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海の沈黙(1947/仏) (ジャン・ピエール・メルヴィル) 85点

2010-03-26 11:50:08 | 映画遍歴
冒頭のレジスタンスの行動。秘密裏にバッグの奥深く詰められたものは武器ではなく、一編の小説であった。フランスらしく香しい導入部であり、また何とそれをクレジットタイトルにする極上のセンス。秀作の予感。

海とはフランス語でラ・メール、女性名詞の代表的な基本的な言葉です。すべては海、母親から生まれるといった意味があると聞いたことがあります。その意味ではこの題名は叔父と姪の内、特に姪の方に比重をかけたものであると言えそうです。多少「美女と野獣」の話が出てくるから、そのシーンは愛の告白シーンと考えてもよさそうです。しかし、この作品においての海をもっと広く僕は捉えてみたい。

叔父と姪は占領国側の人間であるという理由からフランスかぶれのドイツ人を無視し続ける。男がなるべく軍服をやめ、私服で挨拶に来ようが知ったことはない。そこに彼がいること自体を無視する。人間に対しては一番の屈辱的な行為だ。しかし、男は構わず一人語り続ける。

接収という行為は、日本でも同じ経験はあっただろうが、一般の家庭にまで入り込むというのはあまり聞いたことがない。ナチスドイツは物量だけの理由でなく、一般家庭にまで入り込み、人間を監視するといった魂胆があったのかもしれない。しかし、フランスを愛し続けていた男はそんなことはお構いなし。フランスにいること自体が夢心地のようでもある。

だが、憧れのパリに行き現実を知るにつけ、究極のナチスドイツの思惑を知ることになり、絶望にかられる。ここで無視続けていた叔父と姪が逆に男を心配するようになる。しかし表情には出さない。男の絶望感は大きく、自殺とも思える死地への赴任を告げる。

このとき叔父と姪は初めて人間に戻る。融解された時の人間の美しさ、その表情。ひとこと「アデュー」とドイツ人に告げる。すべてのこの世の苦しみ、悲しみ、喜びを受け止める海が初めて沈黙から解放される。人種は違っていても、努力をすればそもそも人間は一体である。

海にようにたゆたうゆらゆら揺れ動くが、海からすべての生命が生まれそして戻って来る。この世で会えなくなっても海にすべてが戻って来る。そういう人間の源泉としての海が沈黙から解放され、融解される。国という愚かな人間が作った垣根を初めて取り払い、海が沈黙から目覚めたとき男は死地へ旅立つのである。

シンプルな話なのだが、人間としての心のあり方、壁、色、広さすべてを言い表す秀作です。そして、この映画は心の映画であるからこそメルビルの核であるレジスタンス映画でもあり得る。

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