品である。僕はやはり女性監督の視線があると思った。死が隣り合わせる戦地で生きることの意味を問うたものではない。戦争そのものが人間を麻痺させてしまう過程をじっくりと描いている。
軍曹は短い休暇でのアメリカでの日常を過ぎると、また爆弾処理班として今度は長期でイラクに赴任する。彼は戦場そのものが日常と化してしまっている。それは狂気ではない。まさに生活であり、彼の日常であり、彼の人生なのである。爆発物のないところでは彼は生きられなくなっている、、。
内省的な映画である。心の映画である。兵士の家族はアメリカで日常を生きる。さらに離れた日本人たる僕たちも映画を見ている間は彼らを見つめているが、映画館を出ると頭を垂れながらも凡庸な日常に戻る。
秀作である。戦争映画という範疇を超えた心の映画だと思う。
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